「シュガーソング」と「ビターステップ」が描く、生きる“甘さ”と“辛さ”の象徴
UNISON SQUARE GARDENの代表曲「シュガーソングとビターステップ」は、そのタイトルからも分かる通り、甘さ(シュガー)と苦さ(ビター)という相反する感覚がキーワードになっています。
この楽曲の歌詞では、「生きる」ということの多面性が鮮やかに描かれています。「甘いことばかりじゃない」「でも苦いだけでもない」――人生の中で起きる喜びと苦悩、成功と挫折、その両方を受け入れながら前に進むというメッセージが全編に通底しています。
特に印象的なのが〈この世界中で笑って泣いて〉というフレーズ。人間の感情の幅広さを象徴するこの一節は、どんな感情も否定せずに肯定していく、というUNISON SQUARE GARDENらしい“ニュートラルで開かれた姿勢”を表しているように思えます。
語呂遊びと比喩表現:ママレード&シュガーソングなどの隠された意味
「ママレード&シュガーソング、ピーナッツ&ビターステップ」という冒頭の歌詞は、耳に残るキャッチーな言葉遊びのように思えますが、そこには言葉以上の含意が読み取れます。
たとえば「ママレード」は甘さと酸っぱさを併せ持つ食べ物であり、「ピーナッツ」はアレルギーを引き起こす危険性もある食材。「シュガーソング」と「ビターステップ」というペアが象徴するように、すべてのものには二面性があるという構造が、ここでも踏襲されています。
また、「Sing a song」「beat a step」などの英語フレーズの語感も巧みに使われており、リズム感だけでなく、”歌うこと”と”ステップを踏むこと”、つまり「表現と行動」をセットで描くことで、音楽を通じた生き方そのものを示唆しています。
「蓋然性合理主義」による商業音楽批判:個性と理念の衝突
この楽曲の中でもとりわけ異彩を放つのが、「蓋然性合理主義(がいぜんせいごうりしゅぎ)」という造語的表現です。この言葉には、理性や統計的な“正しさ”を求める社会への違和感が込められていると考えられます。
「みんなが良いと言っているから」「売れているから正しい」という考え方に対し、それに流されず“音楽そのものの力”や“自分自身の感覚”で選び取ることの重要性を伝えているのです。
このようなメッセージは、現在の商業主義的な音楽業界やSNS社会にも当てはまります。UNISON SQUARE GARDENはこの一節を通して、「他人の評価に惑わされない生き方」「自分の感性に忠実であること」の大切さを、リスナーに強く訴えかけています。
ライブ後の昂りと感情の言語化:祭囃子以降に残る“魂の震え”
歌詞中の〈祭囃子が胸を刺す〉という表現には、ライブの熱狂や、音楽体験の余韻が描かれています。祭りが終わったあとの静けさと、胸の奥に残る震え――それは言葉にしきれないほどの感情であり、アーティストにとっては“表現することへの恐れ”とも言える感情かもしれません。
そしてこの楽曲の終盤では、「ねえ、君にとって僕は何だろう?」という投げかけが登場します。これは聴き手への問いかけであると同時に、自己表現の中で立ち現れる“存在証明”への葛藤でもあるでしょう。
UNISON SQUARE GARDENは、ただ音楽を鳴らすだけでなく、「その後に残るもの」「言葉にならない感情」までも丁寧に拾い上げようとしています。
QEDと「南南西」への志向:音楽の継続こそが自己証明である理由
Cメロで歌われる〈証明終了 Q.E.D.〉という言葉は、論理的な証明が完了したことを示す記号であり、哲学や数学の世界でも使われます。このフレーズが登場することで、楽曲全体に“自分たちの音楽活動そのものが、存在の証明である”という強い意志が読み取れます。
さらに〈南南西に進むのさ〉というフレーズも象徴的です。これは方角というよりも“信念の方向”を意味しており、他者の正解に頼らず、自分たちの信じる道を突き進むという精神性を表しています。
ユニゾンの音楽が持つ“揺らぎと直進性”の両立、そしてどこにも属さずに己を貫く姿勢が、ここで明確に提示されています。
総括:この楽曲が伝える“普遍性と個性のバランス”
「シュガーソングとビターステップ」は、単なるポップソングではありません。そこには日常の幸福と苦悩、社会への違和感、感情の奔流、そして表現者としての信念が詰まっています。
軽快なリズムとキャッチーなメロディの裏に隠された、深い言葉の数々。それらを読み解くことで、音楽がただの娯楽ではなく、私たち一人ひとりに寄り添い、生きる力をくれる存在であることを改めて感じさせられます。