【空に歌えば/amazarashi】歌詞の意味を考察、解釈する。

amazarashi(アマザラシ)がアニメ「僕のヒーローアカデミア」のオープニングテーマとしてリリースした「空に歌えば」。

しばらくぶりに、親しみやすい応援ソングが登場しました。

amazarashiらしさが際立っており、タイアップの影響が感じられないほど素晴らしいですね。

ただし、歌詞にはいつも通り難しい言葉が使われています。

意味を整理して自分なりの理解を書き留めることにしようと思います。

amazarashiのテーマ

amazarashiのテーマはアンチニヒリズムです。

amazarashiの楽曲を聴くと、暗い印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。

彼らは世界を悲観的に見るだけでなく、その中に希望や明るさを見出そうとしています。

悲しみや苦しみが降り注ぐ曇天を切り裂く

シングル「空に歌えば」の初回限定版にはAタイプとBタイプの2つがあります。

AタイプにはCD、DVD、ラバーバンドが付属しており、BタイプにはCDとラバーバンドが含まれています。

DVDには、2017年のツアー「メッセージボトル」でのヨクト、少年少女、命にふさわしい、そして「僕のヒーローアカデミア」のオープニングムービーが収録されています。

CDには以下の曲が収録されています。

  • 空に歌えば
  • 月光、街を焼く
  • たられば
  • たられば-acoustic ver.-
  • 空に歌えば-TV edit

「僕のヒーローアカデミア」とは、成績不振だった主人公が最高のヒーローを目指して成長していくヒーロー漫画作品です。

amazarashiがジャンプ漫画の主題歌を歌うことに、何か違和感を覚えるかもしれません。

ボーカルの秋田ひろむさんは次のように語っています。

僕らのようなバンドが少年漫画の王道的作品である『僕のヒーローアカデミア』の主題歌を歌えるのかと、はじめは戸惑いました。 しかし、原作とアニメを拝見し、“無個性”だった少年が努力の末に“個性”を獲得し、勝利へと立ち向かう姿は、僕らがずっと歌ってきた物語と重なる気がしました。 雨を冠したバンド名ではありますが、曇天を切り裂き青空に歌うような気持ちで曲を作りました。よろしくお願いします。

「僕のヒーローアカデミア」の世界は、世界総人口の約8割が超常能力“個性”を持つ超人社会です。

個性を活かして悪事を企む敵と、それを取り締まるヒーローが存在します。

主人公は“無個性”でありながらも、ヒーローになる夢を諦めません。

彼を笑う“個性”を持つ同期たちもいます。

ある日、悪者に襲われた際にヒーローに助けられます。

そのヒーローに「ヒーローの素質」を見出され、彼の“個性”の後継者に選ばれました。

努力の末に、“個性”を手に入れたのです。

この物語がamazarashiが歌ってきた物語と重なるとされています。

また、バンド名は「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨にたとえ、僕らは雨にさらされているが、“それでも”というところを歌いたい」という理念から名付けられました。

「空に歌えば」は、悲しみや苦しみが降り注ぐ曇天を切り裂くという、まさにamazarashiらしいタイトルと言えます。


虚実を切り裂いて 蒼天を仰いで 飛び立った永久
空に歌えば 後悔も否応なく
必然 必然 なるべくしてなる未来だ 
それ故、足掻け

蜃気楼 涙の川を漕ぎだして 幾星霜
さよなら 行かざるを得ない 何を失ったとて
忘れない 悔しさも 屈辱も 胸に飾って

虚実を切り裂いて 蒼天を仰いで 飛び立った永久
空に歌えば 後悔も否応なく
必然 必然 断ち切るには眩しすぎた 未来へ、足掻け

人を傷つけずには 本懐は遂げられぬ
失って 構わないと思える 理想が道標
笑うなら 笑ってよ 嘲笑も
道連れにして

あの日の君の声 言いたかったこと 言えなかったこと
空に歌えば 後悔を振り切って
必然 必然 投げ出すには背負いすぎた
それ故、足掻け

苦悩は一陣の驟雨(しゅうう)となりて
行かずものかと足に綴る嘲笑の泥濘
雨雲に遊泳 隔離された空
捕縛された暗がりからの逃走
掴んだものはすぐにすり抜けた
信じたものは呆気なく過ぎ去った
それでもそれらが残していったこの温みだけで
この人生は生きるに値する
失意の濁流を抜けて 曇天から指す一条の光
その時には 既にもう
雨は上がっていた

虚実を切り裂いて 蒼天を仰いで 飛び立った永久
空に歌えば あの日何か叫んでいた君の声
言いたかったこと 言えなかったこと
空に歌えば 後悔の連れ立って
必然 必然 終らすには無くしすぎた
それ故、足掻け
有限 有限 残り僅かな未来だ
それ故、足掻け

苦悩はいつか消えるという希望

先ほども述べたように、バンド名には雨が悲しみや苦しみを象徴する意味が込められています。

この曲は、悲しみや苦しみが降り注ぐ曇天の中で、屈辱や嘲笑、後悔を抱えながらも前進するという意味が込められており、まさにamazarashiらしい応援歌として捉えられます。

また、インターネット上のインタビューで、彼らはこのように語っています。

──『ヒロアカ』の物語に添いながら、これまでにないほど力強く、歌詞がストレートに響いてきます。「有限の時の中で、迷いや後悔もそのまま抱きながら足掻け」というポジティブなメッセージ。これは秋田さん自身が、今そう感じていることですか? どういう思いからこの歌詞が出てきましたか?

はい、今の気持ちを歌詞にしました。普段はわりと理詰めで歌詞を書くんですけど、この曲に関しては勢いで書いた方がいいだろうと思ってそうしました。メロディーと疾走感に寄り添うように意識しながら、感覚を大事に作りました。雨曝しと名付けた僕らが青空の歌を歌う、という一つのゴールかなと思います。もちろんすべて終わりのハッピーエンドではなくて、限りあることを理解した上で足掻けという歌なので、(つづく)みたいな歌だと思ってます。


虚実を切り裂いて 蒼天を仰いで 飛び立った永久
空に歌えば 後悔も否応なく
必然 必然 なるべくしてなる未来だ 
それ故、足掻け

「与えられた環境や状況にいるのは偶然ではなく必然であり、運命のようなものだ。後悔してもしなくても憂いても仕方がないのだから、抜け出す努力をすべきだ」
(カギカッコ内は個人的な解釈を言葉にしたもの)

虚実=無いこと有ること。うそとまこと

蜃気楼 涙の川を漕ぎだして 幾星霜
さよなら 行かざるを得ない 何を失ったとて
忘れない 悔しさも 屈辱も 胸に飾って

「涙の川を漕ぎ出す、つまり苦しい状況から脱出しなければならない。どんなことがあっても、これまでの苦しみを力にして。」

幾星霜=長い

人を傷つけずには 本懐は遂げられぬ
失って 構わないと思える 理想が道標
笑うなら 笑ってよ 嘲笑も
道連れにして

「目標を達成するためには犠牲が伴うかもしれない。自分を笑った人々も、その経験を糧にして進むのだ」

本懐=かねてからの願い。本望。本意

苦悩は一陣の驟雨となりて
行かずものかと足に綴る嘲笑の泥濘
雨雲に遊泳 隔離された空
捕縛された暗がりからの逃走
掴んだものはすぐにすり抜けた
信じたものは呆気なく過ぎ去った
それでもそれらが残していったこの温みだけで
この人生は生きるに値する
失意の濁流を抜けて 曇天から指す一条の光
その時には 既にもう
雨は上がっていた

(上の部分の歌詞は語りです)
この部分は比較的、率直な表現が多いですね。

わかりやすい歌詞が、魂のこもった語りに乗って心に深く響きます。

「驟雨」とは、突然降り出す雨のことです。

苦悩を突然降り出す雨と表現することで、苦悩はいつか消えるという希望を暗示しています。

掴んだものや信じてくれた人々が残してくれた温かさに気付くことで、雨、つまり苦悩が消え去ったのです。

ますます大きくなっていくamazarashi

タイアップとは思えないほど、amazarashiの独自性が際立っていると感じました。

本当にamazarashiらしい色合いが強く出ていますね。

秋田さんも、バンドとアニメの物語がかなり重なったと感じたでしょうね。

明るいド直球の歌詞で心の支えになる点や、明るい曲調である点で『もう一度』や『ジュブナイル』と共通する部分を感じました。

アニメの主題歌が増えて広告も増えて、ますます大きくなっていくamazarashiですが、これからも変わらず私たちを支え続けてくれることでしょう。