誰かに大切にされていると分かっていても、心が安心できるとは限りません。感謝はあるのに、寂しさが消えない。その寂しさをうまく説明できず、相手から離れたくなることもあります。
Mrs. GREEN APPLEの「禁じた遊び」は、そんな心の行き違いに触れる楽曲です。他人への羨望や、好きな相手を遠ざけてしまう振る舞いを通して、語り手は自分自身の扱いづらさを見つめています。歌ネット
とりわけ印象的なのは、最後まで気持ちが整理されきらないことです。自分の矛盾に気づいても、すぐに変われるわけではない。その途中にある本音が、この曲には残されています。
この記事では、制作背景と歌詞の展開を手がかりに、タイトルの意味や、優しい言葉を受け取れない苦しさを考察します。歌詞の解釈は、作者の意図を断定するものではなく、一つの読み方として紹介します。
「禁じた遊び」はどんな曲?アルバム『POPS』の収録楽曲
「禁じた遊び」は、2026年9月30日発売のMrs. GREEN APPLEの6thオリジナルフルアルバム『POPS』に、13曲目として収録されています。Mrs
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 楽曲名 | 禁じた遊び |
| アーティスト | Mrs. GREEN APPLE |
| 収録アルバム | POPS |
| 発売日 | 2026年9月30日 |
| 作詞・作曲 | 大森元貴 |
| 編曲 | 大森元貴・兼松衆 |
制作クレジットは、歌ネットの掲載情報で確認できます。歌ネット
制作の経緯にも、この曲を聴くうえで興味深い手がかりがあります。
ORICON NEWSの公式生配信レポートによると、大森元貴は「共犯」と「禁じた遊び」を、2026年6月の「MUSIC AWARDS JAPAN」で受賞した日に制作したと説明しています。一方、「禁じた遊び」の終盤のフレーズはミセス結成前から存在しており、それを一曲に仕上げたかったことも明かしています。オリコンニュース(ORICON NEWS)
新しく制作された楽曲の中に、以前から温めてきたフレーズが置かれている。その経緯を知ると、最後の告白を、曲全体の感情が集まる場所として聴くこともできるでしょう。
美しいものを見て、なぜ自分が嫌になるのか
歌詞の冒頭では、美しいものとの出会いが、自分の内側への嫌悪につながっていきます。さらに、その感情は他人への羨望にも結びついています。
ここで注目したいのは、美しさを感じる心そのものは失われていないことです。語り手は、目の前のものを美しいと認められる。それでも、その美しさに触れると、自分の中の受け入れがたい部分まで意識してしまいます。
たとえば、誰かの親切な振る舞いに感動したあとで、自分は同じようには振る舞えないと落ち込む。そうした経験に重ねると、この曲の入り口にある苦しさを想像しやすくなります。
相手の魅力が、そのまま自分を採点する基準になってしまう。美しいものを味わう時間が、いつの間にか自分の欠点を確かめる時間へ変わっているのです。
後半の羨望には、苦しさに気づかずにいられる相手への苛立ちも感じられます。ここでは、何を持っているかに加えて、どんなことを意識せずに暮らせるかまで、比較の対象になっているように読めます。
語り手が求めているのは、他人と同じものを手に入れることだけでなく、自分を責めずに過ごせる心の余裕なのかもしれません。
なお、歌詞では一人称が「私」から「僕」へ変化します。この変化だけで、登場人物の人数や性別を決めることはできません。同じ人の中にある複数の声として読めば、語り手の感情を一つの性格で説明しきれないことも見えてきます。
愛してほしいのに、先に相手を遠ざける理由
歌詞には愛情を求める願いと、嫌われることを恐れて相手を先に嫌う振る舞いが、続けて描かれています。
この並びからは、誰かと近づきたい気持ちと、傷つくことへの怖さが同時に働いていると考えられます。
相手を大切に思うほど、その相手からどう見られているかが気になる。気持ちを預けることには、相手の返事を待つ時間も含まれます。その不確かな時間に耐えられないと、自分から距離を置くことで、関係の行方を決めたくなるのかもしれません。
先に離れれば、相手の判断を待ち続ける不安は減るでしょう。しかし、近づきたいという願いは残ります。自分を守ろうとした行動が、欲しかったつながりを遠ざけてしまう。そこに、この歌の痛みがあります。
また、語り手は自分の振る舞いに気づいています。その自覚があるからこそ、ただ相手を責めて終わることもできません。
自分が望んでいることと、実際にしてしまうことが合っていない。その食い違いを分かっているのに、修正できない。
「禁じた遊び」は、そんな自分への戸惑いまで含めて、人を好きになる難しさを描いているように感じられます。
タイトル「禁じた遊び」の意味|本音を隠したまま関係を動かすこと
「禁じた遊び」というタイトルは、何を指しているのでしょうか。
歌詞だけから、一つの意味に確定することはできません。ただ、ここまでの展開を踏まえると、好きな相手を拒んだり、遠ざけたりしてしまう、本音と食い違った関わり方に重ねて読むことができます。
「禁じた」という言い方に目を向けると、自分で抑えようとした衝動という読み方も生まれます。相手を傷つけると分かっている。自分も後悔すると分かっている。それでも、怖さに押されて同じ振る舞いを選んでしまうのかもしれません。
そして「遊び」という軽さのある言葉が、感情の深刻さを際立たせています。
本当の気持ちを伝えずに、関係の距離だけを動かす。その振る舞いを外から見れば、相手を振り回しているようにも見えるでしょう。しかし、語り手自身も、その関わり方によって傷ついていると考えられます。
歌詞の終盤では、相手を切り離す動きが、自分にも及ぶような表現が登場します。これを関係を断つことの比喩として読むなら、相手とのつながりが、自分自身を支える一部でもあったことが浮かび上がります。
大切な人を遠ざけるとき、失われるのはその人と過ごす時間だけではありません。その人の前で存在できていた自分の姿まで、手放すことになるのかもしれない。
そう考えると、このタイトルには、自分を守るために選んだ振る舞いで、自分の大切なものも傷つけてしまう危うさを読み取れます。
幸せを認めても、苦しさが消えないのはなぜか
終盤の語り手は、自分が幸せであることを認めます。その一方で、心の揺れは続いています。
この二つを並べて考えると、この曲が描く幸福には、矛盾を消し去る力までは与えられていないように感じられます。
大切な人がいることも、支えてもらっていることも、幸せだと思える。それでも、嫉妬や孤独を感じる瞬間はある。語り手にとっては、どちらも自分の実感なのでしょう。
喜びがあれば、その分だけ苦しさが差し引かれるという計算では、気持ちを説明できません。ある出来事には感謝していても、別の痛みが残っていることはあります。
ここで語り手は、扱いづらい自分の存在にも目を向けています。その姿からは、自分を理解しようとする態度が感じられます。
ただし、自分を認める言葉を口にできたことと、心が落ち着いたことは同じではありません。この曲は、その後にも続く感情を、最後の告白へつなげていきます。
最後の読点が残す、優しい言葉を受け取れない苦しさ
曲の最後では、周囲への感謝がありながら、贈られた言葉が心に入ってこないという本音が語られます。そして、歌ネット掲載の歌詞は、次の短い言葉で終わります。歌ネット
それが嫌で、
この終わり方には、二つの点で余韻があります。
一つは、語り手が、自分の受け取れなさを苦しく感じていることです。
誰かが思いを伝えてくれたことは理解している。それなのに、その言葉が安心につながらない。ここには、言葉の意味を理解することと、心がそれに支えられることの間にある隔たりが表れているように思います。
その隔たりを埋めるには、さらに強く励ましてもらえばよいのか。自分の考え方を変えればよいのか。語り手には、その答えがまだ見つかっていないのでしょう。
もう一つは、読点で言葉が途切れていることです。
理由を説明しようとして、その先を言い切れない。あるいは、まだ続けたいことがあるのに、言葉にならない。そのように読むと、読点は、語り手が現在も感情の途中にいることを伝える形になります。
ここから先をどう補うかは、聴き手によって変わるはずです。その余白があることで、この曲の告白に、自分の言えなかった気持ちを重ねる人もいるのではないでしょうか。
さらに注目したいのは、語り手が最後に、誰かへ話を聞いてほしいと呼びかけていることです。
優しい言葉を受け取れない苦しさを、相手に伝えようとしている。その行為には、分かってもらえる可能性をまだ探している姿が見えます。
**心に言葉が届かないことを、今度は自分の言葉で届けようとする。**そこに、この曲の結末に残る、かすかなつながりを感じます。
「禁じた遊び」が差し出す、整理される前の本音
この曲の語り手は、自分の気持ちをきれいに説明できる人ではありません。他人をうらやみ、近づきたい相手を遠ざけ、自分の幸せを認めながらも苦しんでいます。
けれど、そうした矛盾を見つめることによって、最初の羨望の奥にあった願いも見えてきます。大切にされたい。安心して人を好きでいたい。受け取った優しさを、心でも感じられるようになりたい。
「禁じた遊び」の温かさは、その願いがかなった結末を用意することよりも、まだ言葉になりきらない苦しさを聴ける形にしたところにあるのではないでしょうか。
感謝していることと、つらいことを、同じ場所で語ってもいい。気持ちが整ってからでなくても、人に伝えようとしていい。
読点で終わる告白には、そんな読み方もできるように思います。語り手の言葉が途切れたあと、私たちは、その続きを急いで決めずに聞いていられる。その時間もまた、この曲が作るつながりの一つなのでしょう。

