【歌詞考察】藤井風『青春病』に込められた意味とは? 哲学と感情が交差する名曲を深掘り

“青春病”=青春への哲学的な問いかけ

藤井風の「青春病」は、タイトルからもわかる通り、青春という特定の時期に潜む“病”のような感情や状態を捉えた楽曲です。しかしこれは単なる「若さゆえの苦しみ」ではなく、もっと哲学的な視点で描かれています。

たとえば、歌詞にある「愛する人に別れを告げなきゃなんないなんて」は、仏教の「愛別離苦(あいべつりく)」を連想させます。これは「愛する人と別れる苦しみ」のことを指し、人生に不可避な苦悩の一つです。藤井風はこの概念を、恋愛や友情における別れとしてではなく、“青春”というかけがえのない時期そのものとの別れとして描いているようにも思えます。

また、キェルケゴールのような哲学者が論じる“実存の不安”のように、青春期には「自分とは何者か」「なぜ生きるのか」という問いが押し寄せてきます。この曲の中では、まさにそうした自問自答が歌詞の随所に表現されています。


“どどめ色”という比喩が表す青春の二面性

楽曲の中でも象徴的なのが、「どどめ色の夢を見てた」という一節です。「どどめ色」とは、桑の実が熟したときの赤黒い色を指します。この色は甘さと渋さ、そして傷跡のような痛々しさを同時に連想させます。

青春期というのはまさに、甘酸っぱい思い出と同時に、苦い挫折や傷が残る時期でもあります。藤井風は“夢”という本来ポジティブに響く言葉に、あえてこのような「どどめ色」を組み合わせることで、青春に潜む複雑な感情を象徴させています。

それは単なる美化された過去ではなく、「現実の混沌」を受け入れた上でなお、それを大切なものとして抱きしめようとする姿勢なのかもしれません。


歌詞の構造に見る“揺れる心”の動き

「やめた やめた もうやめた」といった反復や、「無理だ 無理だ もう無理だ」という言い回しには、藤井風ならではの“言葉のゆらぎ”が表れています。こうしたリフレインは、感情の浮き沈みをそのまま写し取ったようなリアルさをもっています。

青春という時期は、前向きと後ろ向き、自信と不安、希望と絶望が入り混じる非常に不安定な時期です。歌詞の構造自体がその“ゆらぎ”を体現しており、聴き手はその繰り返しの中に、自分の心の動きを重ねることができます。

また、単なる情緒的な表現だけでなく、「ほんまもんを探してた」など、心の底からの誠実な叫びも含まれており、聴く者に強く訴えかけてきます。


MVや英語詞から読み取る“執着からの解放”

「青春病」のMVでは、雨が降る中、火を放つ場面など、さまざまな象徴的なイメージが登場します。これは、感情の浄化や再生を象徴しており、“過去への執着”からの解放を暗示しているようです。

また、この楽曲には英語バージョンも存在し、そちらでは「Release me」「Let me go」といった表現が繰り返されます。これは、日本語版以上に「解放」というテーマが明確に打ち出されています。

つまり、藤井風は“青春”という言葉に象徴される過去の自分、理想や痛み、葛藤への執着を断ち切ることで、新たなステージへ進む意志を描いているのです。


“青春病”は終わりではなく“未来への架け橋”

一見すると「青春病」は、過去の否定や喪失を歌った曲に思えるかもしれません。しかし全体を通して見ていくと、そこには「乗り越える力」や「未来へのまなざし」がしっかりと根付いています。

「青春病」という言葉そのものがユニークな造語でありながら、風がそれを“病”として捉えることで、「治癒=克服」のプロセスを暗示しているとも読めます。つまり、それは「終わり」ではなく、「次の自分へとつながる過程」なのです。

藤井風は、青春という特別な時間を経たうえで、それを自分の一部として受け入れながら、さらに先に進む意思をこの曲に込めているのではないでしょうか。