キタニタツヤ『次回予告』の歌詞が描く「正義」と「悪」の境界線
『次回予告』の中核となるのは、「正義は勝つ、負けたら悪者!」という一節に象徴される、勝敗によって善悪が決まるという価値観への皮肉です。この一文は、特撮やアニメの「勧善懲悪」的構図を引用しつつも、現実社会の価値観の歪みを鋭く突いています。
多くの人が、成功者や勝者を「正義」とし、失敗や敗北を「悪」とみなす風潮に違和感を覚えたことがあるのではないでしょうか。この楽曲はそうした価値観を揶揄し、「本当に正義とは何なのか?」という根源的な問いを投げかけています。
歌詞中には、「ほら、青い春の夢が弾けて」のように、若さや理想の破壊を描いたフレーズも多く、夢見た正義のヒーロー像と現実とのギャップを描き出しています。この乖離こそが、楽曲が問いかける核心部分です。
「予定調和のループ」からの脱却を描く歌詞のメッセージ
楽曲の冒頭やサビに登場する「また同じオープニングテーマが鳴る」「予定調和の今日が始まる」という歌詞は、日常の繰り返しや変わり映えのない毎日を風刺しています。まるでテレビのシリーズ物のように、展開が読めてしまう「予定調和」な世界。
それは、個人の人生におけるマンネリズムとも言えるでしょう。いつも同じ朝が始まり、同じように終わる。それを「次回予告」として再び繰り返すという構造は、閉塞感と諦念を強く感じさせます。
しかし、そのループの中で「足掻く」姿も同時に描かれているのが印象的です。完全に飲み込まれるのではなく、そこから抜け出そうとする葛藤や苦しみが、リアルに表現されています。この足掻きこそが、日常を変えたいという内なる叫びであり、聴く者の心に強く響く部分でもあります。
MVに込められた視覚的メタファーとその意味
『次回予告』のMVには、架空の「自治体」や「市章」が登場します。これらは視覚的にユーモラスでありながらも、歌詞の世界観を補完する重要なメタファーです。たとえば「茂名区」など、ありそうでなさそうな名前の街と、その街のシンボルが登場します。
これらは、社会における“枠組み”や“ラベル付け”を象徴しているようにも見えます。「この街ではこうあるべき」「この役割にはこの性格であるべき」といった固定観念が、「予定調和」の世界を作り出しているのではないかという視点を提示しています。
また、映像中で繰り返される日常の描写は、まるでループするアニメのエンディングロールのようで、楽曲タイトルの『次回予告』と重なります。MVそのものが一つのメタ構造になっており、見れば見るほど新たな意味が浮かび上がる、深い仕掛けが施されています。
アニメ『戦隊大失格』とのタイアップがもたらす楽曲の深み
この楽曲は、TVアニメ『戦隊大失格』のオープニングテーマとして書き下ろされました。この作品自体が「正義の味方」として描かれてきたヒーロー像を再構築し、裏側にある矛盾や欺瞞に光を当てた内容となっています。
そのため、『次回予告』の歌詞が持つメッセージ――すなわち、正義と悪の境界が曖昧であるという視点――が、アニメのストーリーとも密接にリンクしています。主人公たちは、必ずしも「正義」とは言い切れない立場におり、彼らの葛藤や行動が視聴者に問いを投げかける構造です。
こうした設定の中で聴く『次回予告』は、単なる主題歌ではなく、物語の一部として機能します。視聴者がアニメを見終えたあと、この楽曲を聴き返すたびに、新たな気づきや感情が湧き上がるように設計されています。
キタニタツヤの過去作品との比較から見る『次回予告』の位置づけ
キタニタツヤは、これまでも『聖者の行進』や『冷たい渦』など、心の奥底に潜む暗部や社会的違和感を描く楽曲を数多く発表してきました。しかし『次回予告』では、その視線がより「社会全体」へと向けられている印象があります。
これまでの作品が内面への問いや個人の葛藤を描いていたのに対し、『次回予告』はより客観的かつアイロニカルに、社会構造の中での“個人”の位置づけを問い直しています。これは、キタニ自身の表現の幅がさらに広がったことの表れであり、アーティストとしての進化を感じさせる要素でもあります。
また、タイアップ作品という背景を超えて、独立した楽曲としても十分に成立する強度を持っている点も特筆すべきです。リスナーそれぞれの生活の中にある「ループ」や「正義」を重ねることで、強くパーソナルに響く楽曲へと昇華しています。