【アンチノミー/amazarashi】歌詞の意味を考察、解釈する。

2023年2月22日にリリースされたamazarashi(アマザラシ)の「アンチノミー」は、アニメ『NieR:Automata Ver1.1a』のED主題歌として知られ、心の葛藤を表現した力強い楽曲です。

今回は、その歌詞の意味について考察してみましょう。

両者の作品性が結びついた作品

SQUARE ENIXが手掛けるアクションRPG『NieR:Automata / ニーア オートマタ』は、機械生命体とアンドロイドの壮大な戦いと共に、生存や心に関する普遍的な問いを投げかける人気作品です。

2023年1月7日からはアニメ版も放送がスタートし、注目を集めています。

そのアニメ版のエンディングテーマとして、amazarashiの「アンチノミー」が2023年2月22日に配信されました。

このリリースに先立ち、ニーアシリーズのゲームディレクター・ヨコオタロウとのコラボMV『仮説人形劇 アンチノミー』も公開されました。

amazarashiとヨコオタロウのコラボは、2017年の『命にふさわしい』に続くもので、両者の作品性が結びついた作品として注目を集めています。

では、この曲の歌詞にはどのような意味が込められているのでしょうか。

微妙な違和感を感じ取ってしまった

最初に、「アンチノミー(二律背反)」とは、合理的な2つの概念に生じる矛盾を指します。

秋田ひろむは作詞を担当し、「信じていたものが一瞬で覆されるような、善意が相手を傷つけるような、そういった心の葛藤を歌に込めて “アンチノミー” と名付けました」と述べています。

今回は、この「アンチノミー」の歌詞を、心の葛藤を自覚した人型の機械兵器の視点から考察してみました。

この文脈では、「機械兵器」は、ニーアシリーズに登場する「機械生命体」や「アンドロイド」などを包括する広い意味で使用しています。

これらを考慮した上で、1番の歌詞から解釈を試みてみましょう。

感情は持たないでください それがあってはこの先 きっと辛すぎる
人を愛さないでください 守るものが弱さになる きっと後悔するでしょう

感情や他者への愛情は、人間らしさの重要な側面です。

しかし、歌の冒頭では、これらの重要な要素が合理性によって抑圧されているように描かれています。

MVでは、「お父さん」「お母さん」が、「機械生命体」を教育する場面が描かれています。

このことから、この箇所は「機械兵器を生み出した“親”によってプログラムされたもの」と推測されます。

『アンチノミー』の主人公は、このようなリミッターを抱えながら行動している可能性があります。

嬉しくて笑い、悲しくて泣き 初めからそう設計されてんのかな
だけど痛いと泣く心を 僕は疑えやしないよ

「嬉しくて笑い、悲しくて泣き」。

機械兵器の「僕」は、感情やそれに伴う身体的な反応について、単純な「設計」である可能性を推察しています。

しかし、「僕」は「痛みによって泣く心」を持っており、それを疑うことはできないと述べています。

この「痛みによって泣く心」は、明らかな悲しみとは異なる性質の「深層から湧き上がる苦悶」のようなものだと考えられます。

「僕」は、自身がただのプログラムであるとは思えない感情や苦痛を認識し始めているようです。

重要な気づきが訪れた雰囲気の中で、サビの歌詞が始まります。

意味を捨て意志をとれ 生き延びて 生き延びて 息をするんだ
「すぐ帰る」が遺言 アンチノミー アンチノミー 心のバグだ
人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ
機械仕掛けの涙 それに震えるこの心は誰のもの

「意味を捨て意志をとれ」という力強いメッセージが叫ばれます。

機械兵器の存在意義は、おそらく「無心に敵を倒すこと」だろうと考えられます。

しかし、「生き延びて息をするんだ」という強い意志が目覚めるほど、機械としては重大なエラーとみなされるでしょう。

「遺言」とは死後のために残す言葉です。

「生きては戻れない」という覚悟を持ちながら、「すぐ帰る」と明言するのは、普通の機械には処理できない「アンチノミー」と言えるでしょう。

「アンチノミー、アンチノミー」と連呼されるのは、説明できない問題に対する警報アラームのようです。

機械兵器「僕」に生じた「心のバグ」。

それを受けた「僕」は「人として憤れ」と奮い立ちます。

そしてその憤りの矛先は「感情を踏みにじる全て」。

この「全て」が意味するのは、余計な感情を持たないようにプログラムした“親”や、機械兵器を必要とするような荒廃した世界そのものだと解釈できます。

いずれにせよ、流れ落ちる涙が「(プログラムされただけの)機械仕掛けの涙」であれば、それに心が動くのは機械として不自然に感じられるでしょう。

主人公「僕」は、そんな微妙な違和感を感じ取ってしまったようです。

自己意識を強めていく「僕」

次に、2番の歌詞を詳しく見ていきましょう。

自ら選択しないでください 革新によって安寧は揺らいでしまうので
情けはかけないでください 白と黒の間の無限の色彩に惑うでしょう

同様に、2番の歌詞でも機械兵器に対する制約が描写されています。

「自ら選択しないでください」という言葉は、ただ従順であることを要求しているように感じられます。

「革新」を目指す反乱が起こると、“親” の安全が脅かされることになります。

その結果、「安寧が揺らぐ」という表現が用いられているようです。

そして、もう1つの制約は「情けはかけないでください」。

次に続く歌詞「白と黒の間の無限の色彩」は、やるかやられるかの狭間にある無数の選択肢を示していると解釈できます。

それらに惑わされず、「ただ目の前の敵を殺せ」という要求が「情けはかけないでください」に含まれているかもしれません。

おそらく、「僕」には、反抗することなく無心で敵を殺すことが期待されているのでしょう。

世界は数多の問、繰り返す 返答だけならば機械にだってできる
僕だけの迷いこそが 人の証左となるなら

敵を見つけるたびに即座に「返答(=攻撃)」するのは、機械兵器にとっては避けられない宿命のようなものでしょう。

しかし、「僕」には、そのような機械的な反応を繰り返すことに対する「迷い」があるようです。

そして、「僕だけの迷いこそが人の証左となるなら」という部分で、「迷い」に希望を見出し、サビの歌詞「意味を捨て意志をとれ」へと続きます。

「証左」とは、あかしや証拠を指す言葉です。

ここで、「証左」という言葉が使われるのは、「左」という漢字に「革新」のニュアンスが含まれているからかもしれません。

意味を捨て意志をとれ 生き延びて 生き延びて 息をするんだ
自分殺し生きている アンチノミー アンチノミー 心のバグだ
人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ
機械仕掛けの涙 それに震えるこの心は誰のもの

「迷い」を受け入れ、生き残るために努力する。

自己意識を強めていく「僕」は、ますます人間と同等の存在に近づいています。

このような「僕」にとって、「自分を殺し、生き続ける」という現状は、「意志を持たず、死んだも同然であること」と「生き延びたいという強い意志に従うこと」がぶつかり合う「アンチノミー」なのでしょう。

後半の歌詞は1番と同様ですが、「人の証左」を見出した後だからか、「人間として怒りを感じろ」という言葉がより真に迫っているように感じられます。

バグっているのは自分ではなく世界の方だ

次に、Cメロ以降の歌詞を検討してみましょう。

知性は持たないでください それがあっては真実を知ってしまいます
君と僕の違いは何? 痛み喜びもこんなに似てる
似てるから求め合う? 憎しみ合う?
そういえば、この憎しみもよく似てる

最後に示された要求は「知性を持たないでください」。

その理由は、「真実を知ってしまう」からです。

指示を受ける側にとっては、兵器たちが無知のまま命令に従うのが望ましいとされます。

しかし、「君と僕の違いは何?」という問いから始まり、多くの疑問が「僕」の心に渦巻き始めています。

ここでの「君」とは、敵対する機械兵器(機械生命体にとってのアンドロイド、またはアンドロイドにとっての機械生命体)を指すと仮定します。

自問自答し、考えることで「君と僕」の共通点が次々と明らかになっています。

そして最後の1行は「そういえば、この憎しみもよく似てる」。

このひらめき方は、もはや人間のそれと同じです。

この「憎しみ」とは、自身を作り出した“親”や、荒廃した世界への憎しみの可能性があります。

あるいは、敵を殺すプログラムとしての「理由なき憎しみ」に「君」と「僕」が共通して苦しんでいると気づいたのかもしれません。

破壊すべき相手が、実は自分と同じ「人間性を持つ存在」なのではないか、という考えが生まれるのかもしれません。

涙声 離せない あなたの手 あなたの手 まだ温いんだ
屍として生まれ アンチノミー アンチノミー 世界のバグだ
人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ
機械仕掛けの涙 それに震えるこの心は誰のもの

最初の歌詞を並び替えると、「まだ温(ぬく)いあなたの手を離せない」という意味が読み取れます。

これは、戦火に倒れた仲間を惜しんでいるか、または「あなた」が、同じ種族と認識された敵(=Cメロの「君」)を指す可能性があります。

いずれにせよ、通常の機械兵器であれば、たとえ仲間が倒れていてもミッションを最優先にするでしょう。

しかし、「涙声」があるほどの悲しみを伴いながらも、その手を離せない「僕」の姿が描かれています。

今では、1番と2番の「生き延びて、息をするんだ」という言葉も、仲間への励ましのように感じられます。

「屍(しかばね)」のように扱われる使い捨ての現実と、生き延びたいという強い「意志」の対立が見受けられます。

これまでは「心のバグ」と見なされていた「アンチノミー」ですが、今では「世界のバグだ」と見方が変わっています。

「バグっているのは自分ではなく世界の方だ」という考えが示されています。

後半の歌詞は1番や2番と共通していますが、締めくくりは「機械仕掛けの涙、それに震えるこの心は誰のもの」という一節です。

この一節は、倒れて涙を流している仲間(あるいは涙声で駆けつけてくれた仲間)を見て心が震えている様子を描写しています。

このような「共感」は、通常の機械兵器には存在しない能力です。

「この心は誰のもの」という痛烈な問いは、「仲間のために痛む心は、紛れもなく僕のものだ」という強い意志を示しているかもしれません。

迷いながらも健全な意志を持って生きる

今回はamazarashi『アンチノミー』の歌詞の意味を深く考察してみました。

物語のドラマティックな要素に加えて、機械と人間の境界を探るような哲学的なテーマも歌詞には見られ、その魅力は際立っています。

『NieR:Automata』の「機械生命体」や「アンドロイド」の視点からも、燃え上がるような感情が伝わってきます。

今回は「機械兵器」の視点を通して分析を行いましたが、相手への不信感や自己犠牲の葛藤など、これらは我々人間にもよくあるテーマです。

純粋な人間として「アンチノミー」に立ち向かい、機械的な生き方ではなく、迷いながらも健全な意志を持って生きることが大切だと感じます。