YOASOBI「海のまにまに」歌詞の意味を考察|原作『ユーレイ』と夕陽・花火の対比

YOASOBIの「海のまにまに」は、明日を迎えることに希望を持てなくなった主人公が、海辺での出会いを通して、自分の中に残っていた気持ちに触れていく楽曲です。

物語を読み解く鍵は、夕陽と花火にあります。どちらも、目の前で消えていく光。その終わりを惜しむ主人公のまなざしに注目すると、夜の逃避行が、もう一度朝を迎える物語へと変わっていく理由が見えてきます。

この記事では、公式に公開された歌詞と原作の紹介、辻村深月のインタビューを手がかりに考察します。以下は歌詞の結末に触れる、一つの読み方です。

「海のまにまに」の原作は、辻村深月の『ユーレイ』

「海のまにまに」は、2022年11月18日に配信された楽曲です。直木賞作家4人とYOASOBIがコラボレーションした『はじめての』プロジェクトの第3弾として制作されました。

原作は、辻村深月による短編『ユーレイ』。「はじめて家出したときに読む物語」という副題を持ち、小説集『はじめての』に収録されています。家出をした主人公が海沿いの町で不思議な少女と出会う、ひと晩の物語です。YOASOBI『はじめての』公式サイト

この背景を踏まえると、曲の中心にあるのは、追い詰められた人の気持ちが、誰かとの出会いによって変わる瞬間だと考えられます。

海や夜が美しく描かれるからこそ、その景色を見ている主人公がどのような状態なのかを見落とさずに聴くことが大切です。

夜の逃避行に表れる、明日を迎えたくない気持ち

主人公が電車に乗る目的には、これから訪れる場所への期待が感じられません。歌詞から伝わってくるのは、今いる世界から離れたいという切実さです。自分の居場所を見いだせない感覚は、やがて命を終わらせることを考えるほどに深まっています。公式MVの説明欄に掲載された歌詞

ここでの夜は、主人公を一時的に日常から隠してくれる時間として読めます。朝になれば、また昨日までの自分に戻らなければならない。そう感じているからこそ、時間が先へ進むことを受け入れられないのでしょう。

ただし、日常から遠ざかっても、自分の苦しさまで消えるわけではありません。家出によって場所は変わっても、誰にも気持ちを届けられない孤独は残っています。

その孤独に、海辺で出会う少女が初めて働きかけます。旅の行き先よりも、そこで誰と出会うのかが、この曲では大きな意味を持っているのです。

夕陽と花火の対比が示す、主人公の本当の気持ち

この曲で特に注目したいのは、夕陽と花火を見る主人公の反応です。

辻村深月はインタビューで、原作に書いた夕陽と花火の対比を、楽曲によって気づかされたと語っています。二つの光を結びつけて聴くことには、原作者の言葉からも手がかりが得られます。水鈴社・辻村深月インタビュー

夕陽も花火も、いつまでも輝き続けることはできません。それでも主人公は、消えていく光を最後まで見届けようとします。

この反応には、自分でもまだ整理できていない気持ちが表れているのではないでしょうか。人生を終えようと考えている一方で、目の前の美しいものには、もう少し続いてほしいと感じている。その二つの気持ちが、主人公の中には同時にあります。

だからといって、光を美しいと思えれば苦しみがなくなる、という話ではありません。大切なのは、苦しさのために見えなくなっていた自分の感情に、本人が気づくことです。

さらに、夕陽と花火には違いもあります。夕陽を眺める場面には孤独があり、花火を眺める場面には、同じ驚きを分かち合う相手がいます。

同じようにはかない光でも、誰かと一緒に見ることで、記憶に残る体験になる。消えてしまうことを惜しむ気持ちと、その瞬間を共有できる喜びが重なり、主人公の心を動かしたと読むことができます。

少女との花火が、言葉だけでは届かない場所に届く

少女は主人公の危うい気持ちに気づき、引き留めようとします。しかし、この曲で心が動くきっかけとなるのは、説得の言葉に加えて、二人で花火に心を奪われる体験です。

誰かに正しいことを言われても、それを受け入れる余裕がないときがあります。主人公もまた、自分の抱える気持ちと、少女の言葉との間ですぐには折り合いをつけられません。

そこで花火が、二人の意識を同じ場所へ向けます。片方が相手を説得する関係に、同じ出来事を喜ぶ関係が加わるのです。

一緒に驚き、一緒に光を見つめる。その間、主人公は、目の前の時間に自然と参加しています。自分の存在を遠くから眺めるような孤独から、誰かと今を過ごす感覚へ、少しずつ戻っているように感じられます。

この変化があるため、少女との出会いには、励ましの言葉だけでは説明できない温かさがあります。

海辺の少女は幽霊なのか? 主人公の推測と結末を分けて読む

原作の題名が『ユーレイ』であることもあり、少女の正体が気になる人は多いでしょう。

歌詞では、夜の海辺に現れた少女の服装や裸足の姿などが、主人公に、この世の存在ではないのかもしれないと思わせます。ただし、ここで幽霊を想像しているのは主人公です。語り手がそう感じたことと、少女が幽霊であると確定したことは、分けて読む必要があります。

そして結末では、朝になっても少女は隣で眠っています。夜が終われば消えるかもしれないという主人公の予想は、そのままの形では実現しません。歌詞を確認できる公式MV

この終わり方は、少女を現実の他者として捉え直す読みを促します。自分を迎えに来た不思議な存在のように見えていた相手が、同じ朝を過ごす人として、すぐ隣にいるのです。

歌詞だけを根拠に原作の謎の全容まで断定することはできません。それでも、少女の正体を考えるうえで、夜の印象だけに引っ張られず、最後の朝の場面まで読むことは欠かせないでしょう。

タイトル「海のまにまに」が表す、境目で揺れる心

辻村深月によると、「まにまに」という言葉は原作には登場しません。楽曲のタイトルについては、夜と昼、生と死の間で揺れる物語の世界を捉えていると語っています。水鈴社・辻村深月インタビュー

この言葉を手がかりにすると、海辺は、主人公がそれまでの自分と、この先の自分との間に立つ場所として読めます。

家出をした時点では、主人公はもう結論を出しているつもりだったのでしょう。しかし、少女との出会いによって、その気持ちは揺れ始めます。頭で決めたことに、心が同じようについていくとは限らないのです。

その揺らぎを、弱さと捉える必要はありません。気持ちが動く余地があったからこそ、予定していなかった朝を迎えられたとも考えられます。

「海のまにまに」というタイトルには、まだ自分でも名前をつけられない感情に触れながら、次の時間へ進んでいく主人公の姿が重なります。

ラストの朝が伝えるのは、誰かと明日を迎える希望

物語の終わりにあるのは、朝の光と、そばで眠っている少女の姿です。主人公が抱えていた問題のすべてが解決した、とは描かれていません。

それでも、冒頭とは大きく違うことがあります。主人公は、明日を迎える自分の隣に、誰かがいると知りました。

孤独の中では、これから先も同じ苦しさが続くように感じていたのかもしれません。けれど、ひと晩の間に、予想していなかった人と出会い、予想していなかった気持ちが生まれています。その経験は、未来が自分の想像どおりに決まっているわけではないことを示しています。

「海のまにまに」は、そんな小さな変化を丁寧に描く曲だと考えられます。

消えていく光を惜しむこと。誰かと同じものを見て、思わず心が動くこと。そして、朝になっても、その人が隣にいること。

明日を迎えてみようと思える理由は、まだ言葉にできない感情や、身近な人との短い時間の中にもある。 夕陽から花火へ、夜から朝へと移る景色は、その気づきを主人公と一緒にたどらせてくれます。

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