藤井風の「やば。」って、初めて聴いたときどう感じましたか?
「タイトル軽すぎない?」「歌詞、意味深すぎて逆にやばい…」と戸惑った人も多いはず。
この曲は、恋愛ソングの皮をかぶりつつ、実は“承認欲求まみれの自分”と“本当の愛を知っている自分”がぶつかり合う、かなりスピリチュアルで内省的な1曲です。
この記事では、
**「藤井風 歌詞 意味 やば」**で検索してきた人向けに、
- 曲の基本情報やタイアップ
- タイトル「やば。」の意味
- 歌詞前半・サビ・後半ごとのストーリー解釈
- 「何なんw」「へでもねーよ」「まつり」とのつながり
まで、順番に丁寧に掘り下げていきます。
「やば。」はどんな曲?藤井風のプロフィールと楽曲の基本情報・タイアップ紹介
まずは曲の位置づけから整理しておきましょう。
藤井風と『LOVE ALL SERVE ALL』の中の「やば。」
藤井風は、岡山県里庄町出身のシンガーソングライターで、ピアノ動画をYouTubeに上げていたところから注目され、2020年の1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』で一気にブレイクしました。
「やば。」が収録されているのは、2022年3月23日リリースの2ndアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』。
このアルバムは「LOVE ALL, SERVE ALL(すべてを愛し、すべてに仕える)」という仏教・スピリチュアル的なメッセージを掲げた作品で、オリコンやBillboard Japanのアルバムチャートで1位を獲得しています。
公式サイトのクレジットを見ると、「やば。」はDisc1の4曲目に配置されており、作詞・作曲はもちろん藤井風、編曲は前作に続いてYaffle。
前後を挟むのは「へでもねーよ(LASA edit)」「燃えよ」「ガーデン」「damn」「ロンリーラプソディ」といった、どれも精神性の高い楽曲たちです。
タイアップとサウンドの特徴
「やば。」は、NTTドコモの「docomo future project」関連CMソングとしても起用されました。
CMの映像やプロジェクトのテーマ自体が“未来をつくる若者”に向けたメッセージ性の強いものだったので、
「自分のエゴを越えて、本当に大切なものに気づいていく」
という曲のテーマと、とても相性がいいタイアップだったと言えます。
サウンド面では、
- ゆったりしたテンポのR&B〜ソウル系バラード
- ウワモノが多すぎない、余白のあるトラック
- メロディはキャッチーなのに、コード進行が少し不穏で切ない
といった特徴があり、「SWVの“Weak”を思わせる」と評されることもあります。
つまり「やば。」は、
“おしゃれなR&Bバラード”の顔をしつつ、歌詞の中では自分の心の闇とガチで向き合っている曲
だと考えると、全体像が掴みやすくなります。
タイトル「やば。」に込められた意味とは?口癖・話し言葉から英訳歌詞まで徹底解説
たった3文字+「。」の重さ
日本語の「やばい」は、
- 「やばい!最高!」のポジティブ
- 「これ、やばいかも…」のネガティブ
どちらにも振れる、かなり曖昧なスラングです。
藤井風はその中から、
一番何とも言えない「やば…」というニュアンスを切り取って、
タイトルをあえて「やば。」と句点つきで表現しています。
この「。」がつくことで、
- 叫びではなく、独り言のようなテンション
- 感情が爆発した後の、静かな諦め・気づき
といった空気が生まれているのがポイントです。
軽いノリの言葉なのに、どこか「終止符」や「区切り」の感じが出るんですよね。
英語タイトル「YABA」と英訳との関係
公式サイトなどでは、曲名がローマ字で**「YABA」**とも表記されています。
海外向けの歌詞サイトでは英訳タイトルを「Oh my.」とするものもあり、
「やば。」=「Oh my(ああ、もう…)」という、ため息混じりの驚き・嘆きを表していると解釈できます。
さらに歌詞中には、ポルトガル語のフレーズ
「Porque isso não era amor」(それは“愛”なんかじゃなかった)
も登場します。
日常語の「やば。」と、英語・ポルトガル語が同居しているのは、
- カジュアルな一言では語りきれない複雑な感情
- “自分が思っていた愛”と“真の愛”のズレ
を多言語で補強している、とも読めます。
軽いタイトルでふっと掴んで、内側には普遍的なスピリチュアルなテーマを仕込む。
このギャップこそが、藤井風らしい“やばい”センスですよね。
歌詞前半の意味考察|「気づいてほしい」「返してほしい」に滲む偽りの愛と自己嫌悪
冒頭は“承認欲求まみれの自分”の告白
歌の冒頭で語られるのは、
ざっくり言うと「気づいてほしい/認めてほしい」という欲求です。
ここで歌われている“行為”は、
本来の愛ではなく、
「自分をよく見せたい」「認められたい」
という承認欲求から出発した行動
にすぎなかった、と後から気づいている状態だと考えられます。
- 相手に優しくしたのも
- 尽くしたのも
- 「好き」と言ったのも
すべては、どこかで「自分に返ってくること」を期待していた。
その結果として、
「返してほしい」「愛してほしい」と求め続け、
「そんなの愛じゃなかった」と自己否定する――
ここまでが、歌詞前半に凝縮されている流れです。
「情けない自分」と「情けなくない自分」の分裂
中盤で視点が切り替わり、
- 「承認欲求に溺れる情けない自分」
- その自分に「目を覚ませ」と語りかける、もう一人の自分
という二重構造が浮かび上がります。
歌詞考察サイトや本人の英訳を分析した記事では、
この“語りかける側”は、
- 理想の自分
- ハイヤーセルフ(高次の自分)
- 天使のような自分
として説明されることが多いです。
つまり前半は、
「承認欲求に振り回される自分」を
「もう一人の自分」が冷静に見つめている場面
と捉えると、すごくスッキリ読み解けます。
サビ「やば、やば、やば。」の本当の意味|天使と悪魔の自分の痴話喧嘩と〈墓〉のモチーフ
本人いわく「天使の自分と悪魔の自分の痴話喧嘩」
藤井風本人は「やば。」について、
「天使のような自分と悪魔のような自分が痴話喧嘩している感じ」
と語っていると紹介している考察記事があります。
ここでいう“天使”は、
- 見返りを求めない、本来の愛を知っている自分
- 相手の幸せだけを願える高い視点
“悪魔”は、
- 承認欲求と執着まみれの自分
- 傷つくことを恐れて相手を責める自分
といったイメージ。
サビで繰り返される「やば、やば、やば。」は、
- 「このままじゃ本当にやばい」
- 「こんな愛し方はもうやばい」
という自己ツッコミであり、
同時に、天使サイドから悪魔サイドへの**“最後通告”**のようにも聞こえます。
「墓まで行って、手を合わす」の二重の意味
歌詞の中で印象的なのが、
“何度も何度も墓まで行って、そのたびに手を合わせる”
というイメージです(ここは各種考察サイトでもかなり語られている部分)。
この「墓」は、
- ネガティブに読むなら
- 失敗や後悔を抱え込んで、**“死にたくなるほど落ち込む”**精神状態
- ポジティブに読むなら
- 過ちを悔いて、何度でも**“祈り直す場所”**
という二重の象徴になっています。
祈っても祈っても同じ過ちを繰り返してしまう自分に対して、
天使の自分は「もうやめよう」「もう責めるのはやめよう」と繰り返し語りかける。
サビの高揚感は、実は
自分の愚かさに絶望しながら、
それでも何度でもやり直そうとする、必死のもがき
のようにも聴こえてきます。
後半歌詞のストーリー解釈|輪廻転生・祈り・“まるだしの愛”というスピリチュアルなテーマ
子宮と墓を行き来する、人間の輪廻
歌詞解説ブログの中には、
「子宮」と「墓」を行き来するイメージとして「やば。」を読み解くものもあります。
- 生まれる場所=子宮
- 終わりの象徴=墓
この二つを何度も行き来しながら、
人間は同じ過ちを繰り返してしまう――という、輪廻転生のメタファーです。
ここまでくると、
「単なる失恋ソング」や「ダメ男の愚痴」ではなく、
「エゴを捨てきれない人間」そのものを描く
かなりスケールの大きいスピリチュアルソング
として見えてきます。
グルと弟子/ハイヤーセルフと人間、という読み
一部の考察では、この曲を
- グル(師)と弟子の対話
- ハイヤーセルフと人間の対話
として読む解釈も提示されています。
- 弟子=エゴまみれの“人間としての自分”
- グル=見返りを求めない“真の愛そのもの”
という構図です。
弟子は「返してほしい」「愛してほしい」と求め続け、
裏切られた、傷ついた、と嘆き、
そのたびに「やば…」と自分を責める。
一方でグル(師・ハイヤーセルフ)は、
- どれだけ裏切られても
- 傷つけられても
- 見捨てることなく
ただひたすらに“まるだしの愛”を注ぎ続ける存在として描かれます。
曲の終盤に向かうほど、
「見返りを求める恋」から
「見返りを求めない愛」へ
と、意識のフォーカスがゆっくりとシフトしていくのがわかります。
「LOVE ALL SERVE ALL」というアルバムタイトルが示す通り、
藤井風の楽曲全体には“すべてを愛し、すべてに仕える”というコアメッセージがありますが、
「やば。」はまさにその**“入口であり通過点”**のような位置づけの曲だと考えられます。
「何なんw」「へでもねーよ」「まつり」とのつながり|藤井風ワールドの中での「やば。」の位置づけ
最後に、「やば。」を藤井風の他の楽曲と並べてみると、
さらに深い物語が見えてきます。
「何なんw」から続く物語としての「やば。」
考察記事の中には、
「やば。」を1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』収録の「何なんw」の続編と見るものがあります。
- 「何なんw」
- ハイヤーセルフ側の視点で、ダメダメな自分にツッコミを入れる曲
- 「やば。」
- ハイヤーセルフとエゴまみれの自分が、ほぼ対等に言い合いをしている曲
というように、
ハイヤーセルフ vs エゴの対話が
段階を追って進んでいく
連作のように感じているファンも多いです。
「へでもねーよ」「まつり」とのセットで見える“成長”
『LOVE ALL SERVE ALL』のトラックリストを見てみると、
- きらり
- まつり
- へでもねーよ(LASA edit)
- やば。
- 燃えよ
- ガーデン
…
という流れになっています。
ざっくりと並べて物語化すると、
- 「へでもねーよ」
- ネガティブな出来事も“へでもない”と笑い飛ばす、少しやんちゃな姿勢
- 「やば。」
- 笑い飛ばせないレベルで、自分のエゴと向き合わざるを得なくなる曲
- 「まつり」
- 毎日を「祭り」と呼び、すべての出来事を祝福へと転換する曲
という、意識の成長プロセスが見えてきます。
「やば。」はその中間に位置していて、
「へでもねーよ」と笑っていた自分が、
本当に“やばい”ところまで落ち込み、
そこから“まつり”の境地へ向かうための通過儀礼
のような役割を担っている、とも読めるわけです。
まとめ:なぜ「やば。」はこんなにも胸に刺さるのか
ここまでの内容をぎゅっとまとめると、「やば。」は
- 承認欲求まみれの“偽りの愛”から抜け出そうとする自分
- それを静かに見つめて導こうとする**“天使の自分/ハイヤーセルフ”**
- 「墓」「子宮」といったイメージで描かれる輪廻・祈り・やり直しの物語
- 「何なんw」「へでもねーよ」「まつり」と地続きの、藤井風スピリチュアル・シネマの1章
といった要素が重なり合った、極めて奥行きのある曲だと言えます。
だからこそ、聴くタイミングや自分の状況によって、
「恋の後悔ソング」にも、「自己啓発ソング」にも、「祈りの歌」にも変わってしまう。
あなたにとっての「やば。」は、
どんな“やばさ”を映し出しているでしょうか。
ぜひもう一度、歌詞を追いながらじっくり聴き直してみてください。
きっと、前とは違う“やば。”が胸に響いてくるはずです。


