崎山蒼志「むげん・」歌詞の意味を考察|“無限/夢幻”にほどける言葉と感情のループ

崎山蒼志の「むげん・」は、聴けば聴くほど“分かった気がするのに、手からすり抜ける”不思議な曲です。言葉ははっきり並んでいるのに、物語としてはつながり切らない。けれど、三角形と真ん丸、暗闇の光、逆再生する感覚、そして秒・分・時間・日と飛び回る時間の単位が、聴き手の内側で何度も組み替わっていきます。

本記事では、「むげん・」というタイトルが開く“無限/夢幻”の入口からスタートして、歌詞に散らばるモチーフ(図形・身体感覚・水・声・時間)を整理しながら読み解いていきます。正解をひとつに固定するのではなく、言葉の断片がふいに接続する瞬間――その快感ごと味わえるように、解釈の道筋を一緒に作っていきましょう。

『むげん・』はどんな曲?――コラボ制作で生まれた“つかめない輪郭”

『むげん・(with 諭吉佳作/men)』は、崎山蒼志と諭吉佳作/menが**詞・曲ともに「完全共作」**として作り上げたコラボ曲。2019年10月4日に先行配信され、2ndアルバム『並む踊り』(2019年10月30日発売)にも収録されています。制作は「互いの断片」を持ち寄り、諭吉佳作/menがDTM(GarageBand等)でまとめ、そこへ崎山がギターを重ねる形で進められた、かなり“混ぜ物感”の強いプロセスが特徴です。

さらに面白いのが作詞のやり方。スタジオに同席していても直接見せ合わず、LINEでやり取りしながら2行ずつ書いてランダムに並べるという手法で組み立てたことが語られています。曲そのものも「どこがサビか分からないのに自然に進む」と評されるほど、歌の“型”から自由です。


タイトル「むげん・」が示すもの:無限/夢幻/終わりのない感触

まず前提として、制作側の話では共通テーマは「むげん」そのものではなかったと明言されています。しかも「説明的になりすぎず、感情を込めずに」書く、というルールのもとで進めたそうです。
つまりタイトルは“答え”というより、聴き手が迷い込む入口。ここから先は、一般的に連想される「無限(終わらない)」「夢幻(現実味が薄い)」のどちらでも読めますし、あえて濁点も付けず、最後に「・」を置くことで、意味を閉じない/余韻を切らないニュアンスが強まっています(句点でも三点リーダでもなく、中点で“未完”を匂わせる感じ)。


歌詞の特徴を整理:意味がほどける言葉づかいとイメージの飛躍

この曲の歌詞は、ストーリーを追うよりも映像や触感が次々に切り替わるタイプです。実際、崎山自身も「歌詞は意味が繋がってなくてもいい」「場面で切り替わってもいい」「自由な場所」だと語っています。
そこに加えて、2行単位で書いてランダム配置という制作法が重なるので、言葉同士が“説明”ではなく“衝突”でつながりやすい。

歌詞に出てくるのは、たとえば幾何学(三角形/真ん丸)身体(頭/魂/水で顔を洗う)時間(1秒間、2分間、3時間、4日間…)都市の灯り/暗闇の光といった要素。意味を一文で固定せず、連想で伸びていく設計です。


曲構成から読む「物語のなさ」:AメロBメロで割り切れない展開

聴感としてまず引っかかるのが、“サビの場所”問題。インタビューでも「どこがサビか分からなかった」と言われつつ、それでも自然に曲が進む、と触れられています。
ここが『むげん・』の核で、一般的なJ-POPの「積み上げ→解放」ではなく、断片が流れ続け、気づくと景色が変わっているような進行。だから“物語”を一本の線で捉えようとすると逃げるけど、逆に言えば、聴くたびに焦点が変わる。

歌詞も同様で、同じフレーズが回帰しつつ(冒頭のイメージが終盤で戻る)、輪郭が固定されないまま周回する。まさにタイトルが示す“終わらなさ”は、構成面で体感できます。


キーワード・モチーフ考察:図形/身体感覚/水・声/反転する時間

ここからは歌詞に出てくるモチーフを、解釈のとっかかりとして整理します(※歌詞の全文引用はせず、イメージ中心に扱います)。

  • 三角形 vs 真ん丸
    「心無い三角形」「真ん丸の頭」といった対比がまず強い。三角形は“尖り”“角”“規則”“障害物”を連想させやすく、日常を成立させる一方で邪魔をする存在として描かれる。対して真ん丸は“内側の世界”“幼さ”“柔らかさ”の象徴に寄りやすい。
  • 逆再生・味見・牛乳みたいな声
    「逆再生」「味見」「牛乳みたいな声」など、感覚が変形していく表現が多い。時間が巻き戻る/記憶を舌で確かめる/声が“飲み物みたいに”出る……と、身体のルールがゆらいで夢っぽくなる。
  • 水で顔を洗う/“気づいてほしい”
    水は“目覚め”や“現実復帰”の定番モチーフですが、この曲では洗う動作がそのまま「踊る/蹴る」と並び、落ち着かない。そこで急に「気づいてほしい」と外部へ向けた言葉が差し込まれて、内面と他者が接続します。
  • 時間の単位がバラバラに出る
    1秒→2分→3時間→4日…とスケールが飛び、しかも「日曜日に終わらせよう」と締めに向かう。ここは“夢の時間感覚”というより、締切や生活リズムにも読める部分。無限に続く揺らぎの中で、どこかで終わらせたい焦りが見える。

※補足:聴き手側の感想として「胎児」を連想する、という解釈も見かけますが、これはあくまで個人の受け取り方のひとつです。


“わたし”の視点はどこにいる?――他者と自己の境界が揺れる瞬間

歌詞の「わたし」は、強いキャラクターとして語るというより、観測者が途中で入れ替わる感じがします。生活を成立させる現実側(都市、住宅、装飾、完成を急ぐ)と、身体の内側で生成される模様や色・かたち(からだの中のわたしの中)が、せめぎ合う。

そして、その境界に“誰か”が現れる。「誰かが嬉しそう」「誰かが呼んでいる」と、外部の気配が差し込まれるたびに、視点が一人称から少し浮いていく。結果として、「これは恋愛? 自己対話? 社会との摩擦?」と断定しにくいまま、感情の温度だけが残ります。


聴き手に委ねられた余白:正解を固定しない解釈の楽しみ方

この曲は、制作段階から「説明的になりすぎない」「感情を込めすぎない」方向へ舵を切っています。さらに2行単位ランダム配置という“編集”が入るので、歌詞は最初から受け取り側で完成する設計になりやすい。
だから解釈のコツは、意味を一本に縛るよりも、

  • 引っかかった単語(例:三角形/逆再生/日曜日)をメモする
  • それが「生活側」か「身体側」か「他者側」か、置き場所を分ける
  • 聴くたびに主役の置き場所が動くのを楽しむ

みたいに、“配置換え”をする感覚が合います。


『並む踊り』の文脈で再読する:崎山蒼志が「他者」と交わる意味

『むげん・』が刺さる理由のひとつは、アルバム『並む踊り』が「他者との制作」を強く抱えた作品だから。崎山は当時、君島大空・諭吉佳作/men・長谷川白紙と「今しかできない」と感じて共作曲を収録した、と語っています。
また“むげん・”についても、LINEでフレーズを送り合い、相手のフレーズに自分が歌詞を乗せるなど「ごちゃまぜ」で作ったと説明されています。

つまりこの曲は、崎山の「歌詞は自由で、意味がつながらなくてもいい」という思想が、コラボ相手の編集感覚と結びついて、より極端に振り切れた地点、とも言えます。


まとめ:『むげん・』を“無限に聴ける”理由(言葉と感情のループ)

『むげん・』は、答えを提示する歌ではなく、断片が周回して“その都度ちがう焦点”を生む歌です。サビの所在が曖昧で、歌詞も映像の切り替えが速い。けれど、三角形/真ん丸、暗闇の光、時間の単位といったモチーフが回帰して、聴き手の中で何度でも組み替えられる。

そして、その自由さは偶然ではなく、ランダム編集・非説明・共作という制作思想から生まれた必然でもあります。だからこそ、意味は一つに収束しないまま、タイトル通り“むげん”に広がっていく。