【THE HIGH-LOWS】アルバム「バームクーヘン」の批評と解説。邦ロックの名盤をレビュー。

「そのアーティストで一番好きなアルバムは?」

好きなアーティストが一致した者同士が集まれば、真っ先に挙がるであろうそんな質問。

ザ・ハイロウズの場合、この問いに対する特に多い回答として選ばれるのは、今回取り上げる『バームクーヘン』かもしれません。

(ザ・ハイロウズをあまり聴いていない人に勧めるアルバムとなると、また別のアルバムになるようにも思いますが。)

この『バームクーヘン』は1999年リリースの4thアルバムで、バンド初のセルフ・プロデュースによって製作され、レコーディングも完全にメンバーのみで行われた一発録りによって収録されたと言われています。

強いメッセージ性により、世代の代弁者として一時代を築いたザ・ブルーハーツの解散後、甲本ヒロトと真島昌利を中心に始動したザ・ハイロウズは、そのパブリック・イメージを払拭するかのように、意識的にメッセージ性を排除した楽曲を主軸に作品リリースを続けていました。

強く分かりやすいメッセージから、意味を成さない言葉や抽象度の高い言葉を多用する事で、大衆性をより高め、リーチできる層を広げる効果を得た一方で、やはりザ・ブルーハーツ時代からの往年のファンにとっては、その点に一抹の寂しさや物足りなさを感じた事も事実でしょう。

とはいえ、1stアルバム『THE HIGH-LOWS』、2nd『タイガーモービル』、3rd『ロブスター』と、カラーの変化に対する好みはファンにより分かれるにせよ、いずれも傑作と断言できる作品だっただけに、ザ・ハイロウズにどうしてもザ・ブルーハーツの影を追い求めてしまう往年のファンでさえも、メッセージ性を弱めポップ色を強めたザ・ハイロウズ路線を、この頃には受け入れていたように思います。

しかし『バームクーヘン』は、ザ・ブルーハーツ的世界感への回帰を大いに感じる事が出来る作品と言って、差し支えのないアルバムです。

ザ・ハイロウズ路線というものを3枚のアルバムで既に決定付けていた事が、ある種のフリとなり「待ってました!」といったカタルシスがこのアルバムにはあったと言えます。

ひとつこの点は、本作をザ・ハイロウズのフェイバリットとして推す一因になっているように思います。

そしてもう一つ見落とせないのは、本作がセルフ・プロデュースによる一発録りである事。

ロックバンドのレコーディングにおいて、”勢い”であったり、”フィーリング”といった感覚的な空気感のパッケージングは、演奏技術以上に得難く重要な要素です。

例えば英国のパンクバンドが軒並み短い活動期間で解散をしていたり、ロックバンドのキャリア最高傑作がデビュー盤に多くなりがちな事も、これに起因すると考える事も可能です。

セルフ・プロデュースや一発録りといった手法は、キャリアを重ねる事で演奏技術やレコーディング知識、マーケティング論などが向上する一方で、どうしても目減りしてしまう初期衝動的な瑞々しさや勢いを呼び覚ます物理的手法として、活用するバンドも少なくありません。

ザ・ハイロウズが、そういった目的でセルフ・プロデュース&一発録りを本作で選んだのかどうかは断定できませんが、明確に過去3作からの変化を望んだ事は確かでしょう。

バンド当人の意図は推測でしか推し量る事はできませんが、ファンの多くは本作を原点回帰的なアルバムと捉え、その点に喜びを感じているというのは結果として確かにあると言えます。

ザ・ブルーハーツからの脱却を果たし、その変化をファンも受け入れた頃に訪れた原点回帰による待望論者にとってのカタルシス。

そして、ミュージシャンとして成熟してしまった状態で、その回帰を果たす上で絶妙にフィットした、セルフ・プロデュース&一発録りという物理的な制約。

ザ・ブルーハーツを知らない若い世代に、ザ・ハイロウズ全8枚のオリジナル・アルバムを聴かせたのなら、「俺もバンドやりたい!」と最も思わせる事ができる作品だと言い換えても良いのかもしれません。

ここまでは、ザ・ブルーハーツという絶対的な比較対象を踏まえた上での論となりましたが、もちろん、メッセージ性や初期衝動的フィーリングの回帰だけが魅力や聴きどころではありません。

個人的なザ・ハイロウズ評としては、ヒロト&マーシーにとってザ・ハイロウズでの活動キャリアというのは、ポップ・アーティストとしての才能を更に伸ばし、それを世に知らしめた事が肝だと考えているので、回帰と言ってもやはりザ・ハイロウズ的なポップネスに対して『バームクーヘン』においても強い魅力を感じます。

オープニングを飾る「罪と罰」や「ハスキー」あたりのシングルカット曲では(共に甲本ヒロト詞曲)、メッセージ性を感じさせつつも、誰にでも当てはめやすいような一定の抽象度は保った作詞が行われており、”音楽に乗せて歌う詩”として高い完成度や才気を感じさせられます。

特に「ハスキー」は、『スティック・アウト』あたりの時期を想起させるメロディアスな歌メロや鍵盤が胸に迫る屈指の名曲で、キャリア中のベスト・トラックに推す声も少なくありません。

一方で、マーシー詞曲による楽曲ですが、特に作詞については持ち味のノスタルジックな情景描写や、どこか切なく悲しげな独特のメタファー的心理描写が遺憾なく発揮されています。

「チェンジングマン」や「モンシロチョウ」あたりは、中では比較的キャッチーと言えますが、ヒロト曲に対し、よりバンド然とした楽曲がズラリと並びます。

(これは本作に限らず、どのアルバムでも言える事かもしれませんね。)

クロージング・ソングとなるアルバム・タイトル曲「バームクーヘン」もファン人気の高い一曲で、ことヒロトの作詞については、本作で新たなタームに入ったようにさえ感じる凄みを帯びています。

明確な強い言葉によるメッセージは、否応なしに聴き手を突き動かす一方で、聴き手を選んでしまいます。

ポップ・ミュージックである以上、その価値基準・評価軸として「より多くの人をその対象とする事」という命題はついて回りますが、ヒロトの作詞はメッセージ性を詰め込みつつ、大衆がなんとなく口ずさむ事もできるという、ある意味相反するものの両立を果たしているように感じるのです。

日本語を用いた言葉遊び的な作詞に秀でた存在は、例えば椎名林檎や中村一義、SUPERCARのいしわたり淳治、桑田佳祐など、数多く挙げる事ができますが、ヒロト&マーシーは海外のロックンロールを原体験として、そのままそれに憧れ続けて追求してきたからか、洋楽ロック的なストーリーや空気感作りに優れた才を感じます。

そこに加え、ザ・ハイロウズ初期に培った日本語ロック的な作詞手法もモノにしている事で、無二の奥行きや凄みを獲得したのがこの時期だったのかもしれません。

サウンド面においては、レコーディング手法を活かすべく、荒さを残し勢いを重視したロックンロールを主体とした事で、長いキャリアによって磨かれてしまったエッジの復元が成され、ポップ・ミュージシャンであることを受け入れつつも、ロックバンドでしか表現できない熱気をパッケージする事に成功した事が印象的です。

そんな複数の条件が揃った事で生まれた傑作が、この『バームクーヘン』だったのだと私は解釈しています。

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