【式/岡崎体育】歌詞の意味を考察、解釈する。

「岡崎体育」というアーティストは、そのインパクトある楽曲やミュージックビデオによって注目を浴びています。
今回、彼の感動的な楽曲である『式』に焦点を当て、この曲の歌詞の意味を解釈してみたいと思います。

同じフレーズであっても、異なる意味が込められている

「式」という言葉には、まず、確立された方法や手順を指す意味があります。
また、数学や科学の文脈では、文字や数字を使って表現される式も一般的です。
この楽曲での「式」は、入園式、入学式、結婚式、葬式などの儀式や行事を指す可能性が高いと考えられます。

また、同じような音を持つ漢字「しき」には、さまざまな意味が含まれています。
たとえば、春夏秋冬を表す「四季」、終焉を示す「死期」、仏教の文脈で物事を視覚的に表す「色」などがあります。
このように、『式』というタイトルに焦点を当て、歌詞の意味を探ることは非常に興味深いテーマです。


相槌もでたらめ 鈍色の朝 わがままに 迷惑かけたいわけじゃないのに

「鈍色」は、濃い灰色を指す言葉です。
現代では葬儀で一般的に使用されるのは白と黒ですが、平安時代には「鈍色」が葬儀の色として用いられていました。
このことから、歌詞での「鈍色」は「葬式の朝」を意味している可能性が高いと考えられます。

「相槌もでたらめ」という表現は、親しい人の死によって深い悲しみに打ちのめされ、心がまともに機能しない状態を表しているかもしれません。
この日は、大切な人を失った日であり、過去の出来事や思い出を振り返る時でもあるでしょう。


保育園で汚い言葉を覚えて帰ってくるように 色んな色の絵具を脳みそに塗っていくみたいだ

「保育園」という言葉は、入園式を想起させます。
子供の時期には、友達の間で使われるさまざまな言葉や記憶を受け入れ、吸収していくものです。
この歌詞において、それと同じように、多くの言葉や思い出が頭の中で浮かんでいる様子が表現されています。

鉄棒の香り冷たく 美しい名前は遠く 薄暮れに木霊して 約束を破って ひとり洟垂る僕を叱って

「鉄棒の香り」は、子供の頃、具体的には小学生時代を思い起こさせます。
この段階で、入学式が連想されるでしょう。

「美しい名前」は、自分自身の名前を指していると思われます。
また、歌詞に登場する「薄暮れ」は、夕方に日が薄暗くなる時間帯を指します。
この時間帯に母親が自分を呼んでいる場面が描かれており、約束の時間に帰らなかったことが示唆されています。

これに続いて、大人になった際に、こうした思い出が非常に愛おしいものとして感じられることが言及されています。
この文脈から、「鈍色の朝」が母親の葬儀である可能性が高いと考えられます。

相槌もでたらめ 柿色の夕 わがままに 迷惑かけたいわけじゃないのに

「柿色」は、柿の実のように鮮やかなオレンジ色を指します。
この場面では、夕日によって赤く染まった夕方の空が描かれているでしょう。

この描写から、子供が夕方になってもまだ外で遊びたがっている状況が浮かび上がります。
子供は、まだ遊びたいという気持ちを持ちながら、でたらめな言葉を言って母親に対抗している様子が伝わります。
その中で、「迷惑かけたいわけじゃない」という言葉は、子供が家族に対して迷惑をかけるつもりはないことを表しているでしょう。


年老う指輪は弛み 填めなおしてはまた弛み 瞳に黴が生えても 言葉に血の通った話がしたい

「指輪」という言葉は通常、結婚式を連想させます。
したがって、この部分では結婚後の状況が描かれている可能性が高いでしょう。

歌詞の中で語られている老年期の場面では、「血の通った」温かさを感じたいという願いが表現されています。
これは、年を重ねても愛と温かさを感じ続けることについての話と思われます。

始まりの歌詞では子供時代の思い出を回想していましたが、この部分では将来の自分の姿を想像している可能性が高いでしょう。

先に呆けてしまえば 寂しくないかな 飯を口から零して テイブルを汚して にたついてる私を赦さないで

この部分では、自分が認知症などの症状で呆けてしまった場合、相手が上手にコミュニケーションをとれなくなる前に、自分がその状態に入ってしまうことで、さみしさを感じないのではないかというアイデアが示唆されています。

「私を赦さないで」というフレーズは、自分が食事中に食べ物をこぼしてしまうなどの行動をしても、そのようなことが起こりうることを受け入れず、許してほしくないという気持ちを表現しています。

これらの歌詞は、自分が変わってしまっても、イライラや怒りを感じてもいいから、相手とのコミュニケーションを維持し、温かさを共有したいという願いを伝えています。

相槌もでたらめ 雪色の夜 どうして 迷惑かけても笑ってるの

「雪色」は正確には「せっしょく」と読み、雪のような白さや雪景色を指します。
この「雪色」からは、年を重ねて髪が白くなる様子を象徴していると考えられます。
歌詞の中で、呆けてしまったり「相槌もでたらめ」になったりしても、相手は笑っていると表現されています。
これは、年齢を重ねることで得られる経験や豊かさを讃えるメッセージの一部と思われます。

この曲は、人生が四季のように変化し、朝から夜へと移り変わるように、時間が経過していくことを表現しています。
同じ歌詞のフレーズであっても、異なる意味が込められており、その時間軸と歌詞の流れが相互に結びついています。