【アイデンティティ/サカナクション】歌詞の意味を考察、解釈する。

「アイデンティティ」という楽曲は、2010年8月4日にリリースされたサカナクションの3枚目のシングルです。
また、2011年9月28日に発売されたアルバム『DocumentaLy』にも収録されています。
この曲は山口一郎が作詞作曲を手がけており、タイトルの「アイデンティティ」(自己同一性)とは、自己を確立する要素を指します。
具体的に言えば、自己の存在を確認し、他人との違いを示す要素などを指すことができます。
これを簡単に言い換えれば、「個性」という言葉も適切です。

昔も今も、「自己探求」として、人々はインドを旅したり、難解な小説を読んだりすることがあります。
これらの試みは、アイデンティティの本質に迫り、自己を証明する難しさを浮き彫りにします。
このようなテーマを持つ「アイデンティティ」と題された楽曲は、タイトル通り、主人公である「僕」の自己探求の過程と結果を歌っています。

では、この歌詞がどのように「僕」の葛藤や答えを描写しているのか、一緒に読み解いてみましょう。

「僕」の価値観が変容し始める

アイデンティティがない 生まれない らららら

歌のスタートで、「アイデンティティがない」という断言が繰り出されます。
先述の部分から読み取れることは、「僕」がその時点ではアイデンティティについての把握が曖昧であり、自己を模索している状況にあることです。
その後のAメロでは、さらに「僕」の価値観が、より鮮やかに浮かび上がります。
具体的には、Aメロの最初の節の歌詞を、以下に記します。

好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?
そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ

引用された部分から、主人公の「僕」は自身のアイデンティティを嗜好や好みの集合体に求めていることが分かります。
つまり、服の選び方や読む本の選択など、個人の価値観の総体が彼のアイデンティティを形作ると考えているようです。
ここで言及されている「物差し」とは、そのような価値観や好みを測る基準を指していることでしょう。

引用部の2行目の最後に現れる「僕は凡人だ」というフレーズの意味について考えてみましょう。
おそらく、これは過去の「僕」の視点から言われているもので、現在の「僕」とは異なる考えを持っている可能性があります。
つまり、以前は嗜好や好みを自己のアイデンティティとして受け入れていたが、現在ではその考え方が変化していることを示唆しているのかもしれません。
さらに、この一節からは、現在の「僕」が過去の自己を振り返っている様子も感じられます。

映し鏡 ショーウインドー 隣の人と自分を見比べるそう
それが真っ当と思い込んで生きてた

引用された部分から、以前の「僕」がアイデンティティは他人との違いによって形成されると考えていたことが分かります。
自分探しの過程で他人が通常行わないような行動や、一般的な観光地ではない国を旅行すること、または珍しい本を読むことなどは、この考えに基づいた行動の一例と言えるでしょう。

そして、サビでは次のような展開が繰り広げられます。

どうして 今になって 今になって そう僕は考えたんだろう?
どうして まだ見えない 自分らしさってやつに 朝は来るのか?

Aメロにおいて、かつての「僕」は、個人の嗜好と他者との違いにアイデンティティを見出そうとしており、その過去の自己を振り返っていました。
しかしながら、上述のサビ部分では、このような自己探求に疑念を感じていることが示されています。
これは「僕」の価値観が変容し始めている兆候を示しているでしょう。

自己の感情と思考が本当のアイデンティティ

2番に進むと、主人公の「僕」の変化がますますクリアに描写されます。
具体的には、2番のAメロの最初の部分の歌詞が以下に示されています。

風を待った女の子 濡れたシャツは今朝の雨のせいです
そう 過去の出来事 あか抜けてない僕の思い出だ

「女の子」という存在が登場し、1番の歌詞から一変して幻想的な内容に変わります。
歌詞自体が確定的な出来事を描写していないため、一つの解釈として、次のように考えてみましょう。

最初に登場する「風を待った女の子」は、「僕」の過去の恋愛対象であると想定します。
ここでの「風」は、人間がコントロールできない不確かな要素を指しています。
従って、「風を待った女の子」とは、彼とその恋愛対象の関係が不確かで曖昧なものであることを、詩的な表現で示しているのかもしれません。

次に、「濡れたシャツは今朝の雨のせいです」というフレーズですが、主語が明確に示されていないため、「僕」とも「女の子」とも解釈できます。
ここでの「濡れたシャツ」は、涙を流したことを象徴していると考えられます。
その涙を「今朝の雨のせいです」というように、何か外部の要因によるものとして説明していることから、過去の若さと葛藤が描かれているのかもしれません。

「あか抜けてない僕の思い出だ」という一節も、若かりし日の「僕」がうまくいかなかった恋を振り返っていることを示唆しているでしょう。

Aメロの2連目に進むと、このエピソードに関する思考が続いています。
以下にその歌詞を引用します。

取りこぼした十代の思い出とかを掘り起こして気づいた
これが純粋な自分らしさと気づいた

上述の引用部は、「僕」と「女の子」の関係性に焦点を当てており、その関係を通じて得られた感情や価値観を表現しています。
具体的には、2人の青春時代の出来事を「十代の思い出」として言及し、そこから得た感情や視点が「自分らしさ」につながったことを示唆しています。

以前の「僕」は、アイデンティティを好きな本や服のような外部の要素に求めていました。
しかしながら、これらの要素は実際のアイデンティティには深く関わらず、より基本的な側面が重要であることに気づいたのです。
その基本的な側面とは、自己の思考や感受性といった内面的な要素を指しています。
過去を振り返ることによって、「僕」はこうした考えに到達したのです。

2番のサビおよびラスト部分では、価値観の変化が述べられています。
以下にその部分の歌詞を引用します。

どうして 時が経って 時が経って そう僕は気がついたんだろう?
どうして 見えなかった自分らしさってやつが 解りはじめた

どうしても叫びたくて 叫びたくて 僕は泣いているんだよ
どうしても気づきたくて 僕は泣いているんだよ

引用された部分の1行目と2行目では、自己の本質に気付いた瞬間が描写されています。
そして3行目と4行目では、「僕」が内に秘めた感情を表現したいと願い、「泣いている」と告白しています。
では、なぜ「僕」は叫びたくて泣いているのでしょうか。

個人的な解釈として、これは「自分らしさ」を見出したことによる喜びに由来するものである可能性があります。
これまでは、好きな本や服、他人との比較を通じてのみ、自己の存在を確認していた「僕」。
しかし、過去の出来事を振り返る過程で、自己の感情と思考が本当のアイデンティティであることに気付いたのです。
この気付きによる歓喜が、引用部での叫びや涙の背後にある要因かもしれません。

まとめ

これまでの考察をまとめると、この楽曲はアイデンティティの発見が主題となっており、「僕」が過去の恋愛体験を通じて、表面的なファッションや経験だけでなく、内なる感情と思考が本当のアイデンティティであることに気付くまでの過程が描かれています。
この歌詞は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」とも通じるテーマであり、自己探求がどの時代にも共通する若者の大きな関心事であることを表しています。

この楽曲はアイデンティティの追求とその発見を、簡潔かつ情熱的に描写しており、そのような深いテーマを扱いながらも、エモーショナルな魅力を持つ素晴らしい楽曲と言えるでしょう。

サカナクションや山口一郎さんの作品は、こうした共感を呼ぶ「心の友」のような存在として愛されています。
この楽曲も含めて、そのような魅力がたっぷりと詰まっていることが、ファンにとっての大きな魅力となっているのでしょう。