今更ながら改めてKREVAの凄さを考えてみる。

KREVA(クレバ)は、主に21世紀冒頭、Hiphopという音楽ジャンルを日本で広く大衆に親しまれるカテゴリーへと引き上げたカリスマ的ラッパー・アーティストである。
2002年には、飛ぶ鳥を落とす勢いで、ヒップホップグループKICK THE CAN CREW(キックザカンクルー)の一員として紅白歌合戦へ出場。
それから現在に至るまで、紅白の舞台でマイクを握った日本人ラッパーは、ほんの一握りのままという事実が、その偉業の音楽史的意義を物語っている。

古株なのに新参リスナーも絶えない異例の状況?

数十年前の話はさておき、現在の彼の音楽活動状況はどうなっているのだろうか?
なんと2021年現在でも、KREVAは第一線で音楽活動に携わり、新曲もコンスタントに提供を続け、新旧のファンを変わらず楽しませてくれている。

2021年時点で、「日本人ラッパー人気ランキング」というアンケート結果(有効得票数4200票以上)がネット上で公開されているが、同ランキングでは、KREVAは堂々の総合2位にランクイン。
セールス絶頂期から20年近くが経過した現在でも、弱肉強食の世界でこれ程多くの支持を集めてしまうのは、かなり異常な状況にさえも思えてくる。

21世紀からはジャパニーズヒップホップの裾野が広がり、それゆえ才能ある若きラッパーがますます台頭するようになってきた。
そうした環境下にありながら、ラッパーとしてトップクラスの存在感を堅持している彼の魅力とはいったい何なのか?
デビューからちょうど20年(KICK THE CAN CREW時代含む)が経過したこのタイミングで、KREVAの他には代えがたい凄さを改めて考えてみるとしよう。

KREVAの歩みをザッと振り返り

ここで、KREVAの生い立ちや充実の活動実績を時系列で確認してほしい。

・1976年生まれの東京都江戸川区育ち。

・東京都国際高等学校を経て、慶應義塾大学環境情報学部へ入学し、同大在学中の1995年にヒップホップグループBY PHAR THE DOPESTを結成。

・1997年にはLITTLE、MCUらと共にKICK THE CAN CREWとしてインディーズでの活動を開始。

・日本初にして最大のMCバトルイベント「B Boy Park」にて、大会史上異例となった3連覇(1999年~2001年)を達成。

・2001年にKICK THE CAN CREWとしてメジャーデビュー、同年に山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」をサンプリングした「クリスマス・イブRap」が大きな話題を集める。

・2003年、KICK THE CAN CREW名義で、ラッパーとしては極めて稀な紅白歌合戦出場を果たす。

・2004年、人気絶頂にありながらKICA THE CAN CREWでの活動を停止、同年にはシングル曲「音色」をリリースし、ソロ名義(KREVA)でメジャーデビューする。

・2006年、2枚目のソロアルバム「愛・自分博」が、初のオリコンウィークリー1位を獲得。同年には、日本武道館での初公演を実現する。

・2011年、シンガポールで開催の国際的音楽会議「MUSIC MATTERS」に日本を代表して参加。ゲストスピーカーとして活躍するとともに、海外では自身初のソロライブを披露する。

・2014年、ソロデビュー10周年を記念し、全国ツアー(8都市10公演)を開催、同年9月の日本武道館でのライブイベントでは、WOWWOW史上初となる1アーティスト2夜連続中継が実現した。

・2015年、KREVA初の「47都道府県ツアー」を実施、ステージでは「都道府県ラップ」など彼ならではの演出でファンを魅了した。

・2019年、ソロデビュー15周年イヤーと題し、9カ月連続リリースなど画期的で長期に及ぶ企画が注目される。

KREVAの凄さ1:パイオニアとしての実績・存在感

まずは、KREVAのヒップホップ界の先駆者としての凄さを確認していこう。
KREVAが日本のラップシーンのカリスマやパイオニアとよく評されているのは、単に個々人の音楽的趣向が反映されているからではない。
上記年表のように、客観的事実や実績数を見れば、彼こそパイオニアの称号が相応しい人物だと、自ずと理解できるはずだ。

まず、KICK THE CAN CREWとしてメジャーデビューし、リップスライムらと共に、当時のヒップホップ人気のムーブメントを牽引。
2002年の紅白歌合戦出場者に選ばれ、その年を象徴するアーティストの1人として認められた。
ソロ転向後も活躍は止まらず、2006年にアルバムがオリコンチャート1位を獲得したのは、ソロの日本人ラッパーとしては初の快挙となる。
同年の日本武道館初公演も、やはりラッパーのソロ活動としては前例がなかった。

さらに、KREVAが同業者からも特別視される重要な出来事となっているのが、1999年から2001年に果たした「B Boy Park」MCバトルの3連覇である。
B Boy Parkは、1997年から東京・代々木公園で毎年開催されていた、大々的なMCバトルの王座を決める大会だった。
そんな日本ヒップホップシーン待望の大会で、初期に3連覇という強烈なインパクトを残したのがソロMCとして出場していたKREVAだったのだ。

3連覇を最後にKREVAは大会を去り、それ以来ここまでの成績を残せるラッパーは誰一人も現れなかった。
まさにKREVAは生けるレジェンドとして、後輩ラッパーからも大いにリスペクトされる存在となったのだ。

それと同時に、「大会に出てこいよ」「勝ち逃げするな」「あの時期はレベルがね…」など、この3連覇の件をネタに、一部のラッパーから煽られる場面も決して少なくなかった印象を受ける。
ただし、これはラップの世界では「名誉あるディス」に等しいもので、目の上のたんこぶと意識されているがゆえに、常に後進に嚙みつかれる立場にあったと解釈することもできる。

KREVAの凄さ2:本業?トラックメイカーKREVA

あるインタビューで、KREVAは興味深いコメントを残している。

インタビュアー「音楽をメインに幅広い活躍をされていますが、本業はというと?」

KREVA「トラックメイクじゃないですかねえ。」

このシーンはKREVAの凄さを紐解く上で、重要なヒントをくれる。
「そこでラッパーとは言わないんだ」と意外に感じた人もいるだろう。

実は、KREVAは、KICK THE CAN CREWやソロ名義の楽曲のほとんどを、単独もしくは共同でトラックメイクしているのである。
私たちがこれまで聴いて魅了されてきた曲の数々は、実は作曲もKREVA本人が担当していたのだ。
作詞はラッパーの専売要素として当然だが、KREVAの場合はトラック作りからその類まれな才能を発揮している。
本業に関する質問で、「トラックメイク」と回答した場面からも、彼の作曲へのこだわりや、単にラッパーとしての見栄えだけではない、音楽そのものへの熱い想いを感じ取れるのではないだろうか。

KREVAの凄さ3:リスナーの心に響くリリック

彼のリリックは、リスナーの心を動かす、優しくも力強いメッセージ性を伴うことが多い。
正直、KICK THE CAN CREW時代はそこまで意識できる程ではなかったが、ソロデビュー以来、リスナーの支えや活力となるようなリリックを届けてくれる機会がすいぶんと増えた。
これは、彼がソロアーティストとして元々表現したかったことなのか、キャリアを重ねるごとに心境に変化が生じてきたのかはわからないが、彼の大きな魅力の一つとして多くのリスナーからも絶賛の声が上がっている。

従来、ヒップホップのリリックは、「おれがおれが」系の想いを表現するタイプがほとんどだった。
良し悪しは別として、「おれはこんな人間だ」「おれの目標はこうだ」など、あまり他人を励ますことまでは意識が回っていないように察せられた。
KREVAは、そうした慣習には囚われず、シンプルだがリスナーの心のバリアを心地よく突き抜けていく言葉を各楽曲に散りばめている。

もちろんこれが可能になるのは、KREVAが非常に聞き取りやすい言葉(発音)とフロウでラップを実現する独特のスキルを有しているからだ。
事実、KREVAの楽曲レビューで「こんなに歌詞を聞けてびっくりした」という評価を残すリスナーも少なくない。

まとめに、今も昔も変わらず、ヒップホップ・トラックメイクの探究者であるKREVAを象徴する書き込みがあったので紹介して終わりたい。

「お父さんが好きだから聴いてみたらかっこいいな…!」

世代を超える第一歩は、もう既に踏み出している。

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