サカナクション「アルクアラウンド」歌詞の意味を考察|タイトル、“この地”、MVに込められた意味とは?

サカナクションの初期を代表する楽曲「アルクアラウンド」。

軽快な四つ打ちとエレクトロニックなサウンドから、前向きに歩き出すための曲として聴いている人も多いかもしれません。

しかし歌詞を読み込むと、主人公は決して「答え」を見つけているわけではありません。

自分が何を探しているのか分からない。
何が不安なのかも分からない。
人との関係も定まらない。

それでも歩く。

そして曲の終盤では、非常に重要な変化が起こります。

前半で探していたのは「終わらせる」ための意味だったのに、最後には「今始まる」ための意味へ変わるのです。

この変化こそ、「アルクアラウンド」を読み解く最大の鍵ではないでしょうか。

発売当時、山口一郎はこの曲について、北海道から東京へ出てきた自分が、東京を「遠征先」ではなく、これから生きていく場所として受け入れる決意と結びついていることを語っています。

さらに曲のテーマについて語られた言葉は、意外なほどシンプルです。

「生きる」。

本稿では「アルクアラウンド」を、

答えのない人生を、それでも一駅ずつ経験しながら進み、今いる場所を“終点”から“出発点”へ変えていく歌

として読み解いていきます。

「アルクアラウンド」の基本情報

項目内容
楽曲名アルクアラウンド
アーティストサカナクション
作詞・作曲山口一郎
CD発売日2010年1月13日
シングル2ndシングル
収録アルバム『kikUUiki』
アルバム発売日2010年3月17日
タイアップkissmark CMソング
オリコン最高順位3位
MV監督関和亮

ビクターエンタテインメントの公式ディスコグラフィーでは、2010年1月13日発売のシングルとして掲載されています。

ビクターエンタテインメント「アルクアラウンド」

その後、2010年3月17日発売の4thアルバム『kikUUiki』4曲目に収録されました。

ビクターエンタテインメント『kikUUiki』

ORICONでは、最高3位、ランキング登場11週を記録しています。

「アルクアラウンド」とはどういう意味?

タイトルの「アルクアラウンド」は非常にサカナクションらしい言葉です。

まず自然に浮かぶのが、

「歩く」+「around」

という組み合わせ。

つまり、真っすぐ目的地へ進むのではなく、周囲を歩き回るような感覚です。

さらに音だけを聞けば、英語の「a look around(周囲を見回す)」も連想できます。

実際、2013年の『SCHOOL OF LOCK!』では、リスナーがこの二重性を説明したレビューを山口一郎本人が高く評価しています。

ただし注意したいのは、今回確認できた本人・公式資料の中には、

「山口一郎本人がタイトルをこのダブルミーニングとして命名した」

と明言した資料までは見つからなかったことです。

そのため、公式の「唯一の正解」と断定するより、

歩き回ることと、周囲を見ながら答えを探すことが重なったタイトル

と捉えるのが適切でしょう。

そして重要なのは、「around」が持つ“真っすぐではない”感覚です。

人生は一直線に正解へ向かうものではない。

迷う。
回り道をする。
同じ場所へ戻ってくる。
その途中で景色を見る。

まさに歌詞そのものです。

山口一郎本人が語った「アルクアラウンド」|テーマは“生きる”

この曲を考察するうえで最も重要なのが、発売当時の山口一郎本人の言葉です。

2010年1月13日に公開されたビクターエンタテインメントのインタビューで、山口は『シンシロ』のツアーを終えた頃、生活の拠点が東京へ変わったことについて語っています。

それまでは北海道から東京へ「遠征している」という感覚だった。

しかし次第に、東京が自分たちのホームになるのではないかと感じ始める。

そこで必要になったのが、この場所で生きていくための宣言だったと説明しています。

ビクターエンタテインメント「アルクアラウンド」発売時インタビュー

さらに発売前日の2010年1月12日、『SCHOOL OF LOCK!』でも山口は、この曲につながる心境を語っています。

北海道出身の自分にとって東京は当初「遠征先」だった。しかし東京で家庭を持ち、家を建てる未来まで考えれば、ここがHOMEになる。

そして「ここでやっていこう」と決意させてくれたものが音楽だったというのです。

番組側も「アルクアラウンド」のテーマを明確に、

“生きる”

と紹介しています。

SCHOOL OF LOCK!「サカナクション山口先生来校!」

これを知ると、歌詞に何度も登場する「この地」の見え方が大きく変わります。

「この地」とはどこ?東京を指しているのか

歌詞だけを読めば、「この地」が具体的にどの場所なのかは明示されていません。

したがって、

「この地=東京」

と歌詞だけから断定するのは少し危険です。

しかし制作背景まで含めれば、東京を重ねて読む根拠は十分にあります。

ビクターのインタビューでは、東京をこれから生きる場所として受け入れる変化について語った直後に、この曲の歌詞との関係が取り上げられています。

つまり作者・山口一郎にとっての「この地」には、

北海道から東京へ活動拠点を移し、ここから音楽で生きていく場所

という現実が重なっていたと考えるのが自然でしょう。

ただし、この曲が優れているのは「東京の歌」だけで終わらないところです。

聴き手にとっての「この地」は、

就職して暮らし始めた街かもしれない。
離れられない故郷かもしれない。
選んだ仕事かもしれない。
現在の自分自身かもしれない。

「ここで生きていく」と決めざるを得ない場所。

そこまで意味を広げられるからこそ、「アルクアラウンド」は山口自身の体験から始まりながら、普遍的な歌になっています。

東京をめぐる後年のサカナクション作品と読み比べるなら、「ユリイカ」もおすすめです。

前半はなぜこれほど孤独なのか|「僕」から「僕ら」への変化

曲の冒頭では、主人公は一人です。

夜の中を歩き、自分の身体や風景を見つめながら、どこか所在なさを抱えている。

ここには「夢に向かって前進する若者」のような爽快さはほとんどありません。

むしろ、

歩いてはいるが、何のために歩いているのか自分でも分かっていない。

そんな状態です。

ところが曲が進むと、視点は「僕」だけではなく「僕ら」へ広がっていきます。

これは大きな変化です。

最初は山口一郎自身の孤独だったものが、いつしか「生きている人間みんな」の迷いへ変わっていく。

発売当時に山口が語った「生きる」というテーマともよく一致します。

「アルクアラウンド」は、自分だけが迷っている歌ではありません。

みんな答えを知らないまま歩いている。

そのことを発見していく歌でもあるのではないでしょうか。

「君」は誰なのか?“もう一人の自分”と断定する必要はない

歌詞の途中には「君」という存在が現れます。

従来の記事では、「君=もう一人の自分」「理想の自分」といった読み方もできます。

しかし、そこまで限定する根拠はありません。

むしろ重要なのは、「君」が何者かより、主人公が他者によって揺さぶられていることです。

自分だけで考えている間には決められなかったことが、誰かの言葉や存在によって動き始める。

しかし、その関係さえ永遠ではありません。

惹かれたり、忘れたり、離れたりする。

つまり他者もまた「正解」を与えてくれる存在ではないのです。

それでも人との出会いによって自分は変わる。

この曲の世界では、

人生の答えは見つからなくても、出会ったことそのものが経験として残る。

ここでも後述する「人生各駅停車」という考え方につながってきます。

自分が何者なのかを問い続ける次作「アイデンティティ」と並べて聴くと、この時期の山口一郎の問題意識も見えやすくなります。

「歩く」が途中から「泳ぐ」に変わる意味

「アルクアラウンド」で面白いのが、移動方法まで変化することです。

前半では人間のように「歩く」。

ところが途中から、主人公たちは「泳ぐ」存在として描かれます。

そして周囲にあるのは、安定した道路ではなく“うねり”です。

これは非常にサカナクションらしい表現です。

人生を一本の道路として描けば、前へ進むか後ろへ戻るかの二択になります。

しかし水の中なら違います。

流れがある。

自分の意思とは無関係に運ばれることもある。

同じ場所に留まろうとしても流される。

その中で、自分なりの方向を探して泳ぐしかない。

もちろん、これをバンド名の「サカナ」と意図的に掛けたとする本人説明は確認できません。

それでも、

歩く人間がいつしか“流れの中を泳ぐ存在”へ変化する

という歌詞の構造は、人生が自分の意思だけでは進まないことを見事に表しているように思えます。

最大のポイント|「終わらせる」が「今始まる」に変わる

「アルクアラウンド」の意味を考えるうえで、最も重要なのが終盤です。

前半の主人公は「この地」で「終わらせる」ための意味を探しています。

ところが最後には、その言葉が「今始まる」へ変化する。

場所は変わっていません。

主人公も、人生の最終的な正解を発見したわけではありません。

変わったのは、

その場所を見る主人公の視点

なのです。

最初は「ここを終点にする理由」を探していた。

しかし歩き、迷い、人と出会い、流され、知らなかった場所を知った結果、

「ここから始めればいい」

という認識に変わった。

だから最後にも、主人公はまた歩きます。

答えが出たから歩くのではありません。

歩き続けること自体が、生きることだからです。

山口一郎の「人生各駅停車」が歌詞の意味を決定的にする

発売前日の『SCHOOL OF LOCK!』で、山口一郎は最後に「人生各駅停車」という言葉を書いています。

そして「アルクアラウンド」にも触れながら、生きている瞬間を飛び越さず、一つずつ経験し、その景色を見ることが大切だという趣旨を語りました。

これは、この曲を読み解くうえで非常に重要な本人発言です。

人生を急行列車のように考えれば、

成功すること。
夢を叶えること。
正解へ早く到着すること。

が重要になります。

しかし「アルクアラウンド」は正反対です。

迷うことも一駅。

不安になることも一駅。

誰かと出会うことも、離れることも一駅。

それらを飛ばさず経験したからこそ、昨日まで「終わり」に見えていた場所が、今日には「始まり」に見えてくる。

この曲にとって、回り道は失敗ではありません。

むしろ回り道をしたからこそ得られる景色こそが「生きた経験」なのです。

なぜ「新しい朝」ではなく“夜”を待つのか

この曲では、未来を象徴するものとして明るい朝が選ばれているわけではありません。

主人公は新しい“夜”へ向かいます。

ここも「アルクアラウンド」らしいところです。

山口一郎は発売時の『SCHOOL OF LOCK!』で、自分は夜に曲を作ると話しており、北海道で育った経験と夜や海のイメージについても語っています。

したがってサカナクションにとって、夜は単純な「絶望」の記号ではありません。

考える時間であり、音楽が生まれる時間でもある。

だからこの曲は、

「暗い夜を耐えれば、いつか明るい朝が来る」

という普通の応援歌にはならないのでしょう。

答えの見えない夜の中でも、生きることは始められる。

その感覚の方が、この曲には近いように思えます。

石川啄木との関係は?「手」の描写はオマージュなのか

「アルクアラウンド」については、石川啄木の影響を指摘する考察もあります。

確かに、歌詞には古典的な語尾である「〜にけり」が用いられ、手を見つめるような描写もあるため、短歌や近代文学を思わせる雰囲気があります。

そのため、啄木の有名な短歌を連想すること自体は自然です。

しかし、

「この部分は石川啄木へのオマージュである」と山口一郎が説明した一次資料は、今回確認できませんでした。

したがって、

「石川啄木から直接影響を受けて書かれた歌詞」

と事実のように断定するのは避けた方がよいでしょう。

より正確なのは、

古風な日本語や短歌を思わせる言葉遣いによって、現代的なダンスミュージックの中に日本文学的な感触が生まれている

という捉え方です。

作者の影響源を推測することと、作品から文学的な響きを感じ取ることは分けて考える必要があります。

『kikUUiki』との関係|北海道と東京、ロックとクラブの境界

「アルクアラウンド」は後にアルバム『kikUUiki』へ収録されます。

このアルバムタイトル自体が興味深いものです。

ビクター公式では、「汽水域」から作った「汽空域」という造語であり、

田舎と都会、
ロックとクラブミュージックなど、

本来は異なるものが混ざり合う場所という意味が込められていると説明されています。

ビクターエンタテインメント『kikUUiki』

これは「アルクアラウンド」の背景ともよく響き合います。

北海道から東京へ。

アンダーグラウンドからポップへ。

内省的な日本語の歌詞と、身体を踊らせるクラブミュージック。

山口一郎自身も発売時のビクターのインタビューで、「アルクアラウンド」では以前よりポップであることに踏み込み、より多くの人に届く音楽を目指したと説明しています。

つまり「アルクアラウンド」は、

異なる二つの世界の境界で、自分がどこに立つのかを決めようとしていた時期のサカナクション

を象徴する一曲だったとも言えるでしょう。

MVの意味|バラバラの文字が“一瞬だけ意味を持つ”理由

「アルクアラウンド」を語るうえで欠かせないのが、関和亮監督によるミュージックビデオです。

サカナクション公式「アルクアラウンド」MUSIC VIDEO

映像では山口一郎が歩き続け、その周囲にバラバラに配置された白いオブジェが現れます。

一見すると意味不明な形です。

ところがカメラが特定の位置へ移動した瞬間、それぞれの断片が重なり、一つの言葉として読めるようになる。

しかもCGや合成に頼った演出ではありません。

第14回文化庁メディア芸術祭の受賞資料によれば、1シーン1カットで撮影され、立体物を緻密に配置することで成立させています。

同作はエンターテインメント部門優秀賞を受賞しました。

文化庁メディア芸術祭「サカナクション『アルクアラウンド』」

ここには、歌詞と驚くほど美しい共通点があります。

バラバラの状態では意味が分からない。

しかし歩く。

視点が変わる。

すると、今まで無意味に見えていたものが一瞬だけ意味を持つ。

これはまさに「アルクアラウンド」の主人公ではないでしょうか。

人生の意味は、立ち止まった場所から最初から見えているわけではない。
歩いたことで視点が変わり、過去の断片が初めて一つの意味としてつながる。

だからこのMVでは、文字を見るためにも「移動」が必要なのです。

映像そのものが、歌詞の考え方を実演しています。

BARKSによるMV公開当時の記事でも、この作品は「何かを探し求め歩き続ける」楽曲世界を映像化したものとして紹介されています。

ジャケットまで「言葉」がテーマになっている

さらに面白いことに、「アルクアラウンド」はMVだけでなくCDジャケットでも歌詞そのものを視覚表現に利用しています。

実物のジャケットでは女性の顔の上に歌詞がデザインされました。

ところがプロモーション用画像では、歌詞をそのままネットや雑誌に掲載できないため、文字部分を差し替えた“ダミージャケット”が使用されました。

rockin’on.com「サカナクション、ダミージャケットを公開?」

つまりこの作品では、

楽曲では言葉を歌い、
ジャケットでは言葉を絵にし、
MVでは言葉を立体物にする。

「言葉に意味が生まれる瞬間」そのものが、作品全体のデザインにまで拡張されているのです。

結論|「アルクアラウンド」は“答えがないまま生きる”ことを肯定する歌

「アルクアラウンド」は、単純な前向きソングではありません。

主人公には何が正解なのか分からない。

自分が何を求めているのかすら、完全には分かっていません。

けれど、それでいい。

山口一郎が発売当時に語ったテーマは「生きる」でした。

人生に最終的な答えがなくても、一つずつ経験する。

知らなかった場所を知る。

誰かと出会う。

離れる。

迷う。

また歩く。

そうしているうちに、同じ「この地」に立っているはずなのに、その場所の意味が変わっていく。

「終わり」に見えていた場所が「始まり」に変わるのです。

ここが、この曲の最大の希望でしょう。

目的地を発見することが希望なのではありません。

目的地が分からなくても、次の一歩を踏み出せることそのものが希望なのです。

MVでも、バラバラの物体は最初から意味を持っているようには見えません。

歩き、視点が移動した瞬間に、突然一つの言葉になる。

人生も同じなのかもしれません。

今は意味が分からない経験も、いつか違う場所から振り返れば、一つの意味としてつながる。

だから焦って答えを出す必要はない。

一駅ずつ景色を見る。

そして、また歩き始める。

それこそが、山口一郎が「アルクアラウンド」に託した“生きる”ということなのではないでしょうか。

よくある質問

「アルクアラウンド」はどんな意味の歌ですか?

発売当時、山口一郎はこの曲の背景として、北海道から東京へ出てきた自分が東京をこれから生きる場所として受け入れる決意について語っています。また「生きる」が曲のテーマとして紹介されました。本稿では、答えが分からない人生を一歩ずつ経験していく歌と考察しています。

「アルクアラウンド」というタイトルの意味は?

日本語の「歩く」と英語の「around」を組み合わせたように読めるタイトルで、音としては「a look around」も連想できます。ただし、山口一郎本人が公式なタイトル由来としてこの二重の意味を明言した一次資料は、今回確認できませんでした。

歌詞の「この地」は東京ですか?

歌詞だけでは場所は特定されていません。しかし山口一郎は発売当時、東京が自分たちのホームになるという実感と、そこで生きるための宣言が必要だったことを語っています。その制作背景から、東京を重ねて読むことには十分な根拠があります。

石川啄木の影響を受けた歌詞ですか?

文学的・古典的な言葉遣いや手の描写から石川啄木を連想する考察はできますが、「アルクアラウンド」の該当部分が啄木への直接的なオマージュだとする本人発言は確認できません。作者の意図として断定しない方が適切です。

MVで文字がバラバラになっている意味は?

立体物として分解された文字は、カメラが特定の位置へ移動した時だけ一つの言葉に見えます。本稿ではこれを、歩いて視点を変えることで初めて物事の意味が見えてくる、という歌詞のテーマを映像化したものと考察しています。

「アルクアラウンド」はいつ発売された曲ですか?

CDシングルは2010年1月13日発売です。その後、同年3月17日発売の4thアルバム『kikUUiki』に収録されました。


参考資料

この記事を書いた人
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運営開始:2021年
主なテーマ:邦楽の歌詞考察・楽曲解説

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