① iPhoneの誤変換「呪言」から生まれた“ことほぎ” — 言葉の偶然が曲を動かす
「ことほぎ」という言葉の語源は、古語で「祝詞(のりと)」や「言祝ぎ(ことほぎ)」、つまり祝福やお祝いの言葉を意味します。通常であれば、ポジティブな響きを持つこの言葉。しかし、本楽曲『ことほぎ』の発想のきっかけとなったのは、なんとスマートフォンでの誤変換だったという逸話があります。
Teleのボーカルが「ことほぎ」と打ち込んだ際に、iPhoneがそれを「呪言(じゅげん)」と誤変換したことから、この偶然に着想を得て、楽曲の世界観を膨らませていったというエピソードは、SNSやインタビュー記事でも話題となりました。
この出来事は、ただの技術的な間違い以上に、”祝福”と”呪い”という二面性を持つ人間の感情を象徴するインスピレーションとして機能しています。まさに、現代的な偶然が生んだ現代詩のような始まりです。
② 「祝福」と「呪い」が交差する世界観 — 相反する感情が詩語に光をあてる
『ことほぎ』の歌詞では、「祝う」という行為と「呪う」という行為がまるで鏡合わせのように並置されています。たとえば、別れや悲しみといったネガティブな出来事に対しても、それを”祝福する”という倒錯的な視点が盛り込まれています。
これは、ただの皮肉や逆説ではなく、感情の複雑さを映し出す詩的な試みと言えるでしょう。誰かとの別れを嘆くだけでなく、それを「あなたの新たな旅立ちを祝う」と解釈することで、自分自身の痛みさえも他者の幸せの一部として再構築しているのです。
「ことほぎ(祝言)」という美しい語感の裏に、「呪言(じゅげん)」という陰の響きが潜んでいる構造は、人間関係の中に潜む矛盾やすれ違い、未練、諦めといった感情を見事にすくい上げています。
③ 別れを肯定する歌詞の力 —「愛される権利は君にある!」に込められた強さ
楽曲中に登場する「愛される権利は君にある!」という一節は、多くのリスナーの心に深く刺さる言葉として話題になっています。このフレーズが持つ力は、ただの応援歌的なメッセージではなく、自己肯定と他者の尊重を同時に含む複雑なエールです。
たとえば、「さよならだけを抱き寄せないで」という表現は、一見すれば切ない言葉に思えますが、実は「別れそのものにも意味を持たせよう」という、非常に前向きな思想が込められています。
これは、自分自身が誰かに必要とされなかった事実を否定するのではなく、「それでも自分には愛される価値がある」と認めるための勇気をリスナーに届けています。別れをネガティブに終わらせず、次の一歩へと導いてくれるような強さが、この歌詞の中には確かに息づいています。
④ “文学的描写”が描く心象風景 — 身近な言葉で切り取るモヤモヤと美しさ
Teleの歌詞世界には、難解な言葉や奇をてらった比喩表現はほとんど見られません。それでも、どこか文学的で、記憶の奥をくすぐるような表現が多く散りばめられています。
たとえば、「愛を乞う声を切り捨ててでも、君の幸せを祈るよ」といった表現は、身近な語彙でありながら、深い情感を呼び起こします。このような描写には、読者自身が心の中で映像を思い浮かべ、個々の体験と照らし合わせて解釈できる自由さがあるのです。
文学において、”描かないことで描く”という技法があるように、Teleの歌詞もまた、「行間」や「余白」を重視したアプローチで心象風景を描き出しています。言葉を尽くしすぎないことで、かえって聴き手の想像力を刺激し、より強い共感や感動を呼び起こすのです。
⑤ リスナーの心に刻まれる共感 — 実際の体験が紡ぐ歌詞との対話
SNSやnoteなどで『ことほぎ』に関する感想を検索すると、「自分の別れを思い出した」「あのとき言えなかった言葉をこの曲が代弁してくれた」といった、非常に個人的な体験が多く語られています。
このような感想の多くは、単に歌詞の意味を解釈するだけでなく、「自分自身の物語」としてこの曲を受け取っている点に特徴があります。音楽が持つ力のひとつに「代弁する」力がありますが、『ことほぎ』はまさにその典型とも言える楽曲です。
歌詞の持つ普遍性と個別性のバランスが絶妙であるため、誰しもの心の中にある「別れ」や「許し」、「希望」や「呪い」といった複雑な感情に寄り添い、その感情を整理する手助けをしてくれるのです。
総まとめ
『ことほぎ』は、単なるラブソングでも応援歌でもなく、人間の矛盾した感情を祝福と呪いという対比で浮き彫りにした詩的な楽曲です。iPhoneの誤変換という偶然から始まり、多くの人の心に偶然以上の必然を届けているこの歌詞は、まさに現代的な”ことばの魔法”と言えるでしょう。