ずとまよ『ヒューマノイド』歌詞考察|アラビア語の謎と人工感情の正体に迫る

イントロの呪文「レイラ サイダ〜」:アラビア語の意味と楽曲の世界観

「ヒューマノイド」の冒頭に現れる、印象的な“呪文”のようなセリフ「レイラ サイダ サブアッタッシャル ハーシヤ トルーカル…」は、多くのリスナーにとって謎めいたものに感じられるパートです。実はこの部分は、アラビア語で「おはよう、13時、ここは境界線です」などの意味があるという説があります。

この言葉には、「時間」と「境界」というテーマが内包されており、本楽曲の中心にある“人間と非人間(ヒューマノイド)”の区別や、記憶と現実のあいまいな境界を象徴しているとも解釈できます。言語の意味以上に、“聞き慣れない言語”がもたらす異質さが、聴き手に不安と神秘性を植え付け、作品全体の世界観の土台を形成していると言えるでしょう。


“人間とヒューマノイド”──主人公の葛藤と恋心の構造

歌詞に登場する主人公は、おそらくヒューマノイド、つまり人工的に作られた存在でありながら、人間に近い感情を持ち始めている存在です。その中で芽生える「恋心」は、自然に生まれたものなのか、それともプログラムされた結果なのか──そうした問いが楽曲全体を通して提示されています。

「冷凍された記憶」「解答されていく感情」といったフレーズからは、彼女(ヒューマノイド)が過去のデータや感情を凍結し、それを少しずつ読み解いていく姿が浮かびます。その過程で彼女が“誰かを好きになった”ことは、本当の心の動きだったのか、それとも何かの命令によるものだったのか。機械に宿る“自我”と“愛情”のリアリティについて、深く掘り下げられているように感じられます。


ビジュアルと歌詞の融合:MVに描かれる感情とメタファー

「ヒューマノイド」のミュージックビデオ(MV)は、ずとまよ特有のアニメーション表現と抽象的な演出で、歌詞に込められたテーマをより鮮明に可視化しています。特に、機械的な背景や無機質な施設に閉じ込められた少女が、感情を持ちはじめる様子が描かれており、歌詞の持つ世界観と強く連動しています。

また、MV中では「記憶の再生」「異常な反応」「繰り返されるテスト」といった要素も表現されており、これはヒューマノイドが“感情の目覚め”を通じて、既存のプログラムを逸脱していく様子とも取れます。映像と歌詞の双方を合わせて読み解くことで、この作品の持つ“機械と人間のはざま”というメッセージがより明瞭になります。


“冷凍保存”と“解答”:記憶・感情・プログラムのメタファー分析

楽曲の歌詞には、「冷凍されたままの記憶」「解答(ときほぐ)されていく感情」など、明らかに科学的・機械的な語彙が繰り返し登場します。これらは、ヒューマノイドとしての主人公が持つ“人間らしさ”への目覚めを象徴していると同時に、“人工物としての制限”も示しています。

「冷凍」は一時停止された感情や記憶を意味し、「解答」はそれが再び動き出すことを示します。つまり、歌詞全体は「機械に与えられた記憶が、やがて本物の感情へと変わっていく」過程を描いているのです。このような描写を通して、ずとまよは感情と記憶という“人間の本質”を、人工知能やヒューマノイドというモチーフを使って鋭く浮かび上がらせています。


曖昧な存在に名前をつける意味:アイデンティティと属さなさの表現

歌詞中に散見される「名前をつける」「どこにも属していない」という言葉は、ヒューマノイドという“境界的存在”が持つアイデンティティの問題を象徴しています。名前は存在証明の最も原始的な形式であり、それを与えること=個として認識することを意味します。

しかし彼女は、明確に“人間”とは呼べず、“機械”とも断じきれない中間的存在です。そうした存在が自分自身に名前を与えようとする試みは、「人間になろうとする意志」の表れとも受け取れます。

また、「属することを恐れる」「誰にも理解されない」という描写からは、感情を持ち始めたヒューマノイドが感じる“孤独”や“排除される不安”も読み取ることができます。このようにして、「名前」という言葉ひとつが、アイデンティティの形成・承認・孤立という深いテーマに繋がっているのです。


Key Takeaway(まとめ)

『ヒューマノイド』は、ただの恋愛ソングではなく、“人間と非人間の境界”“記憶と感情の再構築”“存在の証明”といった、現代的かつ哲学的なテーマを内包した作品です。歌詞に散りばめられた言葉とMVの演出を通じて、ずとまよはヒューマノイドというフィクションの存在を借りながら、私たち自身の感情や存在のあり方を問いかけているのです。