1. 「東京」と「都会生活」の描写が示すもの
サカナクション「ユリイカ」は、東京という都市を舞台にした孤独と焦燥の物語です。冒頭の「ビルの谷間に生きてる」や「人にまみれて歩いてる」といった描写は、都市での「孤独な集合体」を示唆します。無数の人が行き交う街で、自分だけが取り残されたような感覚。その「匿名性」と「孤立」が、サウンドとともにじわじわと心に迫ってくるのです。
東京はしばしば、夢を叶える場所、あるいは夢に押し潰される場所として描かれますが、この楽曲では「前に進み続ける」都市と、それについていけない主人公の対比が色濃く表現されています。
2. 「君」との関係性とその喪失感
「ユリイカ」には、“君”という不在の存在が登場します。「君を見てた」や「君がいたのにいないような午後」といったフレーズは、かつて存在していた誰かとの時間を現在の孤独と重ね合わせる仕掛けです。特に「髪に馴染む匂いがしたよ」という描写は、視覚よりも記憶に残りやすい“嗅覚”で愛を描いており、非常に文学的かつ情感に満ちた表現です。
これは、単なる恋愛ソングではなく、“君”を通じて過去と現在、自分の変化と時間の残酷さを問いかける楽曲だとも解釈できます。
3. サビの“いつ yeah yeah 終わるかな”──「永遠」か「空耳か」か?
サビの“いつ yeah yeah 終わるかな”という歌詞は、ファンの間で「いつ『永遠』終わるかな」とも聞こえるとして話題になっています。この空耳的解釈は、楽曲の持つ「時間性」と深く関わっています。
“永遠”が終わるとはどういう意味か?それは、永遠と思っていた時間が有限であると気づく瞬間、つまり「喪失」や「諦念」を表しているとも受け取れます。このような多義的なフレーズが、「ユリイカ」の歌詞をより文学的で、解釈の余地を広げる要因となっています。
4. 「生き急ぐ」をめぐる自己矛盾と感情の振幅
「生き急いでる でも走ってないよ」という一節は、「行動と内心の乖離」を象徴する名フレーズです。周囲に流されるように焦る気持ちはあるが、実際には何も進んでいない──という現代人の葛藤を鋭く突いています。
「急ぐこと」と「止まっていること」が同時に存在する矛盾。これはまさに東京という都市で暮らす多くの人々の心理状態を反映しており、共感を呼ぶ大きな要素です。
5. MV(ミュージックビデオ)との接続──身体描写と歌詞の象徴性
「ユリイカ」のMVでは、裸の女性たちが“EUREKA”という文字を身体で表現するシーンが象徴的です。一見ショッキングにも思えるこの演出は、決して扇情的ではなく、「むき出しの存在」「曖昧な個と集合」のテーマを視覚化しています。
また、“EUREKA”とは古代ギリシャ語で「見つけた」という意味ですが、作中では何かを「見つけてしまった後の喪失感」が中心に描かれています。この映像演出により、歌詞の持つ抽象性が具体化され、視覚と聴覚の両面から深い没入感が得られる仕掛けとなっています。
まとめ
「ユリイカ」は、サカナクションが提示する都市の孤独と時間の残酷さを繊細に描いた楽曲です。歌詞に潜む二重三重の意味、MVとの相互補完的な演出、空耳のようなファン解釈など、多面的な要素が絡み合い、聴く者に深い余韻を残します。都市生活に疲れたとき、あるいは何かを失ったときに、そっと寄り添ってくれる一曲です。