女王蜂「失楽園」は、軽やかなダンスビートに乗せて
「天国なんて行きたくない」「禁断の恋は報われない?」と歌う、甘くて苦い一曲です。
耳だけで聴くとポップでおしゃれなエレクトロ・ダンスチューン。
でも歌詞を追うと、祝福とは無縁の恋・ジェンダー・“普通”から外れてしまう怖さといった、かなりエッジの効いたテーマが見えてきます。
この記事では、「失 楽園 女王蜂 歌詞 意味」で検索してきた方に向けて、
- 楽曲の基本情報
- タイトル「失楽園」が持つ意味
- 歌詞前半〜サビ〜後半の流れと物語
- MVやアルバム『Q』とのつながり
- アヴちゃんが語った「不倫ではなくジェンダーの歌」という視点
までをまとめて解説していきます。
※歌詞は著作権の関係で一部のみ引用し、できるだけ内容を要約して紹介します。フル歌詞は公式サイトや歌詞サイトでチェックしてください。
失楽園/女王蜂とは?楽曲情報と作品の位置づけ
まずは基本情報から整理します。
- アーティスト:女王蜂(Queen Bee)
- 曲名:失楽園
- 作詞・作曲:薔薇園アヴ
- 収録作品:5thアルバム『Q』
- 発売日:2017年4月5日
「失楽園」は、アルバム『Q』の6曲目に収録されたダンス・チューンで、アーバンかつメロウなサウンドが特徴。メディアでは「極上のダンス・チューン」と紹介され、ライブでも定番曲のひとつとして愛されています。
さらに、Amazonプライム・ビデオの特撮ロボットドラマ
『77部署合体ロボ ダイキギョー ドラマ・伝え方が9割』の主題歌にも起用。奇天烈なドラマの世界観と合わさって“化学反応”を起こしたと評されています。
アルバム『Q』自体が
- ジェンダーレスでボーダレスな存在
- 善悪・モラルでは割り切れない感覚
- アヴちゃんの内側にいた少年性“Q”
といったテーマを持った作品であり、批評では「最高傑作」とまで言われました。
その流れの中で聴くと、「失楽園」は“禁断の恋のダンス・チューン”であると同時に、“ジェンダーとアイデンティティの歌”としての側面も見えてきます。
タイトル「失楽園」が示すもの ― 禁断の恋と“天国なんて行きたくない”という願い
「失楽園」という言葉には、すでに強いイメージがまとわりついています。
- 元ネタは、ジョン・ミルトンの叙事詩『Paradise Lost(失楽園)』
- アダムとイヴが禁断の果実を口にし、楽園を追放される物語
- 日本では渡辺淳一の小説『失楽園』で一気に有名に
- 中年男女の不倫と純愛を描いた作品で、映画・ドラマ化もされ、
以後「失楽園=不倫の代名詞」のように使われるようになりました。
- 中年男女の不倫と純愛を描いた作品で、映画・ドラマ化もされ、
こうした背景を踏まえると、女王蜂があえて「失楽園」というタイトルを採用し、歌詞の中で「禁断の恋」という言葉を使っている時点で、
祝福されない恋愛・タブーな関係
を真正面から扱う曲だとわかります。
サビでは「天国なんて行きたくない」という強いフレーズも登場します。
“天国”はここでは、道徳的に正しい、祝福された生き方──つまり「普通」であることのメタファーだと考えられます。
「失楽園」というタイトルと
- 禁断の恋
- 天国(祝福された世界)への拒否
というキーワードを重ねることで、
「楽園」とされている場所から自ら外れてでも、
本当の気持ちを選んでしまう人間
の姿が描かれている、と読めるわけです。
女王蜂「失楽園」歌詞の意味をざっくり一言でまとめると?
一言でまとめるなら、こんなイメージです。
“祝福されない恋と、自分らしいジェンダーを選ぶために、
「天国」を捨ててしまう決意の歌”
歌詞だけを読むと、
- 結婚指輪
- 秘密の誓い
- 「禁断の恋」
といったモチーフから“不倫ソング”としても十分解釈できます。実際、SNSや一部のレビューでは「不倫で駆け落ちする歌」という受け取り方も見られます。
一方で、アヴちゃん本人はインタビューで
不倫ではなく、“ジェンダー”の歌である
と語っていると紹介されており、公式の解釈としては「性別や社会規範からはみ出してしまう恋・生き方」を描いた曲だと言えます。
つまり「失楽園」は、
- 表層:不倫/禁断の恋の物語として読める
- 深層:ジェンダーの規範から外れてしまう人の葛藤の歌
という二重構造を持った楽曲だと考えると、すごくしっくりきます。
歌詞前半の意味解釈|指輪が沈むベッドルームと、始まってしまった“戻れない関係”
Aメロ〜1番の描写は、とても象徴的です。
指輪が「シーツの海に沈む」光景
冒頭では、
- やっと“心”を手に入れたふたり
- それを夜がそっと包み込む
- ベッドのシーツの海に、リング(指輪)が沈んでいく
といったイメージが描かれます。
ここでの「リング」は、ほぼ間違いなく“結婚指輪”のメタファーでしょう。
ベッドの上で外された指輪は、
- これまで守るべきだった誓いとの決別
- 公的な関係(結婚生活)からの逸脱
を象徴しています。
「もう二度と同じようには光らない」と歌われることで、一度はめた指輪は、もはや“以前と同じ意味を持つことはない”と暗示されます。
永遠の誓い vs. 小指同士の秘密の誓い
さらに歌詞では、
- ダイヤモンドの指輪に閉じ込められた“永遠の誓い”
- 誰にも言えない、“小指同士”で交わす秘密の誓い
が対比されます。
ここには
- 社会に認められた、表向きの誓い
- 社会には認められない、ふたりだけの誓い
という二つの“愛の形”が並べられているように見えます。
不倫として読むなら、
「結婚という制度としての愛」と
「禁じられた関係にある恋人との愛」
の板挟み。
ジェンダーの歌として読むなら、
「異性愛・男女婚」という“普通の愛”と
「そうではない、自分らしい愛の形”
の衝突、と捉えることができます。
夜という時間帯や、ベッドルームの閉ざされた空間は、
“社会から切り離された一時の楽園”でもあり、“楽園を失う始まり”でもある。
こんな二重性が、前半から丁寧に仕込まれているのがポイントです。
サビの歌詞の意味|「好きな気持ちはどうしようもない」と天国を拒む理由
サビで印象的なのが、
- 「天国なんて行きたくない」
- 「禁断の恋は報われない? やってみないと判らない」
- 「好きな気持ちはどうしようもない」
といったフレーズです。
「天国なんて行きたくない」の本当の意味
“天国”は、宗教的な死後の世界というより、
- 何も問題のない、まっとうな人生
- 祝福される恋愛・結婚・家族像
を指していると考えられます。
つまり「天国なんて行きたくない」という言葉には、
「みんなが正しいと言う“幸せのかたち”から見放されてもいい、
それよりもこの気持ちを選びたい」
という、かなり強い決意がにじみます。
「禁断の恋は報われない?」という問いかけ
「禁断の恋は報われない?」と自問しつつ、すぐに「やってみないと判らない」と続けるところも重要です。
普通なら、“報われないからやめよう”という方向に行くはず。
それをあえて、
結果がどうであれ、自分で確かめたい
と歌ってしまうところに、
- 規範から外れる怖さを抱えたまま
- それでも自分らしく生きようとする姿勢
が浮かび上がります。
ジェンダーの文脈で読むと、
「同性を好きになるなんて報われない?」
「でも、自分の心に嘘をついたままの“天国”には行きたくない」
という叫びにも聞こえてきます。
「好きな気持ちはどうしようもない」という開き直り
サビでは、「好きな気持ちはどうしようもない」と、
感情そのものの不可抗力も歌われます。
これは、相手を選べない恋愛感情やジェンダーをめぐる感覚そのものを、
“誰かに許可されるものではない、自分の中からどうしようもなく湧き上がるもの”
として肯定しているとも読めます。
ポップで踊れるメロディに乗せて、実はかなり挑発的なメッセージが投げ込まれているサビ、と言えそうです。
歌詞後半の意味解釈|小指同士の秘密の誓いと、後戻りできないふたり
2番〜Cメロにかけて、物語はさらに踏み込んでいきます。
「もっと上手に話せたら」「引き返すのも悔しいじゃない」
2番では、
- もっと上手に話せたら、認められたかもしれない
- ここまで来てしまったから、今さら引き返すのも悔しい
というニュアンスの言葉が続きます。
ここには、
- 周囲に理解されない苦しみ
- それでも自分たちで決めてここまで来た、という意地
が混ざり合っています。
「楽園じゃなくたっていいから、ここじゃないどこかへ」という願いは、
- 法的にも社会的にも認められない立場
- だけど、今いる場所(=“天国”と呼ばれる世界)にも居場所がない
という挟み撃ちの状況から逃れたい気持ちの表れだと解釈できます。
“Where is paradise?”と、自分の身体さえ借り物に感じる感覚
Cメロでは英語のフレーズ「Where is paradise?」が登場し、
自分の身体が“借り物のようだ”と感じる描写も出てきます。
これは、
- 自分のジェンダーや性的指向が、与えられた身体とずれている感覚
- 社会から向けられる視線の中で、自分の存在が自分のものではないように感じる感覚
として読むことができる部分です。
「どこに楽園があるのか?」という問いは、
“誰もが当たり前だと思っている『楽園』は、
自分にとって本当に楽園なのか?”
という疑いでもあり、
“楽園”という言葉そのものをひっくり返すような痛烈さがあります。
再び繰り返されるサビと、「小指の誓い」の重み
終盤では、サビのフレーズが何度もリフレインされます。
- 天国に行きたくない
- 禁断の恋は報われない? やってみないと判らない
という言葉が、曲が終わるまで何度も繰り返されることで、
ふたりが後戻りできない地点まで来てしまったことが、音楽的にも強調されています。
1番で出てきた「小指同士の誓い」は、
ラストに向かうほど“軽い約束”ではなく、“ふたりだけの覚悟”としての重みを増していくイメージです。
MV「失楽園」の映像表現を考察|ポップな世界に滲む罪悪感
「失楽園」には、山田健人監督による公式MVが存在します。
同監督はSuchmosやYogee New Waves、宇多田ヒカル「忘却」のMVなども手がけており、アヴちゃんとは「DANCE DANCE DANCE」に続くタッグ作品となりました。
MVの詳細なカット割りやストーリーはここでは控えますが、
- ダンサブルで都会的なトラック
- 女王蜂らしいジェンダーレスでボーダレスなヴィジュアル
- ポップでカラフルな世界観の中に漂う、どこか退廃的なムード
といった要素が組み合わさることで、
「踊れるほど楽しいのに、なぜか胸がざわつく」
という、楽曲そのものの感覚をそのまま映像化したような印象を受けます。
歌詞で歌われる“禁断の恋”“楽園からの脱落”といった重いテーマが、
MVではあからさまにドラマ仕立てで再現されるわけではありません。
むしろ、スタイリッシュな映像とアヴちゃんのカリスマ的な存在感の中に、
- 「この楽しさは、本当に“正しい”ものなのだろうか?」
- 「この場所は、本当に自分の居場所なのだろうか?」
という、罪悪感や自己疑問が薄く滲んでいる──
そんなバランス感が「失楽園」らしさだと感じます。
「失楽園」に通じる女王蜂の恋愛観|アルバム『Q』収録曲とのつながり
アルバム『Q』全体を見渡すと、「失楽園」はかなり重要なポジションにいる曲です。
『Q』は、アヴちゃんの内側に眠っていた“少年性=Q”を前面に押し出したアルバムで、ジェンダーやアイデンティティ、不条理な社会への違和感といったテーマが全編に通底しています。
その中で、
- 「金星 feat.DAOKO」:ポップで親しみやすいけれど、どこか異世界的なラブソング
- 「DANCE DANCE DANCE」:クールなリズムと淡々とした歌い方がクセになるダンス・チューン
- 「Q」:アルバムの核となる存在の心象を描いた曲
- 「雛市」:生きる強さと弱さを抱きしめるような一曲
などと並びつつ、「失楽園」は
“恋愛とジェンダーを真正面から描いた、アルバムの感情的なピークのひとつ”
として機能しているように感じられます。
また、のちの代表曲「HALF」や「BL」など、
ジェンダーと自己肯定のテーマをより直接的に扱った曲たちを振り返ると、
「失楽園」はその前段階として、
- タブーを引き受ける決意
- “普通”から外れても自分の感情を信じる姿勢
を先取りしていた楽曲だとも言えるでしょう。
失楽園が私たちに問いかけるもの|善悪よりも“本当の気持ち”を選ぶということ
最後に、「失楽園」がリスナーに投げかけてくる問いを整理してみます。
- 「楽園」とは誰が決めるのか?
- 社会が“こう生きるべき”と押しつけてくる“天国”と、
自分の心が求める“楽園”は、必ずしも同じ場所とは限らない。
- 社会が“こう生きるべき”と押しつけてくる“天国”と、
- “禁断”とされる恋やジェンダーを、どう受け止めるか?
- 「禁断の恋は報われない?」という問いに対し、
曲はあえて「やってみないと判らない」と答えてしまう。 - そこには、善悪やモラルだけでは割り切れない、
人間のどうしようもなさが描かれています。
- 「禁断の恋は報われない?」という問いに対し、
- 好きな気持ちに、どこまで責任を持てるか?
- 「好きな気持ちはどうしようもない」と歌いながら、
楽園を失う覚悟も引き受けようとしている主人公。 - その姿は、ただの“身勝手な不倫賛美”ではなく、
自分の感情と生き方に最後まで責任を持とうとする人間像としても読めます。
- 「好きな気持ちはどうしようもない」と歌いながら、
もちろん、現実の不倫や誰かを傷つける行為が肯定されるわけではありません。
むしろ「失楽園」は、
「善悪や“正しさ”だけでは測れない、人の心の複雑さ」を
ポップなダンス・チューンの中に閉じ込めた曲
だと感じます。
「失楽園 女王蜂 歌詞 意味」を知りたくてこの記事にたどり着いたあなたも、
一度は“天国”ではない場所を選びそうになった経験や、
“普通”から外れてしまう怖さを感じた瞬間があるはず。
そんな自分の記憶や感情と重ねながら聴き直してみると、
「失楽園」はただの“禁断の恋の歌”を越えて、
かなりパーソナルで普遍的な一曲として迫ってくるはずです。

