サカナクション『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』歌詞の意味を考察|忘れられない恋と音楽の関係

ある曲を聴いた途端、しばらく思い出していなかった人の顔が浮かぶ。もう気持ちは落ち着いたと思っていたのに、その人と過ごした時間が急に近く感じられる。音楽には、ときにそんな力があります。

サカナクションの『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』も、音楽とともによみがえる記憶を描いた楽曲として読むことができます。

本記事では、過去の恋を思い出してしまう自分を、音楽のせいにして受け止めようとする歌という視点から考察します。相手を忘れたい気持ちと、その記憶から離れられない気持ち。その揺れに、タイトルのユーモアがどのように関わっているのかを見ていきましょう。

なぜバッハなのか?本人の発言から考える制作背景

本作は2011年7月20日に発売されたシングルです。作詞・作曲を山口一郎、編曲をサカナクションが担当しています。

タイトルに歴史的な作曲家の名前が登場するため、難しいクラシックの知識が必要な曲だと思う人もいるかもしれません。しかし、制作の出発点はもっと身近なものでした。

発売日のラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』で山口は、実際にバッハを聴いていたことや、自分に起きたことを歌にして共感につなげたかったことを説明しています。また、クラシックを聴くときの少し背伸びした、大人びた気分を、面白おかしく歌おうとしたとも語っています。

この背景を踏まえると、タイトルには、音楽を楽しんでいる自分を少し離れたところから眺めるような視線が感じられます。

バッハという名前の重厚さと、日常の言い訳にも聞こえる丁寧な語尾。その組み合わせが、どこかおかしく、同時に親しみやすい。感傷に浸っている自分を大げさに演出するような、照れも読み取れるのです。

音楽の「せい」にしたくなる恋心

タイトルの面白さは、心が揺れた理由を音楽に求めているところにあります。

過去の恋という視点で読むなら、主人公は、自分の中にまだ相手への感情が残っていることを、すんなり認められないのでしょう。

もう大丈夫だと思っていた。普段は思い出さずに暮らせるようになった。それなのに、ふとした拍子に寂しさが戻ってくる。そんなとき、人は自分の気持ちに戸惑います。

音楽を理由にすれば、今夜だけ感傷的になっているのだと説明できます。普段の自分と、今揺れている自分の間に、小さな距離を作れるのです。

音楽に責任を預ける言い方は、未練を隠すための照れであり、その気持ちを一時的に許すための工夫とも読めます。

ここには、完全に立ち直ったとも、いつまでも待ち続けるとも言い切れない人の姿があります。自分で思うほど、心を自由には動かせない。その扱いにくさが、この曲の切なさにつながっているのではないでしょうか。

同じ月が違って見えるのはなぜか

歌詞では、見慣れた月に心を奪われる感覚と、かつて相手が月を見ていた姿が結び付けられています。

ここで注目したいのは、特別な景色を見つけたわけではないことです。いつもの風景に、以前とは違う意味が生まれています。

誰かと一緒に眺めた場所は、その人と離れてからも、ただの場所には戻らないことがあります。何でもなかった道や、帰り際に見た空が、二人でいた時間を思い出すきっかけになる。月もまた、そのような存在として読めます。

さらに主人公は、相手が何を見ていたのかを、時間がたってから考え直しているようにも感じられます。

一緒にいるときには気に留めなかった表情や沈黙が、後になって気になる。あのとき、同じ景色を見ながら何を考えていたのだろう。今では確かめられないからこそ、何気ない場面が心に残るのです。

この曲の恋しさは、相手に会いたいという願いだけで説明するより、一緒にいたときには十分に理解できなかった相手を、今も理解しようとしている気持ちとして読むと、奥行きが生まれます。

部屋に残る気配と、一人で音楽を聴く時間

歌詞には、相手の印象が部屋の空気に重なるような描写があります。また、曲が進むと、一人で音楽を聴いている状況が前面に出てきます。

ここから感じられるのは、現在の生活の中に、過去の親密さが入り込んでくる感覚です。

思い出は、出来事の順番だけで残るとは限りません。隣にいたときの距離感、言葉を交わさない時間の落ち着き、その人がいるだけで変わった部屋の雰囲気。何があったかを説明する前に、その場にいた感覚が戻ってくることもあります。

そのように考えると、部屋の描写は、相手の存在がまだ主人公の感覚に染み込んでいることを表しているように読めます。

二人の関係を、すでに別れた恋人同士と捉えることはできます。ただし、別れた理由や、現在の相手の気持ちまでは歌詞から確定できません。ここで描かれているのは、主人公の側に残っている記憶です。

同じ思い出があっても、相手が今も同じように振り返っているとは限らない。その確かめようのなさが、一人で聴く音楽の寂しさを深めています。

忘れられると言い聞かせるほど、記憶が戻ってくる

この曲では、いずれ記憶は薄れるだろうという見通しと、実際には相手を思い出してしまう状態が並んでいます。

このずれを読むと、主人公の言葉は、未来を冷静に予測しているというより、自分を落ち着かせようとする言い聞かせにも聞こえてきます。

気持ちが本当に整理できているときには、忘れたかどうかを何度も確かめる必要はないでしょう。反対に、もう忘れられるはずだと確認する行為には、その記憶をまだ気にしている自分が表れます。

だから、忘れようとする気持ちの強さが、そのまま相手の存在の大きさを伝えてしまう。ここに、この歌の切ない矛盾があります。

また、繰り返しの多い構成は、聴き手にも同じ感情へ戻ってくる感覚を与えます。前へ進もうとしても、ふと元の場所に立っている。恋の記憶が遠ざかっては近づく、その不規則な動きに重なるのです。

忘れることを願う声の中に、まだ大切にしている時間が聞こえてしまう。 そのため主人公の態度には、強がりと愛着の両方が感じられます。

ユーモアが、恋の痛みに少しだけ距離を作る

ここまで歌詞を読んでくると、本作には寂しさや未練が濃く流れていることが分かります。それでも、作品全体にはどこか軽やかな印象があります。

制作背景にも、その理由を考える手がかりがあります。山口は発売当時のラジオで、楽曲のメロディについて、詩吟や昭和歌謡の要素を挙げていました。

異なる音楽の感覚を組み合わせる遊び心と、日常の感情を大げさな言い訳に変えるタイトル。その両方が、主人公の寂しさに独特の表情を与えています。

このユーモアは、悲しみを小さなものとして扱っているわけではないでしょう。つらさにすっかりのみ込まれそうなとき、自分の姿を少しおかしく眺めてみる。その距離があれば、揺れる感情を抱えたままでも、その夜を過ごせるのかもしれません。

主人公が明日には相手を忘れられるのか、この歌は答えを出しません。聴き終えた後にも、記憶は残ります。

それでも、忘れられない自分を責め続ける代わりに、今夜の揺れを音楽に預けてみる。そんな読み方をすると、奇妙に長いタイトルには、不器用な人間らしさと、ささやかな優しさが感じられます。

音楽が思い出を連れてきた夜には、その音楽が、思い出と一緒にいる時間も支えてくれる。そこに、この曲が描く切なさとユーモアのつながりがあるのではないでしょうか。

サカナクションが描く記憶や孤独をさらに読みたい方は、「ネイティブダンサー」の歌詞考察と「ミュージック」の歌詞考察もあわせてご覧ください。

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