Tani Yuukiが2024年1月5日に配信リリースしたシングル「kotodama」。タイトルが示すように「言葉の霊力=言霊」をテーマに、<言葉/想い/届く/届かない>といった境界を揺らしながら描かれるこの楽曲は、歌詞・音像・映像(MV)それぞれに細やかな演出が込められています。今回はその歌詞の意味を深掘りし、Tani Yuuki自身が描き出した世界観を読み解っていきましょう。
“「言霊」=言葉が現実を動かす”――タイトルと制作背景から読み解く楽曲テーマ
「kotodama」という言葉をそのままタイトルに据えることで、本楽曲が表現しようとしているものは“ただの恋愛歌”ではなく、言葉そのものに宿る力、言葉によって変化する感情・状況・関係性だということが伺えます。実際に、記事によればこの曲はホールツアー「Tani Yuuki Hall Tour 2023 “kotodama”」のテーマソングとして制作されたことも明かされています。
一つの言葉、かけられた言葉、残された言葉――それらが時間の中で反響し、相手の胸に着弾する瞬間を、この曲は「言霊」として捉えています。歌詞の冒頭の〈一人じゃ生きられないのに僕たちは独りにならなくちゃ〉というフレーズからも、言葉と存在/距離感の揺らぎが感じられます。
このように、タイトルと背景制作を押さえることで、歌詞を読む視点が「言葉がどう働くか/どう残るか」にシフトし、より深く意味を受け止められるようになるでしょう。
“独りにならなくちゃ”――冒頭歌詞が描く“孤独とつながり”の二律背反
歌詞冒頭の〈一人じゃ生きられないのに僕たちは独りにならなくちゃ〉という言葉には、「つながりを求めているのに、あえて距離を取る」という矛盾・葛藤が映し出されています。これは、言葉を交わしている/交わさないという選択の中で揺れる心情そのものとも読み取れます。
このフレーズから考察できるのは、「相手に言葉をかけたら変わってしまうかもしれない」「言葉をかけなければそのままでいられるかもしれない」というリスク・選択の意識。そこには“言葉が発する力”=“言霊”の影も見え隠れします。
また、「独りになる」という語が単純な孤独ではなく、「言葉を出し切った後の独り」「言葉を出せずに残った独り」という複層的な意味を内包しているのも興味深い点です。つまり、つながりを選ぶか離れるか、それを言葉によって手繰るか断つか、という心の動きがそのまま冒頭に描かれているわけです。
その後の歌詞展開では、〈見失ってしまうから/一握りの加減すらわかんないんだ〉というように、言葉を選ぶ難しさ、言葉を交わすことによる “変化” を恐れる心理も提示されています。これにより「言葉を交わす=動きが生まれる/交わせない=現状維持」という構図が浮かび上がります。
このように冒頭から既に「言葉がもたらす変化」と「言葉を飲み込むことで保たれる静けさ」の二律背反が提示されており、曲全体を貫くテーマの入口として非常に重要です。
着信音と“電話”モチーフ――MVの演出が示す「届く/届かない」距離感
歌詞の分析だけでなく、映像面の演出も「言葉の届き方」に深く関わっています。MVでは、電話・スマートフォン・着信音など“通話/発信”を象徴するモチーフが随所に散りばめられていることが報じられています。
例えば、「少女がスマホを手にして夜を過ごす」という描写からは、“今かかってくるかもしれない/今かけるかもしれない”という緊張感、そして“そばにいるのに言えない”“距離があるのに言えてしまう”という二重の距離感が生まれます。
この“電話”という装置は、物理的には近くても心の中には遠さがあるという感覚、逆に物理的に遠くても言葉が届くという可能性、を同時に可視化します。MVを念頭に置いて歌詞を読むと、〈声〉〈言葉〉〈届けたい想い〉というテーマがより鮮明になります。
また、言葉を発する・発しないという選択を「電話をかける/かけない」「着信が鳴る/ならない」という演出で暗示しており、言葉の持つ「届く/届かない」という二重性を強調しています。ゆえに、歌詞だけでなく映像演出も含めて楽曲を捉えることで、言葉の力が“音”として、“映像”として、そして“感情”として伝わる構造が浮かび上がるのです。
揺れる“君”への心情――未練・自己肯定・本音が交差する語り口の分析
歌詞には〈君〉という存在が語り手にとって不可欠ながらも、“今”確定していない距離感で描かれています。「君に言いたい」「君に届くか不安」「君といたい、でも自分の言葉に迷う」という心情が重なって、揺れ動く語り口が生まれています。
この中で特に注目すべきは「未練」と「自己肯定」の交錯です。言葉を掛けることで“自分がどう見られるか”“言葉がどう作用するか”を自意識的に考える語り手の姿が見えます。「言葉をちゃんと選びたい/でも素直な気持ちを言いたい」というこの葛藤こそ、“言霊”というテーマにリンクしています。
例えば「一握りの加減すらわかんないんだ」というフレーズが示すのは、“言葉の重さ”や“言葉を発した後の変化”への恐れです。言葉を一粒一粒選ぶという行為には、発した後の影響を知っているからこそ慎重になってしまう。
さらに、「君」という存在に対して“問いかけ”“願い”“期待”が交互に現れ、「届くか届かないか分からないけれど言葉を残したい」という気持ちが、歌詞全体のしなやかな緊張感を生んでいます。これにより、言葉がただ「伝える」ための手段ではなく、「自分の存在証明」「関係の確認」「心の在り処」のようにも機能していることが読み取れます。
ライブで育つラブソング――ホールツアー「kotodama」との相互作用と受け取り方の変化
この楽曲「kotodama」は、タイトルどおりにツアー「Tani Yuuki Hall Tour 2023 “kotodama”」のテーマソングとして発表されただけでなく、ライブを通じて育ち、ファンとの関係性の中で新たな意味を帯びていくタイプの作品でもあります。
ライブという場で歌われる際、言葉が“生で交わされる”という性質が加わります。観客が声を発し、歌い手が反応し、時間と空間を共有することで、歌詞で描かれた「言霊」の赴きがリアルになります。つまり、言葉が“楽曲”として成立したときだけでなく、“その場で発せられた言葉/聴かれた言葉”として機能する瞬間に、本当の意味を持つのです。
このことから、ブログ読者の方へ伝えたいのは「歌詞は発表時点で終わりではない」ということ。ライブやファンとのやりとり、時とともに変わる聞き手の状況によって、同じ歌詞でも“届き方”が変化します。ゆえに、楽曲を考察する際には「リリース当時の状況」「ライブの演出」「ファンのリアクション」なども併せて見ることで、より豊かな解釈が可能となります。
加えて、言葉が“その場”で生まれて“その場”で受け取られるという構造は、まさに「言霊」の概念と重なります。言葉をただ発するのではなく、発した言葉がどう響き、どう変化していくのか――その可能性がライブには宿っているのです。


