女王蜂「スリラ」歌詞の意味を考察|終電と始発のあいだで踊る孤独と欲望

華やかな夜へ飛び出す高揚感。

誰かを求める気持ち。

裏切られるかもしれない不安。

そして、かつて大切だった人の面影さえ薄れていく寂しさ。

女王蜂の「スリラ」は、勢いのあるダンスナンバーでありながら、その奥に恋愛の切なさや、満たされない心の痛みを閉じ込めた楽曲です。

タイトルだけを見ると、恐怖やホラーを題材にした曲のように思えるかもしれません。

しかし、この曲が描いている本当の「スリル」は、怪物に追われることではなく、傷つくとわかっていても誰かを求めてしまう人間の感情にあります。

この記事では、「スリラ」の制作背景、タイトルの由来、終電や始発が持つ意味、2017年発表の「超・スリラ」との違いまで詳しく考察します。

女王蜂「スリラ」の楽曲情報

項目内容
楽曲名スリラ
アーティスト女王蜂
発売日2015年7月22日
収録作品EP『失神』
収録順1曲目
作詞・作曲薔薇園アヴ
編曲女王蜂、皆川真人
ラジオ初オンエア2015年7月6日
ミュージックビデオ公開日2015年7月13日
MV監督末吉ノブ

「スリラ」は、2015年7月22日に発売されたEP『失神』のリード曲です。

2023年に発表された楽曲ではありません。

ソニーミュージックの公式告知によれば、2015年7月6日にラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』で初オンエアされ、同年7月13日にはミュージックビデオが公開されました。ソニーミュージック公式「スリラ」初オンエア告知ソニーミュージック公式「スリラ」MV公開告知

作詞・作曲を手がけた薔薇園アヴは、女王蜂のボーカルであるアヴちゃんです。編曲は女王蜂と皆川真人が担当しています。歌ネット「スリラ」楽曲情報

「スリラ」というタイトルはマイケル・ジャクソンがきっかけ

「スリラ」というタイトルから、マイケル・ジャクソンの「Thriller」を連想した人もいるかもしれません。

実は、このつながりは単なる想像ではありません。

アヴちゃんは『SCHOOL OF LOCK!』に出演した際、女王蜂にとっての「Thriller」を考えるなかで、「スリラー」の語尾にある長音を取って「スリラ」というタイトルにしたことを説明しています。

つまり、「スリラ」は単に「スリルがある曲」という意味だけで付けられたタイトルではありません。

世界的に知られるホラーとダンスのイメージを、女王蜂ならではの言葉や世界観へ置き換えた名前なのです。

ただし、この曲はマイケル・ジャクソン「Thriller」のカバーではありません。

作詞・作曲ともに薔薇園アヴによる、女王蜂のオリジナル楽曲です。『SCHOOL OF LOCK!』アヴちゃん出演回

「スリラ」が描くのは、刺激の奥に隠された寂しさ

「スリラ」は、夜の街へ出かける高揚感から始まります。

鏡の前で気持ちを奮い立たせ、終電に飛び乗り、非日常の時間へ向かう。

その流れだけを追えば、自由な夜を楽しむパーティーソングにも聞こえます。

しかし、歌詞には不安や裏切り、失われた記憶、満たされない願いも繰り返し現れます。

主人公は、単純に刺激を楽しんでいるわけではありません。

寂しさを埋めるために、心を揺さぶる何かを探し続けているのです。

踊れば、その瞬間だけは孤独を忘れられる。

誰かを求めれば、生きている実感を得られる。

けれど、夜が終われば、心の空白は再び戻ってきます。

「スリラ」が描くのは、その一時的な解放と、繰り返される寂しさの両方です。

鏡の前で強がる主人公は、本当に自信があるのか

楽曲の冒頭では、夜へ出かける準備をする主人公の姿が描かれます。

鏡に向かって自分を奮い立たせ、堂々と振る舞おうとする。

その様子には、誰にも弱さを見せたくない気持ちが表れています。

しかし、本当に自信があるのなら、鏡の前で自分を鼓舞する必要はないかもしれません。

強い言葉や挑発的な態度は、不安を隠すための鎧とも考えられます。

大丈夫なふりをする。

傷つかないふりをする。

失うものなどないと思い込もうとする。

そうした強がりの奥には、期待してしまうことへの恐れがあります。

夜へ向かう主人公は、無敵だから出かけるのではありません。

不安があるからこそ、勢いをつけて外へ踏み出しているのです。

終電が象徴するのは日常から逸脱する瞬間

「スリラ」では、最終列車に乗る場面が印象的に描かれています。

終電は、その日の暮らしを締めくくるための交通手段です。

ところが、この曲の主人公にとっては、終わりではなく始まりを意味します。

ほかの人が家に帰っていく時間に、主人公は夜の世界へ向かう。

そこには、一般的な生活のリズムから外れる感覚があります。

改札を通り抜けることは、日常と非日常の境界を越える行為でもあります。

安全な場所にとどまるのではなく、不確かな出会いや感情の揺れへ向かう。

その選択には危うさがあります。

それでも主人公は、何も起こらない夜より、心が動く夜を選ぼうとします。

終電は、刺激を求める衝動の出発点なのです。

なぜ主人公は「スリル」を求め続けるのか

主人公が求めているものは、単なる刺激ではありません。

眠っていても目覚めていても変わらないほど、心を占める強い感情です。

恋愛でも、人間関係でも、何かを心から求める瞬間には高揚感があります。

相手が振り向いてくれるかもしれない。

次に会えば、関係が変わるかもしれない。

今夜こそ、自分の孤独が埋まるかもしれない。

しかし、その可能性があるからこそ、不安も生まれます。

期待が外れるかもしれない。

裏切られるかもしれない。

求めても、何も得られないかもしれない。

「スリラ」におけるスリルとは、喜びと恐怖が切り離せない状態です。

傷つく可能性があるから、心が強く反応する。

その危うさから離れられないことが、楽曲全体を動かしています。

「願いが叶わないこと」を求める逆説の意味

歌詞のなかには、願いが叶うことと、叶わないことを重ね合わせるような逆説的な表現があります。

一見すると、何を言いたいのかわからないかもしれません。

しかし、恋愛感情に置き換えると、その意味が見えてきます。

欲しいものが手に入らないからこそ、人は相手を追い続けます。

まだ答えが出ていないからこそ、期待できます。

もしすべてが確定してしまえば、そこにあった緊張感や高揚感は消えてしまうでしょう。

主人公は、満たされることを願っています。

同時に、満たされた瞬間に恋の熱が冷めることも恐れているように見えます。

叶わないから苦しい。

けれど、叶わないから求め続けられる。

この矛盾が、「スリラ」における恋愛の本質です。

裏切られても相手を憎めないのはなぜか

楽曲の途中では、相手に裏切られる可能性があっても、簡単には気持ちを捨てられない心情が表れます。

理屈だけで考えれば、信頼できない相手から離れたほうがよい場合もあるでしょう。

しかし、人の感情は必ずしも合理的には動きません。

好きだった時間まで否定したくない。

相手の優しさを信じたい。

まだ何かが変わる可能性を捨てたくない。

そうした思いが、怒りや失望だけで関係を終わらせることを難しくしています。

ただし、この楽曲が、裏切りや不誠実な関係を肯定しているとは限りません。

むしろ描かれているのは、よくないとわかっていても気持ちを整理できない、人間の弱さです。

相手を責め切れないことと、自分が傷ついていないことは別の問題です。

その矛盾を抱えながら、それでも夜へ向かってしまう主人公の姿が、曲の切なさを深めています。

本当に怖いのは、好きだった人を忘れていくこと

「スリラ」の後半では、かつて強く愛した相手の記憶が薄れていくことが描かれます。

ここで楽曲の印象は大きく変わります。

主人公が恐れているのは、相手に拒まれることだけではありません。

あれほど激しく心を動かされた恋も、いつか思い出せなくなるかもしれないことです。

ずっと忘れられないと思っていた相手を、いつの間にか忘れてしまう。

苦しかったはずの出来事が、過去の一場面になっていく。

人は、失恋の痛みが薄れることで前へ進めます。

けれど、感情が薄れることには、別の種類の寂しさもあります。

自分が薄情になったように感じるかもしれません。

大切だった時間まで消えてしまったように思うかもしれません。

ここでいう「スリル」は、恋愛中の高揚感だけではなく、感情が消えてしまうことへの恐れにもつながっています。

「スリラ」がホラーのイメージをまとっているとすれば、その怖さは怪物ではなく、記憶や愛情が変化していくことにあるのでしょう。

走馬灯やホワイトアウトが示す感情の限界

歌詞には、過去の出来事が一気によみがえるような描写や、視界が白くかすんでいくような表現も登場します。

これらは、実際の死や事故を描写していると断定する必要はありません。

むしろ、感情が強く揺さぶられたときの精神状態を表す比喩として読むことができます。

過去の恋が突然よみがえる。

忘れたつもりの相手を思い出す。

期待と失望が一度に押し寄せる。

そんな瞬間、人は何が現実で何が記憶なのかわからなくなることがあります。

「スリラ」では、その感情の混乱が、列車や街の灯り、夜の風景と結びついています。

主人公が走っているのは、単に夜の街ではありません。

過去と現在、期待と諦めのあいだを行き来する、自分自身の心のなかでもあるのです。

始発が意味するのは「夜の終わり」と「現実への帰還」

終電で始まった夜は、やがて始発の時間を迎えます。

ここで重要なのは、始発が希望だけを示しているわけではないことです。

夜のあいだに何があっても、朝になれば日常へ戻らなければなりません。

恋が進展したとしても。

期待が外れたとしても。

気持ちが高まったとしても、冷めてしまったとしても。

電車はいつも通り動き始めます。

この変わらない現実が、「スリラ」の切なさを強くしています。

夜の高揚感は永遠には続きません。

けれど、何も解決しないまま朝が来るからといって、その夜が無意味になるわけでもありません。

主人公は、心を揺さぶられた経験を抱えながら、日常へ帰っていきます。

終電から始発までのあいだは、一つの恋の始まりと終わり、あるいは感情が燃え上がって冷めるまでの時間を凝縮したものだと考えられます。

「始発」という楽曲とのつながり

女王蜂には、2015年3月発売のアルバム『奇麗』に収録された「始発」という楽曲もあります。

「スリラ」のなかにも始発のイメージが登場するため、二つの曲を続けて聴くと、夜明けをめぐる女王蜂の世界観がより鮮明になります。

当時のインタビューでも、アヴちゃんは「スリラ」に登場する始発と、『奇麗』収録曲「始発」のつながりに触れています。音楽ナタリー「失神」インタビュー

夜は自由や高揚を象徴します。

一方、朝は現実と向き合う時間です。

しかし、女王蜂の楽曲では、夜と朝のどちらか一方が正しいとは限りません。

夜のなかに孤独があり、朝のなかにも次へ進む可能性があります。

「スリラ」の始発は、楽しい時間の終わりであると同時に、それでも生き続けるための移動手段なのです。

悲しい歌詞を踊れる音楽に変える女王蜂の表現

「スリラ」の特徴は、歌詞の寂しさとサウンドの華やかさが同時に存在していることです。

音だけを聴けば、思わず体を動かしたくなるダンスナンバーです。

しかし、描かれているのは、満たされない欲望や、変わってしまう愛情、誰かを失うことへの不安です。

この落差は、悲しみをごまかすためだけにあるのではありません。

泣くだけではどうにもならないとき、人は踊ることで感情を動かすことがあります。

何かを完全に忘れることはできなくても、その痛みと一緒に夜を越えることはできる。

アヴちゃんは『失神』の発売前に公開した文章で、「スリラ」を勢いのあるダンスチューンとして紹介しています。

同じ文章では、EP全体が喪失を抱えながらも前へ進む過程と結びついていたことも語られています。

ただし、そのなかで旧メンバーとの別れについて具体的に説明されているのは、同じEPに収録された「空中戦」です。

「スリラ」そのものが旧メンバーとの別れを直接歌った曲だと断定することはできません。アヴちゃん執筆「失神 前夜」

「スリラ」と「超・スリラ」の違い

女王蜂には、「スリラ」とよく似たタイトルの「超・スリラ」という楽曲もあります。

二つの違いを整理すると、次の通りです。

項目スリラ超・スリラ
発売日2015年7月22日2017年4月5日
収録作品EP『失神』アルバム『Q』
作詞・作曲薔薇園アヴ薔薇園アヴ
編曲女王蜂、皆川真人女王蜂、ながしまみのり
楽曲の関係オリジナル版異なる編曲による別バージョン

「超・スリラ」は、2017年発売のアルバム『Q』に収録されています。

歌詞の基本的な内容は共通していますが、編曲者が異なるため、同じ音源ではありません。

なお、『Q』初回盤に付属するライブ映像には、2016年に披露された「スリラ」も収録されています。

そのため、アルバム『Q』では、CD収録曲としての「超・スリラ」と、映像作品に収められた「スリラ」を区別して確認する必要があります。女王蜂公式『Q』特設ページ歌ネット「超・スリラ」楽曲情報

ミュージックビデオのキョンシーと孫悟空が示すもの

「スリラ」のミュージックビデオは、2015年7月13日に公開されました。

映像では、孫悟空を思わせる装いの女王蜂のメンバーと、キョンシーが登場します。

衣装や物語のイメージはアヴちゃんが構想し、映像ディレクターの末吉ノブとともに制作されました。Skream!「スリラ」MV公開記事

マイケル・ジャクソン「Thriller」といえば、ホラーとダンスを融合させた映像でも知られています。

それに対し、女王蜂の「スリラ」は、キョンシーや孫悟空といった東洋的なモチーフを取り入れています。

恐怖とユーモア。

美しさと不気味さ。

激しい踊りと、どこか寂しい感情。

そうした相反する要素を組み合わせることで、女王蜂は既存のホラーイメージを自分たちの表現へ変換しています。

映像の奇抜さは、単なる装飾ではありません。

心が高揚するほど、どこかに不安も潜んでいる。

そんな楽曲の感情を、キョンシーが現れる非現実的な世界として表現していると考えられます。女王蜂「スリラ」公式ミュージックビデオ

「スリラ」に関するよくある質問

女王蜂「スリラ」の発売日はいつですか?

2015年7月22日です。EP『失神』の1曲目に収録されています。

「スリラ」は2023年の曲ですか?

いいえ。2015年に発表された楽曲です。2023年に発売された作品ではありません。

「スリラ」と「スリラー」はどちらが正式なタイトルですか?

正式なタイトルは「スリラ」です。アヴちゃんは、マイケル・ジャクソン「Thriller」を踏まえながら、長音を省いた表記にしたことを説明しています。

「スリラ」はマイケル・ジャクソンのカバーですか?

カバーではありません。薔薇園アヴが作詞・作曲した、女王蜂のオリジナル楽曲です。

「超・スリラ」は「スリラ」と同じ曲ですか?

歌詞の骨格を共有していますが、収録作品と編曲が異なります。「スリラ」は2015年発売のEP『失神』、「超・スリラ」は2017年発売のアルバム『Q』に収録されています。

「スリラ」のミュージックビデオを監督したのは誰ですか?

映像ディレクターの末吉ノブです。アヴちゃんがイメージした衣装やストーリーをもとに制作されました。

まとめ|「スリラ」が描くのは、寂しさを抱えたまま踊る夜

女王蜂の「スリラ」は、2015年発売のEP『失神』に収録された楽曲です。

マイケル・ジャクソン「Thriller」を出発点にしながら、女王蜂ならではのダンスミュージックと恋愛観によって、独自の世界をつくり上げています。

終電は、日常から飛び出す瞬間。

始発は、夜の高揚が終わり、再び現実へ戻る瞬間。

そのあいだに描かれるのは、誰かを求める喜びと、裏切りや忘却への恐れです。

本当に怖いのは、傷つくことだけではありません。

あれほど強かった感情さえ、いつか薄れてしまうことです。

それでも、人は次の夜へ向かいます。

満たされない気持ちを抱えながら、また誰かを好きになり、また心を揺らされる。

「スリラ」は、そんな人間の弱さと生命力を、華やかなビートに乗せて描いた一曲なのです。

この記事を書いた人
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