今回はAwesome City Club(オーサムシティクラブ)のヒット曲、『勿忘(わすれな)』について曲の考察を行ってみたいと思います。
「勿忘」 概要・曲紹介
『勿忘』は菅田将暉さんと有村架純さんが主演の映画「花束みたいな恋をした」のインスパイア曲です。
作曲のきっかけはAwesome City Clubのメンバーが映画に出演したことで、この映画に感銘を受けて自分たちで曲を作ったようです。
そのため、曲調は映画のストーリーや雰囲気を象徴するように、少し儚げで切ない楽曲となっています。
そんな映画のストーリーと、曲名である『勿忘』の花言葉もやはりリンクしています。
そこで今回は花言葉の意味や映画の内容、そして儚い男女関係を軸に、『勿忘』の歌詞にはどのような想いが込められているのか考察したいと思います。
曲名『勿忘』の意味とは
ではまず「勿忘」という曲名に関しての説明です。
まずこの漢字の読み方からして難しい・・・と思った方もいるのではないでしょうか?
これは「わすれな」と読みます。
「勿忘草」という花があることをご存じの方はきっと読めたのではないでしょうか。
そしてこの花の花言葉は「私を忘れないで」「真実の愛」「思い出」といったような意味があるようです。
「私を忘れないで」というと、やはり悲しげな曲の印象がありますが、一方で「真実の愛」「思い出」といった意味でも曲との関係性が深いように感じられます。
また、この勿忘草の語源には中世ドイツの伝説があると言われています。
騎士ルドルフは川に咲いているこの花(勿忘草)を、恋人であるベルタのために取りに行きましたが、誤って川に飲まれ亡くなってしまいます。
死する直前に最後の力で、「僕を忘れないで」という言葉を残し、花を岸に投げ死んでしまったルドルフ。
ベルタはその彼の最後の言葉を花の名にしたという伝説です。
愛する人のために行動した結果として、それが離別の要因となってしまう。
このことは映画のストーリー、そして歌詞にもすれ違いの様子としてよく表現されています。
ネタバレも多少ありますので、映画をご覧になってない方はご注意ください。
歌詞解釈
それでは、前述のような花言葉の意味や語源、映画内容があることを踏まえて、歌詞に込められた意味や感情を紐解いていきたいと思います。
1番
例えば今君が
その瞳濡らしていたとしても
呼ぶ声はもう聞こえない
絵の具を溶かすように
君との日々は記憶の中 滲んでく
まずは1番の歌詞になりますが、ここでは映画の主人公(男)の一人である山音麦の彼女である八谷絹との関係性を歌っています。
「呼ぶ声はもう聞こえない」とあることから、忙しさに追われて彼女の気持ちを置き去りにし、そして出逢った頃の楽しい日々をも忘れていく様子が伺えます。
絵の具を溶かすようにとあることから、イラストレーターを目指していた麦の気持ちであることが分かります。
何かを求めれば
何かがこぼれ落ちてく
そんなこの世界で
この部分では彼女の気持ちよりも優先させるものとして行動した結果、大切なものを失ってしまった麦の心情が表れているように思えます。
現実でも多くを求めた結果、大切なものを失ってしまったという経験は誰しもあるのではないでしょうか?
春の風を待つあの花のように
君という光があるのなら
巡り巡る運命を超えて
咲かせるさ 愛の花を 花束を
春の風を待つあの花=勿忘草を指しています。
1番では絹とやり直したいという麦の心情を歌ったものだと考えられますが、それは「運命を超えて咲かせるさ愛の花を」という部分から伝わってきます。
ここで言う君というのは絹のことで、暖かい春を待つ勿忘草のように、麦は絹との明るい「未来」を想像している様です。
2番
願いが叶うのなら
ふたりの世界また生きてみたい
あのキスから芽吹く日々
水色花びらはもう香りを忘れ
君への想い 枯れていく
続いて2番になりますが、ここでは1番とは対称的に彼女である絹の心情や想い、麦への感情を歌っているようです。
「ふたりの世界また生きてみたい」とあることから、絹は麦とは違い、甘く満たされた日々を過ごしていた「過去」に思いを馳せています。
「香りを忘れ」「君への想い 枯れていく」とあることから、徐々に絹は麦への愛が薄れ、想う気持ちが薄れていることを自覚してきているようですね。
散ってしまいそうな心に
覚えたての愛の美しさを
ねえ 咲かせて
この部分では絹の麦への想いが薄れて、付き合った頃の愛の深さに焦がれる様子、そして絹の愛を求める気持ちが歌われているように思えます。
この部分までで既に、二人の気持ちがすれ違ってしまっていることが伺えますね。
2番からはAwesome City Club の女性ボーカルPORINさんが歌っていることからも、女性目線での気持ちや視点での歌詞であると推測できます。
春の風を待つあの花のように
飾らない心でいられたら
触れられなくても
想い煩っても
忘れないよ
ここでは過去に思いを馳せている、絹の後悔する気持ちが表れているように思えます。
「飾らない心でいられたら」とあることから、素直になれなかった自分自身を悔いているのではないでしょうか。
そして最後に「忘れないよ」とあることから、絹自身は麦とは違って別れを既に決意し、受け入れているように思えます。
この恋をひとつずつ束ねいて
君という光があるのなら
巡り巡る運命を超えて
咲かせるさ 愛の花を 花束を
ラストのサビでは別れた後の二人の気持ちを歌っている様子が分かります。
映画を見れば分かりますが、互いに別々の道を歩み始めた後も、二人がお互いをまだ忘れることなく、気に掛けているシーンがあります。
そしてまたそれぞれ恋を育み、別の形で再び会うことがあれば、今度はまた違った結果になり、明るい未来が訪れるだろうと予感させる歌詞なのではと思います。
まとめ
以上、Awesome City Clubの『勿忘』の解釈でした。
花言葉である「忘れないで」という気持ち、そして「思い出」に心を馳せるシーン、度重なる出来事ですれ違う二人の心情、そして「真実の愛」とは何なのか?
ということも深く考えさせられる内容でした。
曲自体も男性と女性で別れて歌うパート、そしてすれ違う二人の気持ち、映画でも二人の想いや感情が別々にナレーションされているのが特徴的です。
インスパイア曲だけあって非常に心のこもった素晴らしい曲ですね。
誰もが共感し考えさせられるような、そんな楽曲を提供してくれたAwesome City Club、そして映画「花束みたいな恋をした」の制作スタッフの方々には感謝しかありません。
映画も観るとよりこの曲と歌詞の良さが分かりますので、興味のある方はぜひ一度、ご覧になってみてください!