Vaundy「走馬灯」歌詞の意味を考察|なぜ最後に「思い出そう」なのか?

Vaundy「走馬灯」は、一見すると「死」を連想させる曲です。

タイトルは走馬灯。MVの冒頭には心電図を思わせる音があり、歌詞にも、目的地を見失ったような人物と、失われていく記憶が描かれています。

しかし歌詞を最後まで追うと、この曲は単純な「死の歌」ではないように思えます。

むしろ重要なのは、何度も繰り返される「忘れる」という動きと、最後に現れる「思い出そう」という反転です。

筆者は「走馬灯」を、失われていく人や記憶を前にして、それでも何を自分の中に残すのかを描いた曲だと考えます。

※以下は歌詞とMVをもとにした考察です。Vaundy本人が楽曲の意味を一つに限定して説明したものではありません。

Vaundy「走馬灯」は2022年に発表された楽曲

「走馬灯」は2022年7月11日に配信リリースされ、同日0時にミュージックビデオも公開されました。Vaundy公式サイト

その後、2023年11月15日発売の2ndアルバム『replica』ではDisc 2の12曲目に収録されています。『replica』公式情報

作詞・作曲はVaundy。歌詞の全文は歌ネットで確認できます。

「車窓」は人生そのものより、“流れ去る記憶”なのではないか

冒頭の主人公は、いつの間にか知らない場所まで来ています。

さらに、自分が何をしようとしていたのかさえ曖昧になっている。

ここで印象的なのが「車窓」というモチーフです。

車窓から見える景色は、自分が立ち止まりたくても後方へ流れていきます。少し前まで目の前にあった風景も、振り返れば遠くなっている。

これは時間や人生そのものだけでなく、記憶の性質にもよく似ています。

大切だった出来事でさえ、時間が経てば輪郭が薄くなっていく。

つまり「走馬灯」というタイトルは、死の瞬間に過去を見ることだけではなく、今この瞬間にも記憶が次々と過去へ送られていることを表しているのではないでしょうか。

「忘れる」が繰り返されることに意味がある

「走馬灯」の歌詞を読むうえで重要なのは、「死」という言葉が直接書かれていることではありません。

むしろ何度も現れるのは、

「何をしたかったのか分からなくなる」
「大切なものを見落とす」
「どこへ行こうとしたのか分からなくなる」
「大事なものを失う」

という、記憶や目的が少しずつ抜け落ちていく描写です。

主人公は突然すべてを失ったのではありません。

生きているうちに考えることが増え、いろいろな出来事を経験し、その結果として、本当に大切だったものまで見えにくくなっている。

ここにこの曲の切なさがあります。

人は大切なものを「大切ではなくなったから」忘れるとは限らない。

大切なまま、忘れてしまうこともあるのです。

「君のせいじゃない」は慰めではなく、原因探しをやめる言葉

曲中で繰り返されるのが「君のせいじゃない」「僕のせいでもない」という言葉です。

現行記事ではこれを「許し」のメッセージとしていましたが、もう少し違う読み方もできます。

注目したいのは、その直後に「未来が変わった」という意味の言葉が続くことです。

「君」か「僕」のどちらかが悪かったから現在がこうなったのではない。

二人が当然のように想像していた未来とは、別の未来になった。

それだけなのだ、と。

これは完全に納得している人の言葉というより、原因や責任を探し続ける自分自身を止めようとしている言葉にも聞こえます。

別れ、喪失、挫折。

大きな出来事が起こると、「あのとき自分がこうしていれば」と過去に原因を探してしまいます。

「走馬灯」は、その終わらない答え合わせから離れようとしているのかもしれません。

「変わった」から「変わっていく」へ――未来は一度だけ失われるのではない

さらに面白いのが、繰り返されるサビが完全に同じではないことです。

最初は、未来がすでに変化したことを示す表現。

次には、未来がこれからも変化していくことを示す表現。

そして終盤では、再び変化が起きたことを受け止めるような形へ戻ります。

ここから見えるのは、人生の変化が一度きりの事件ではないということです。

人と出会い、離れ、何かを手に入れ、何かを失うたびに、「当たり前だったはずの未来」は更新され続けます。

だから「走馬灯」が描いているのは、過去だけではありません。

過去を振り返りながら、変わり続ける未来を受け入れようとする歌でもあるのです。

最大のポイントは「忘れる」から「思い出す」への反転

筆者が「走馬灯」で最も重要だと考えるのは終盤です。

それまで主人公は、忘れること、見落とすこと、失うことを繰り返してきました。

ところが最後になって初めて、自分から記憶を取り戻そうとします。

ここで曲の向きが変わります。

忘れてしまうことは仕方がない。

未来が変わることも止められない。

離れてしまった人との時間も戻せない。

それでも、完全に忘れてしまう前なら「思い出す」ことはできる。

走馬灯とは、死ぬ直前に勝手に再生される過去だけではない。

忘れてしまう前に、自分の意思で大切なものを振り返る行為でもある。

そう考えると、タイトルの意味が一段深く見えてきます。

「愛を許してくれ」とは何を許してほしいのか

曲の最後に残るのは「愛」に関する短い願いです。

ここも「相手を許すことの大切さ」と単純化しない方が、この曲らしいでしょう。

直前には、人が寄り添っては離れ、互いをさらけ出すことで傷つく様子が描かれています。

つまり、この曲の愛は美しいだけのものではありません。

誰かを愛したから傷つき、別れたあとにも記憶が残り、その記憶によってまた心がすり減る。

それでも愛してしまったこと自体は消せない。

だから最後の言葉は、「過去の過ちを許してほしい」という謝罪だけではなく、

「こんなふうにまだ君を思ってしまうことを許してほしい」

という願いにも聞こえます。

離れることと、愛が消えることは同じではない。

その矛盾を抱えたまま曲が終わるところに、「走馬灯」の余韻があります。

MVは「死」を断定する映像ではない

公式MVでは、楽曲が始まる前に心電図を思わせる音が使われています。

そのため「主人公は死の間際にいるのではないか」という解釈が生まれるのは自然です。

ただし、ここで注意したいのは、死だけを唯一の答えにしないことです。

MVを手がけた横堀光範監督は、楽曲を初めて聴いた際に感じた「日常の当たり前の風景が遠く忘れられていく感覚」を映像にしたと説明し、大切な人を思いながら見てほしいという趣旨のコメントを残しています。MV公開時の記事

つまり監督自身の言葉でも、中心にあるのは「死そのもの」より、失われていく風景と大切な人の記憶です。

MVには狼も登場しますが、「狼=守護者」「狼=犠牲と愛情」といった意味を監督やVaundyが公式に説明した資料は、今回確認した範囲では見つかりませんでした。

そのため狼の意味を一つに固定するより、二人の少女の関係や、生と死、別れと再会を補強する象徴的な存在として見る方が自然でしょう。

「走馬灯」は死の歌というより、“忘れてしまう前”の歌

Vaundy「走馬灯」は、死を想像させるモチーフを持った作品です。

しかし歌詞を順番に追うと、描かれているのは死だけではありません。

目的を忘れる。
大切なものを見落とす。
人と離れる。
当然だと思っていた未来が変わる。

そして最後に、完全に忘れてしまう前に記憶へ手を伸ばす。

この流れこそが「走馬灯」の核心ではないでしょうか。

人も未来も、自分の思い通りには残ってくれない。

だからこそ、まだ思い出せるうちに思い出す。

「走馬灯」は人生の最後に見る景色ではなく、今を生きている私たちが、大切なものを忘れないために振り返る景色なのかもしれません。

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