【岡本君/THE HIGH-LOWS】歌詞の意味を考察、解釈する。

バンドやグループを語る上で、「誰派?」という話題がしばしば上がります。

しかしながら、ザ・ブルーハーツからザ・ハイロウズ、ザ・クロマニヨンズと続くヒロト&マーシーにおいては、その点に声を上げる人はそう多くは見ない印象があります。

ファンの前では語るべくもない事ですが、この二人は単にボーカルとギターという関係ではなく、どちらもソングライティングもボーカルも行います。

そのテイストやスタイルは明確に異なり、それこそ「どっち派?」という構造が生まれても良さそうなものですが、不思議とあまりそうはならない稀有な存在のように思えます。

音楽キャリアのスタートから現在に至るまで、バンドは変遷しているにも関わらず、必ずバンドを共にするヒロトとマーシーの深い関係性を知るファンにとっては、「どっち派?」という問いが無粋であると感じる側面もその理由としては強いでしょう。

加えて、そんな心情的な理由だけではなく、カラーが明確に異なるが故の比較のしようの無い魅力を両者が備えている事も大きな理由に挙げられます。

今回ピックアップする「岡本君」は、マーシーこと真島昌利の詞曲による一曲です。

メロディアスでキャッチーな楽曲も量産するマーシーですが、ノスタルジックな情景描写に彼の個性を感じているファンは多数派を占めると思います。

古くはザ・ブルーハーツ時代の「チェインギャング」や「ラインを越えて」などは、マーシーボーカル曲として強いインパクトを残しましたし、続いて1989年に発表された1stソロアルバム『夏のぬけがら』で、ギタリストやソングライターに留まらず、ボーカリストとしての評価も不動のものとした感があります。

そして、「岡本君」。

2000年リリースのザ・ハイロウズ5枚目のアルバム『Relaxin』収録楽曲として発表された楽曲ですが、その原型は前述の1stソロアルバムにまで遡ります。

この『夏のぬけがら』に収録が予定されていたとされる「ジャラマドーラ」という曲が原型、というよりもほぼ原曲というバックボーンを持つ事でも知られる佳曲です。

彼の幼少期の出来事を綴った真骨頂とも言うべきノスタルジックな魅力に溢れた詞世界をみていきましょう。

岡本君 また夏が来た 去年よりも暑くなりそうだ 熱気の中 押し潰された

”岡本君”との幼き日の夏の思い出を書き綴った曲である事が想像されます。

また、先述の「ジャラマドーラ」では、この”岡本君”がそのまま”ジャラマドーラ”と歌われています。

歩道橋で君を思い出す 誰もいない廃車置場で 水たまりの中 百円拾った

スパイごっこ アイスキャンディー 突然のひどい雨

この辺りはまさにマーシー節と言える、心に迫る圧巻の情景描写です。

岡本君がマーシーにとって、多くの日を過ごした親しい友達であることが文字量以上に伝わってきます。

岡本君 君がいない 夏はまるでぬけがらのようだ

カブトムシをとりにいった 恐竜のことを話しながら 君のように見える人は 誰もいないだろう 

ここでその岡本君が今はいない事が告げられ、特別な感受性を持った岡本君の存在の大きさとその不在は、楽しかったはずの夏を”ぬけがら”のように感じさせるに値する喪失感である事が描かれています。

岡本君 本当のお別れだ またねじゃない本当のさよならだ

この最後の一節で、先に書かれた”君がいない”とは、岡本君がもうこの世にいない事だったのだと気付かされます。

つまり、幼少期に岡本君と過ごしたその瞬間を描いたのではなく、その後に岡本君が亡くなってしまった喪失感を振り返って歌ったものだと最後に知らされるのです。

この曲について、幼少期に遊んでいた岡本君という友達が病気で亡くなってしまったとマーシー本人からも語られていますが、そのことを”夏はまるでぬけがら”と表現した事や、1stソロアルバムを『夏のぬけがら』と名付けた事。

そして、この曲で”岡本君“と書いている箇所全てが、当初は「ジャラマドーラ」と書き換えており名前は伏せていた事など、マーシーにとって特別な思いの詰まった楽曲であると思えてなりません。

遠い過去の出来事とはいえ、親友が亡くなってしまった事を歌った曲です。

一般的な作詞であれば、死を歌う際には哀しみに傾いた感覚をリスナーは受けそうなものですが、文章表現のみで一定の心の整理のついたセピアがけた情景を想起させているのは彼一流の才能を感じさせられます。

これだからきっと、ヒロト派・マーシー派という声も上がらず、両者等しくファンから愛されているのでしょうね。

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