【夏色/ゆず】歌詞の意味を考察、解釈する。

自分が若いころ、ゆずがデビューし、大ブームとなりました。
クラスの女子たちは皆、その音楽を聴いており、友達から渡される”おすすめの曲入りMD”には必ずと言っていいほどゆずの楽曲が含まれていました。
私自身は当時、椎名林檎のファンで、ロック以外の音楽には興味がないというちょっとしたこだわりがありました。
しかし、何故かゆずには心惹かれるものがありました。

ゆずは一般的なイメージからすると、確かにロックとは異なるジャンルの音楽です。
デビュー当初から、彼らはフォークデュオとしてメディアで取り上げられていました。
それでもなお、私の心にはゆずがずっと引っかかっていて、その音楽が耳から離れませんでした。
友達からもらったMDにはゆずの曲が何度も繰り返し収録されており、その度に聴きほれていました。
特に、『夏色』という曲が私の中で特別な思い出として残っています。
これはゆずの代表曲であり、多くの人が知る名曲です。


なぜか、ロックが大好きだった自分がゆずの魅力に引かれてしまったのか、その理由は実はゆず自体がロックだったからです。
現在のゆずがステージでエレキギターを演奏していたり、ロック調のアレンジを施した曲を披露していたり、そのような具体的な要素があったわけではありません。
ゆずが持つのはむしろ精神的な側面です。

初期のゆずの方が、現在の彼らよりも精神的にロックのエッセンスを感じさせるのです。
特に「夏色」の歌詞には、まさにロックンロールの魂が宿っているような気がします。

ロックな要素が感じられる

ただし、ロックンロールという概念は実際には曖昧です。
歪んだエレキギターの音とエイトビートのドラムだけがそうでなければならないわけではありません。
例えば、三代目J Soul Brothersが”リンダリンダ”を専属のバックバンドと共に演奏しても、それを純粋な”ロック”とは感じないでしょう。
一方、甲本ヒロトが弾き語りで歌った場合、どの曲であっても自然に”ロック”の要素が感じられます。
また、忌野清志郎が生きていた場合、彼がAKBの曲をカバーしたとしても、それはおそらく”ロック”として受け止められるでしょう。
しかし、AKB48が”雨上がりの夜空に”を歌ったとしても、そこからは”ロック”の響きは感じられないと思います。

これらの例は、三代目やAKBを批判しているわけではなく、どちらが良いか悪いかという議論でもありません。
むしろ、音楽を作る上でのアプローチや視点の違いを示しています。
忌野清志郎は、AKBのようにファンを癒す存在とは言えないかもしれませんし、甲本ヒロトも三代目のようなダンスの魅力は持っていないとされています。
“ロックとは何か”という定義については、以前にくるりが歌った「ロックンロール」の歌詞を考える際にも同様の疑問を抱いたことがあります。


自分が「夏色」の歌詞から感じる、その中に宿るロックな要素は次の通りです。
既成概念や体制に対する反抗心がその一部です。
それでは、「夏色」の歌詞のどの箇所に、このようなロックの精神が表れているかを考察してみましょう。


駐車場の猫はあくびをしながら今日も一日を過ごしている

何も変わらない穏やかな街並み

みんな夏が来たって浮かれ気分なのに君は一人さえない顔してるね

そうだ君に見せたいものがあるんだ

前述の部分は、歌の1番のAメロに該当します。
この箇所で特に注目すべきフレーズは、”みんな夏が来たって浮かれ気分なのに君は一人さえない顔してるね”です。
この一節を通じて、歌の中には主人公と”さえない顔してる君”の二人の登場人物が存在することが示唆されます。
こうした展開から、主人公は男性であり、”さえない顔の君”はおそらくヒロインと解釈できるでしょう。
ヒロインは、皆が楽しい夏の雰囲気の中で孤立し、浮かれない顔をしているようです。

このような描写から、ヒロインは友人たちの中で孤独であり、自身を受け入れてもらえないと感じている可能性があります。
夏の楽しさに反抗心や怒り、あるいは自己評価の低さが交錯しているように思えます。
この心情は、一種のロックの精神と共鳴する部分があるかもしれません。
そして、主人公もヒロインに共感し、彼女の内面に惹かれていることが示唆されます。
“見せたいものがあるんだ”というフレーズは、彼がヒロインの本質を理解し、共に時間を過ごすことを望んでいることを意味しているかもしれません。

このような歌詞展開は、通常のポップスの歌詞とは異なり、”夏が来たって浮かれ気分になっているみんな”側の視点ではなく、ヒロイン側の視点を強調しているように思われます。


大きな5時半の夕焼け

子どもの頃と同じように

海も空も雲も僕らでさえも染めていくから

主人公がヒロインに示したかったものは、美しい夕焼けの景色でした。
歌詞中の”子どもの頃と同じように染めていく”という一節は、どのような意味を含んでいるのでしょうか。
これは、おそらく、さえない顔をしているヒロインに対して、元気を取り戻してほしいという願いが込められているのでしょう。
周囲と同じように楽しい気分に浸れなくても、夏は楽しい季節であること、そして子どもの頃はただ夏が来るだけで楽しみだったことを伝えたかったのかもしれません。

主人公は自身も”夏が来た”という浮かれた気分を持っているように感じられます。
彼はヒロインを励まそうとしており、その元気な姿勢が伝わってきます。
それでも彼は、”浮かれているみんな”ではなく”さえない顔をしている君”を支えようとしています。
この選択は、ヒロインの内面に焦点を当て、彼女が抱える感情や状況を理解しようとする姿勢を示しているように思えます。

ロックの定義として、下記のような見解もよく言われます。

「自分の信念を曲げることなく、嘘偽りなく表現し伝えること」

主人公の行動は、ヒロインを元気づけたいという思いや夏の楽しさを率直に伝える意図が見て取れます。
大きな夕焼けを見せるために、夕焼けが観賞できる時間帯を調べ、その時間に彼女を連れ出し、自分の感情を伝えようとします。
こうした主人公のアクションは、ロックンロールと呼び他の呼び名が難しいほど、真摯で自由な精神を体現していると言えるでしょう。

ちなみに、「5時半の夕焼けって早すぎない?」という指摘があるかもしれませんが、これは歌詞を表面的に捉える人の意見でしょう。
実際、子どもの帰宅時間は通常5時から6時前後で、その時間が一日の終わりを意味することが多いです。
そのため、実際に夕焼けがあるかどうかよりも、重要なのは「子どもの頃と同じように」行動することや景色を共有することだと言えるでしょう。

この観点から、「5時半の夕焼け」を含む歌詞の意味は、主人公とヒロインが一緒に過ごす大切な瞬間や、子どもの頃の純粋な感覚を大切にするということを伝えていると考えることができます。(ちなみに、北川悠仁はメロディに合うゴロが5だっただけとおっしゃっていますが…)


この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せて

ブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下ってく

広く人々に親しまれるサビの歌詞は、分析してみると反抗心に満ちています。
まず、”君を自転車の後ろに乗せて”というフレーズが挙げられます。
これは2人で自転車に乗る描写で、その行為は通常、交通法に反しています。
このような抗議的な内容が歌の中に入るのは、かつて尾崎豊が窓ガラスを壊して回るパフォーマンスをした時以来かもしれません。
これには賛否があるかもしれませんが、反社会的な行動を取り入れるのもロックの表現手法の一つです。

そして、”ブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていく”というフレーズがあります。
ここでBメロの歌詞を振り返ってみると、”子どもの頃と同じように”という部分があります。
子どもの頃は危険を顧みずに挑戦する姿勢がありました。
この無邪気さが表れています。
自転車を2人乗りで坂を下る行為は危険ですが、これはまさに子どものような無邪気な行動です。
“子どもの頃と同じように”というフレーズとリンクさせることで、その純粋な行為を表現しているのでしょう。

そして、”ゆっくりゆっくり下っていく”というフレーズもあります。
この曲のテンポは実際にはゆっくりではなく、少し速めです。
特にライブではさらにテンポが速くなることがあります。
このゆっくりな歌詞と実際のテンポの速さの対比は、曲全体でねじれた反抗心を表現しているのかもしれません。
つまり、この曲は全体的にロックな要素を備えていると言えるでしょう。


風鈴の音でうとうとしながら夢見心地でよだれを垂らしてる

いつもと同じ網戸越しの風の匂い

休日でみんなもゴロゴロしてるのに君はずいぶん忙しい顔をしてるね

そうだいつかのあの場所へ行こう

ここで描かれているよだれを垂らしている人物は、おそらく主人公でしょう。
そして、忙しそうな表情をしているのはおそらくヒロインです。
この2人が一緒に生活している可能性が高いです。
さらに、”みんなゴロゴロしてる”というフレーズから、他にも人物がいるかもしれないと考えられます。
ここから、主人公とヒロインは夫婦であり、おそらく子どもや両親と同居しているのかもしれません。

このような解釈から、主人公とヒロインは一般的な大人の年齢に達しており、夫婦としての生活を共にしている可能性が高いと考えることができます。


真夏の夜の波の音は不思議なほど心静かになる

少しだけすべて忘れて波の音の中包み込まれていく

Bメロに注目すると、ヒロインが1番のAメロから一貫して”夏だから浮かれ気分”とは逆に、”夏なのにさえない顔”をしていることが分かります。
そして、この状況に対して主人公も気づいており、”夏で浮かれている人々”が来ない静かな夜の海へとヒロインを連れて行き、波の音を楽しませてあげたかったのだろうと考えられます。


この細い細い裏道を抜けて誰もいない大きな夜の海見ながら

線香花火に二人でゆっくりゆっくり火をつける

2番のサビの歌詞に注目すると、2番のBメロと同じく、1番のAメロで描かれた状況への伏線が存在し、ここでそれが回収されていることが明らかになります。
ヒロインは夏に浮かれるのではなく、大切な人と穏やかな時間を過ごしたいという願いを抱いていたようです。
たとえ線香花火を楽しむ際であっても、みんなで盛り上がることが目的ではなく、大切な人と2人で静かに楽しむことが彼女の希望でした。

このような解釈から、ヒロインが1番のAメロで”さえない顔”をしていた理由が、夏そのものや浮かれる人々が嫌いだったわけではなく、むしろ大切な人と2人で共に過ごすゆったりとした時間を求めていたことが理解できます。
線香花火にゆっくり火を灯すという描写も意味深く、線香花火は瞬く間に終わるものです。
しかし、彼女はそれでもゆっくりと火を灯すことを選びました。
これは、2人の時間を少しでも長く、特別に感じたいという思いから生まれた行動かもしれません。


いつか君の涙がこぼれ落ちそうになったら

何もしてあげられないけど少しでもそばにいるよ

確かに、この部分は本当にロックな要素が感じられますね。
何がロックかと言うと、主人公が示す男らしい態度、「俺はお前のために何かするわけじゃないけど、そばにいてやるよ」という言葉がそれを象徴しています。
彼の沈黙が、言葉よりも強い意志を伝えているようです。
ただ、黙ってついてきてくれと言っているような男らしさが感じられます。

ここで「泣きそうになったら励ましてあげるね!涙をこぼさないで!元気出して!」と声高に言うのではなく、何も言わずにそばにいるだけで、自然に安心感を提供している包容力が素晴らしいです。
これこそがかっこいいロックの精神ですね。
その静かな支えが、何も言わずに心地よさや力強さを感じさせるのは、まさにロックならではの魅力です。


『夏色』の歌詞を総括すると、周囲が浮かれる中でも、奥さんは浮かれずに控えめな表情を浮かべており、それを心から理解し支える旦那の歌と言えるでしょう。
奥さんは少し異なる考えを持つ少数派のようで、それを支える旦那は真っ直ぐな人物で、奥さんに対しての思いやりや励ましの行動を大切にしています。
奥さんは少し変わったところがあり、反抗心やコンプレックスを抱えており、それがロックな精神を感じさせます。
一方で、旦那は自分の気持ちを率直に表現し、奥さんの喜ぶことや励ますことに尽力する、男らしいロックンローラーです。

これらの要素が絡み合いながら、普通の仲良し夫婦の幸福な日常が描かれています。
正直なところ、この考察は一部自己流の想像も含まれており、軽い雰囲気で書かれていますが、このような深みのある歌詞こそが『夏色』の魅力と言えるでしょう。
このような魅力があるからこそ、当時ロックに傾倒していた自分にもゆずの音楽が共鳴したのかもしれません。

ちなみに、『夏色』とは一体どんな色なのでしょうか?
いつかその謎についても考察してみるのも楽しいかもしれません。