怖いものが苦手なのに、ついその先を見てしまう。もうやめようと思いながら、次の扉を開けてしまう。
シユイの「ホラゲ」は、そんな矛盾した気持ちを題材にした楽曲です。不穏な出来事を描く歌詞には、怯える様子だけでなく、強がりや軽口のような言葉も混じっています。
本記事では、この曲を、怖さを感じながら、その世界との関わり方を自分で選んでいく歌として考察します。
作詞を手がけた獅子志司の公式コメントを手がかりに、タイトルの意味と、歌詞の中で変わっていく恐怖への態度を読み解きます。
※制作背景は公式発表に基づき、歌詞の意味については筆者の解釈を含みます。
「ホラゲ」はどんな曲?獅子志司との再タッグ
「ホラゲ」は、2026年10月28日に配信リリースされたシユイの楽曲です。作詞・作曲・編曲を獅子志司が担当しています。
ソニーミュージックの公式発表によると、二人がタッグを組むのは「君君舞」以来。獅子志司は今回、ホラーゲームを遊んでいるときの感情を題材にし、恐怖や不安があっても好奇心が勝ってしまう感覚を描いたと説明しています。ソニーミュージックオフィシャルサイト
この制作背景を押さえると、歌詞に登場する怪異や不穏な情景も、遊んでいる人の感情と合わせて読むことができます。
注目したいのは、何が襲ってくるのかだけでなく、それに出会った語り手がどんな反応をするのか。怯えたり、強がったり、それでも先へ進もうとしたりする心の動きが、この曲を読む手がかりになります。
タイトル「ホラゲ」の意味と、言葉遊びの面白さ
「ホラゲ」は、一般にホラーゲームを略して呼ぶときに使われる言葉です。この曲でも、ゲームを遊ぶ感情を描いたという制作者の説明と結びついています。
興味深いのは、題材のおどろおどろしさに対して、タイトルには普段の会話に近い気軽さがあることです。
誰かと一緒に遊ぶゲームを選ぶときや、実況動画について話すときにも使えそうな呼び方。その短い言葉の中に、怖い世界を娯楽として楽しむ距離感が感じられます。
また、歌詞では、似た響きが異なる意味を伴って登場します。虚勢を張るような言葉と、相手に呼びかけるような言葉が、音の近さによってつながっていく。そのため、恐ろしい場面を描いていても、言葉の運びには遊びが残っています。歌ネット
恐怖の中でも口だけは達者でいたい。そんな語り手の強がりが、タイトルの気軽さと響き合っているように読めます。
怯える自分と、強がる自分が同時にいる
ホラーゲームでは、先へ進まなければ何が起こるか分かりません。けれど、先へ進むほど、見たくなかったものに出会う可能性も高まります。
この曲で描かれる反応にも、逃げたい気持ちと、まだ終わりたくない気持ちの揺れが感じられます。
ここでの強がりは、恐怖を感じていない証拠とは限りません。むしろ、怖さに圧倒されそうだからこそ、わざと余裕のある態度を取っているのかもしれません。
たとえば、怖い映像を見ながら思わず画面に突っ込みを入れるとき。黙って見つめていると耐えられないために、言葉を挟んで、少しだけ自分の居場所をつくることがあります。
その感覚を重ねると、この曲の軽口は、語り手が恐怖に飲み込まれないための身振りとしても読めます。
怖がっている姿と、楽しもうとする姿は矛盾しない。 二つが同時に存在するからこそ、ゲームを途中でやめられない気持ちが伝わってくるのです。
「内なる恐怖」が示す、想像してしまう怖さ
歌詞の中で注目したいのが、「内なる恐怖」という短い表現です。歌ネット
外から襲ってくる何かを描く曲の中に、自分の内側へ目を向ける言葉が置かれています。ここには、怖さをつくるのは目の前の出来事だけではない、という読み方ができます。
暗い廊下に、まだ何も現れていない。それでも、角の向こうに何かいるかもしれないと考えた瞬間、そこを通ることが難しくなる。
この例で恐ろしいのは、実際に見えたものより、これから起こるかもしれないことです。ホラーゲームの怖さには、自分の想像によって大きくなる部分もあります。
そのように考えると、語り手が向き合っているのは、怪異であると同時に、先を想像して怯えてしまう自分でもあるのでしょう。
日常の不安に重ねるなら、新しいことを始める前に失敗ばかり思い浮かべてしまう感覚ともつながります。ただし、これはゲームを題材にした歌詞から広げた解釈です。制作者が特定の人生上の悩みを描いたと断定するものではありません。
終盤で変わるのは、恐怖との関係
終盤では、変わらない状態を抜け出そうとする気持ちが前に出てきます。そして、恐怖に対して「愛そう」と呼びかける言葉が現れます。歌ネット
この変化を、語り手が完全に怖さを克服したと捉える必要はないと思います。
ホラーゲームを楽しむために、怖くなくなることが必要なのでしょうか。もし一切怖くなくなったら、先へ進む緊張感や、危機を切り抜けたときの喜びも変わってしまうはずです。
ここで変わるのは、怖い世界そのものというより、それを受け止める語り手の態度ではないでしょうか。
最初は、起きた出来事に反応するだけで精いっぱいだった。けれど、次第に、その刺激を自分から引き受けようとし始める。恐怖に振り回されながらも、遊ぶ側としての意志を取り戻していくように見えます。
だから、この終盤には単純な安心とは違う解放感があります。もう何も起こらないから安心するのではなく、また何か起こるかもしれない世界へ、自分の意志で関わっていくのです。
怖いまま、次の扉を開ける歌
「ホラゲ」の面白さは、恐怖と好奇心のどちらか一方だけを選ばないところにあります。
怖いから逃げたい。それでも、続きが気になる。
その二つの気持ちがせめぎ合う時間こそが、制作者のいう、ホラーゲームを遊んでいるときの感情なのでしょう。
この曲を日常と重ねて聴くなら、不安が消えるのを待ち続ける自分に、別の選択肢を見せてくれる歌とも受け取れます。怖さが残っていても、興味を持ったものに少し近づいてみる。その一歩まで、不安に決めさせなくてもいい。
語り手の強がりや遊び心は、そんな小さな意志の表れにも感じられます。
「ホラゲ」が描くのは、怖がる自分を抱えたまま、その先を確かめたくなる人の姿です。だからこそ、その姿には、ゲームの画面を越えて共感できるものがあるのではないでしょうか。


