back number「思い出せなくなるその日まで」は、大切な人を失った悲しみだけを歌った曲ではない。
むしろ描かれているのは、かけがえのない人がいなくなっても日常は止まらないこと、そして生き続けるうちに記憶さえ変化していくことなのではないでしょうか。
特に重要なのがタイトルです。
「忘れるその日まで」でも、「思い出さなくなるその日まで」でもない。
「思い出せなくなる」。
ここには、自分から忘れようとする意志とは違う、時間によっていつか記憶が遠ざかってしまうことへの怖さが感じられます。
しかも清水依与吏は後年、この曲について、大切な人がいなくなったときに生じる悲しみと苦しみの「しくみ」を描いた曲だと説明しています。
今回はこの本人コメントを手がかりに、歌詞の意味を順番に考察します。
「思い出せなくなるその日まで」とは?まず公式情報を確認
「思い出せなくなるその日まで」は、back numberが2011年10月5日に発売した3rdシングルです。
テレビ東京系「JAPAN COUNTDOWN」2011年10月度エンディングテーマに起用されました。back number公式ディスコグラフィー
その後、2011年10月26日発売のメジャー1stアルバム『スーパースター』にも4曲目として収録されています。Universal Music
そして発売週には、Billboard JAPANの総合チャート「JAPAN HOT100」で1位を獲得。
ここは少し注意したいところで、CDセールスだけで1位になったわけではありません。Billboard JAPANによればセールスチャートは25位だったものの、エアプレイで大きなポイントを獲得し、総合首位になっています。Billboard JAPAN
つまり、back numberが広く知られていく初期に大きな存在感を示した一曲だったといえます。
清水依与吏本人が語った、この曲の「しくみ」
この曲を考察するうえで非常に重要な資料があります。
2016年のベストアルバム『アンコール』発売時、back number公式サイトで清水依与吏本人によるセルフライナーノーツが公開されました。
そこで清水は、「思い出せなくなるその日まで」を、大切な人がいなくなったときの悲しみと苦しみの「しくみ」を扱った歌として説明しています。
さらに、そうした感情と向き合うことで癒える傷もあるかもしれない、という趣旨の言葉も残しています。back number公式・清水依与吏セルフライナーノーツ
この「しくみ」という言葉が重要です。
この曲は単純に「大切な人がいなくなって悲しい」と歌っているのではありません。
なぜ人を失うと、こんなにも苦しいのか。
その理由を一つずつ見つめていく歌なのです。
冒頭で描かれる最大の残酷さ|「自分の世界」と「現実の世界」は違う
歌の冒頭で突きつけられるのは、大切な人がいなくなったとしても、毎日は何事もなかったように続いていくという現実です。
ここに、この曲の最初の大きなポイントがあります。
主人公にとって相手は、自分の世界そのものが変わってしまうほど大きな存在だった。
しかし現実の世界は止まりません。
朝が来る。
季節も変わる。
人々も生活を続ける。
自分にとっては世界が終わったような出来事なのに、世界そのものは終わってくれない。
この「自分の時間」と「世界の時間」のずれこそが、喪失直後の孤独なのではないでしょうか。
なぜ「雪」と「冬」がこんなにも悲しく描かれるのか
この曲では冬が印象的に描かれます。
しかし、雪や冬そのものが悲しいわけではありません。
以前は相手と一緒に感じられた寒さだった。
同じ景色を見て、同じ寒さを言葉にして返し合うことができた。
ところが相手がいなくなると、同じ季節がまったく違うものに感じられる。
ここで描かれているのは、景色の価値は景色そのものではなく、「誰と見ていたか」によって作られていたという発見です。
相手がいた頃には、それが幸福だと強く意識していなかった。
失って初めて、何でもないやり取りまで幸福だったことに気付く。
だから主人公が失ったのは「一人の人」だけではありません。
その人と一緒に見ていた冬。
その人と共有していた時間。
その人がいることで意味を持っていた日常。
つまり、世界の見え方そのものを失っているのです。
記憶を消せば楽になれる。でも、それでは「自分」ではなくなる
サビでは、さらに深い問題へ進みます。
もし相手と過ごした時間の記憶をすべて消すことができれば、今の苦しみは軽くなるかもしれません。
それでも主人公は、それを救いだとは考えていないように見えます。
なぜなら、相手との記憶を取り除いてしまえば、今の自分自身まで別の存在になってしまうからです。
人との思い出は、頭の中に保存された映像ではありません。
好きになったこと。
一緒に笑ったこと。
けんかしたこと。
傷ついたこと。
許したこと。
そうした経験すべてが、その後の自分の考え方や感情を作っている。
だからこの曲では、
相手を忘れれば悲しみから解放される。しかし相手を忘れることは、自分の一部まで失うことでもある。
という矛盾が描かれているのだと思います。
「自分の半分が相手」という表現の本当の意味
曲中には、自分と相手がお互いの半分を作っていたという印象的な比喩が登場します。
これは単に「ものすごく好きだった」という意味だけではないでしょう。
長く近くにいた人は、自分の中に入り込んでいきます。
考え方や習慣、言葉、好きなもの、季節の感じ方まで変えてしまう。
すると別れた後も、その人から受け取ったものだけは自分の中に残る。
身体は一人になったのに、心の中には二人で作った部分が残っている。
だから痛い。
だから涙が出る。
この曲が優れているのは、悲しみを単に感情として描くのではなく、「自分を構成していたものが欠けたのだから、苦しいのは当然だ」と主人公自身が理解しようとしているところです。
清水依与吏がセルフライナーノーツで使った「しくみ」という言葉とも重なります。
「幸せ」だけではなく「悲しみ」も二人で作った
歌の前半と後半には、よく似た構造のサビがあります。
しかし意味は少し変化します。
前半では二人が幸福を共有していたことが強調され、後半では、悲しみまで共有していた関係だったことが示されます。
ここがとてもback numberらしいところです。
思い出の中の相手を、完璧な存在にしていない。
楽しかったことだけではなく、けんかもあった。
悲しいこともあった。
それでも全部を含めて「二人」だった。
だから消したくない。
つまり主人公が守ろうとしているのは、美化された恋愛の記憶ではありません。
幸せも悲しみも含んだ、自分が確かに生きていた時間そのものなのです。
春になって花が咲いても、人間の傷まで治るとは限らない
後半では、冬の次に春が意識されます。
季節は巡り、やがて花は咲く。
普通なら「春」は再生や希望の象徴として使われそうです。
ところが、この曲はそこで簡単に主人公を救いません。
自然は何事もなかったように次の季節へ向かっていくのに、人間の心は同じ速度では進めない。
これは冒頭と同じ構造です。
世界は進む。
季節も進む。
それでも自分だけが取り残される。
だから「時間が経てば解決する」という単純な失恋ソングにはなっていません。
むしろ、時間が進んでしまうこと自体が悲しい。
時間が進めば、いつか大切だった人の記憶まで変わってしまう可能性があるからです。
タイトルの意味|なぜ「思い出さなくなる」ではなく「思い出せなくなる」のか
ここでタイトルに戻ります。
「思い出さなくなる」と「思い出せなくなる」は似ていますが、大きく違います。
前者なら、自分が思い出さないという選択ができます。
しかし後者には、思い出そうとしても、いつか思い出すことができなくなるという響きがあります。
主人公は今すぐ忘れたいわけではない。
むしろ恐れているのは、生き続けているうちに記憶が薄れ、いつか相手を鮮明に思い出せなくなる未来ではないでしょうか。
そう考えると、タイトル末尾の「その日まで」も切実です。
「その日」は目標ではありません。
早くそこへ到達したいわけでもない。
避けたいけれど、いつか来るかもしれない未来です。
だから主人公は、忘れることによって前へ進もうとしているのではない。
思い出せるあいだは、痛みごと相手の記憶を抱えて生きようとしている。
それが、このタイトルの核心だと考えます。
相手は亡くなった?それとも恋人との別れ?
この曲について検索すると、「死別を歌った曲なのでは?」という解釈も見かけます。
確かに、取り返せない喪失として読むことはできます。
ただし、死別だと断定するのは避けるべきでしょう。
少なくとも清水依与吏本人のセルフライナーノーツでは、理由を「死」と限定せず、大切な人がいなくなったときの感情として説明しています。
歌詞の中でも、不在になった理由は明言されません。
そのため、
- 恋人との別れ
- 二度と会えない別離
- 大切な人との死別
など、聴き手自身の経験を重ねられる余白が残されています。
むしろ理由を限定していないからこそ、「大切な人が自分の人生からいなくなる」という普遍的な喪失の歌になっているのではないでしょうか。
「思い出せなくなるその日まで」が本当に描いているもの
この曲の核心は、「忘れられないほど愛している」ということだけではないと思います。
大切な人を失ったとき、人はその人だけを失うわけではない。
一緒に見た季節の意味を失う。
何でもない会話を失う。
その人がいることで成立していた自分を失う。
そして、それでも世界は進んでいく。
だから苦しい。
ただ、清水依与吏本人が語っているように、その悲しみの「しくみ」と向き合うことが、傷を癒やす入口になることもあるのでしょう。
忘れることが前進なのではありません。
相手と過ごした幸福も悲しみも自分の一部だったと認めたうえで、生き続ける。
そして、いつか本当に思い出せなくなる日が来るとしても――その日までは覚えている。
「思い出せなくなるその日まで」は、そんな記憶と喪失、そして残された人が生き続けることを描いた歌なのだと思います。


