【KREVA VS Zeebra】不毛な事とは分かりつつも色々と比較してみた。

キャラクターは別々だが、日本語ラップのイメージを象徴する二人

様々な個性はあれど、日本のヒップホップが今日のイメージになったのはBUDDHA BRAND、キングギドラ、RHYMESTER、スチャダラパーらの活躍によるところが大きい。

BUDDHA BRANDはアングラなジャズやソウル・ファンクをサンプリングし、硬派でダークなヒップホップを貫いて孤高の存在となった。

キングギドラはその後の日本語ラップの土台を作り、ZEEBRA(ジブラ)とK DUB SHINEの二人は「ラッパー」という存在の雛形になったとも言える。

RHYMESTERはアンダーグラウンドだったヒップホップを日本に根づかせるかのようにいい意味で「日本語ラップ」を売り出し、コアなイメージをわかりやすく翻訳して展開していたように思う。
日本語ラップで初となるミリオンセラーを記録したEAST END×YURIによる「DA.YO.NE」の制作にRHYMESTERのMummy-Dが関わっていることからも「ラップをお茶の間に」というスタンスをRHYMESTERは持っていた。

スチャダラパーはその気楽ながらセンスのあるファッションと振る舞いで「その辺にいそうなお兄ちゃん」というイメージでヒップホップをより身近にイメージ付ける事に成功した。
近年隆盛を見せている「身近なちょっとした出来事をラップする」というのはスチャダラパーが始めたのかも知れない。

そんな中でも特に目立った活躍をしたのはDragon Ashとのコラボレーション楽曲「Grateful Days」に参加し、ミリオンセラーを売り上げたZEEBRAではないだろうか。

おそらく日本語ラップで最も有名なパンチラインの一つである「俺は東京生まれヒップホップ育ち」というリリックはヘッズのみならずヒップホップを知らない人たちにも深く浸透し、今日まで良くも悪くも日本語ラップのイメージを象徴するリリックとなっている。

ZEEBRAが端的に言えば「ワル」のイメージを日本語ラップに取り入れる中で、日本語ラップには別の動きも出てきていた。
1997年から2017年まで行われていた野外ヒップホップパーティ「B-BOY PARK」にて行われていた、フリースタイルと呼ばれる即興のラップスキルを競い合うMCバトルで3年連続優勝という快挙を成し遂げたKICK THE CAN CREWのKREVA(クレバ)。

海外直輸入のギャングスタでファッショナブルなヒップホップではなく、日本独自のラップというものに焦点を当てたこのMCバトルはその後も「ULTIMATE MC BATTLE」や「フリースタイルダンジョン」といった形で日本語ラップ文化の定着に貢献している。

それまで日本語ラップのイメージにあった、一部のラッパーによる「ワル」なイメージではなく、虚仮威しでない確かなスキルと万人受けするキャッチーな楽曲でヘッズ以外の支持も得たKICK THE CAN CREW。
KREVAはそのグループでトラックメイカー及びMCを担当していた。

ラッパーという共通点はあるものの、ZEEBRAがやっていた事とKREVAがやっていた事は異なる部分が多く、「ヒップホップを安売りされた」と憤るラッパーの中にはKICK THE CAN CREWや同じくキャッチーな楽曲を発表しヒットを出していたRIP SLYMEを攻撃するものもいた。
K DUB SHINEはキングギドラの「公開処刑」という楽曲にて「あと芸能系の聴くとカン狂う(CAN CREW)リリックつらい 屁理屈ライム(RIP SLYME)」と揶揄し、キャッチーなヒップホップを展開するグループをディス。
ZEEBRAも同曲内にてコラボレーション相手のDragon AshボーカルKjを「オレのパクリ」と攻撃するなど、異なった方向性を持つラッパー同士の争いが展開された。

ZEEBRAとKREVAの直接的なビーフ(ラッパー同士の争い)は無く、ZEEBRAもKREVAの事は認めている発言もあるが、異なった形でヒップホップを展開する二人を比較して考察してみたいと思う。

オリジネイターとイノベイター

ZEEBRAはまだ日本語ラップ、日本のヒップホップというものがはっきりとした形を持っていない頃からラッパーとして活動し、日本語におけるラップのフロウ、ライム(押韻)の原型を作ったオリジネイターの1人だ。

K DUB SHINEがアメリカ帰りということもあり、パブリック・エナミーに代表されるアメリカのヒップホップ直系のトラック、ファッション、アティテュードと二人のMCの卓越したラップスキルは黎明期にあった日本のヒップホップカルチャーにおいて多大な影響を与え、1stアルバム「空からの力」は今日に至るまで日本語ラップのクラシックとして歴史に名を刻んだ一枚となった。

1996年にキングギドラが活動を休止した後もZEEBRAはソロ活動や客演で名を上げていき、メディアへの出演や幅広い方面での音楽制作に携わるなど、日本のヒップホップ界の第一人者として活動を続けている。

ZEEBRAはその影響力から、ラッパーから攻撃されることも多い。

先程はDragon AshのKjに対してのディスを紹介したが、ZEEBRA自身もDEV-LARGE、般若、RAU DEF、NORIKIYOなどから多くのディスを受けてきた。
「ディス」という文化を日本で初めて大々的に行ったのもZEEBRA自身で、日本語ラップと同様にディスという文化も日本へ定着させた。
賛否両論はあるが、文化を定着させたという事ではZEEBRAは間違いなく日本のヒップホップにおけるオリジネイターである。

対してKREVAはKICK THE CAN CREWでの活動でメジャーグラウンドにおけるヒップホップグループの第一人者となり、CDセールス、ライヴ動員共にそれまでのヒップホップでは考えられなかったほどの数字を叩き出した。
国民的歌番組「紅白歌合戦」にも出演するなど、最早「ヒップホップ」という括りからも逸脱するほどの活躍を見せたKREVAはソロデビュー後もキャッチーな楽曲を中心に多くのヒット曲を出し、草野マサムネ(スピッツ)や布袋寅泰、三浦大知、MIYAVIといった斬新なコラボレーションで日本の音楽シーンにおけるラッパーとしては最も大きな知名度を持つ一人となった。

既に十分なキャリアを持つKREVAだが、その飽くなき音楽的探究心は留まるところを知らず、若手のラッパーやミュージシャン、クリエイターなど多岐にわたるコラボレーションを続け、2021年にリリースされた配信限定アルバム「LOOP END / LOOP START」はオリコン週間デジタルアルバムランキングで1位を取るなど第一人者として止まらず活動し、「日本のヒップホップ」を革新したイノベイターである。

二人の共通点

ZEEBRAとKREVA、キャラは違うがいくつか共通点がある。

それは、「よくディスられる」というところである。

ZEEBRAは上記にも挙げたDEV-LARGE、般若、RAU DEF、NORIKIYOなどからディスを受けた。
影響力の大きさやメディアの露出の多さも相まってネットでも槍玉に挙げられることが多い。

ZEEBRA自身は「ディスる、バトルっていうのはラップのゲームみたいなもんなんで、楽しんでます」という発言をしていることから、あくまで文化の一つとしてディスを捉えているようだ。

KREVAの方もビーフは多い。
上記のK DUB SHINEの他にはOZROSAURUSのMACCHOやZEEBRAをディスった般若(この人は四方八方にビーフを仕掛けている)からもディスを受けている。

これは私見だが、ディスを受けるのはラッパーの宿命で、ディスられないラッパーなど退屈だと思う。
ZEEBRAもKREVAも日本のヒップホップのトップに立つ人間で、そういう立場になると自然と標的になるのは致し方ないのではないだろうか。

どちらかと言うとイケイケな印象のZEEBRAと穏健な印象のKREVAだが、ディスを受けた時の反応はZEEBRAが楽しんでいる雰囲気を出せるのに対し(時には素直に謝ったりする)、KREVAの方はやや感情的な印象がある。
それだけ自分のやっている音楽に誇りを持っている、ということの裏返しだろう。

2人にはもう一つ、共通点がある。

それは「ヒップホップでデカい金を稼いだ」という事である。

ZEEBRAは言わずもがな多くの客演やメディア出演、多方面での制作活動で成功を収めたし、KREVAのラップには「1 for the money, 2 for the show」というヒップホップのアティテュードから引用されたパンチラインがある。
デカい金を稼ぐという事を大っぴらに出すのは日本人にはあまり馴染みがないが、ヒップホップの世界ではビッグマネーを掴む事こそ大きな夢、という姿勢は当然の事だ。

ラッパーとしての特徴

二人共卓越したスキルのラッパーだが、スタイルは異なる。

ZEEBRAのラップにはメロディがなく、力強いフロウとソロ活動以降はダミ声のような声色で押し出しの強いラップを得意とする。
押韻は主に脚韻(文末で韻を踏む技法)が多く、どちらかと言うと固い押韻が特徴だ。

対してKREVAのフロウはメロディを持ち、押韻もあらゆるタイム感で仕込まれていて一見・一聴しただけでは韻を踏んでいると気づかないラップもある。

リリックの内容はZEEBRAが「ヒップホッパーとしてのイメージ」を主に題材にしていることに対し、KREVAは「自分という人間」や「恋人への想い」といったパーソナルな内容のものが多く見られる。

2人のスタイルが表現されているパンチラインを一つづつ紹介しよう。

俺がNo.1ヒップホップドリーム

不可能を可能にした日本人

ZEEBRA「Street Dreams」

日本においてヒップホップで大金を稼いだ、というのはZEEBRAが最初ではないかもしれないが(日本語ラップのクラシックの一つ「証言」にて他でもないZEEBRAが「ヒップホップ使っていっちょ金儲け」と搾取する連中を攻撃している)、それを前面に出したのはおそらくZEEBRAが最初だろう。
不可能と思われていた「日本でヒップホップをやり、大金を稼ぐ」という夢を果たした最初の日本人、それがZEEBRAである。

同曲のリリックは頑張っている人、頑張れなかった人に対する応援歌とも取れる内容で、ZEEBRAの誇り高い強さと信念、また不器用な優しさも垣間見られるポジティブな歌詞となっている。

年少の独房 慶応を卒業

今交わるデコボコのオフロード

KREVA「タンポポ feat.ZORN」

ZORNとのコラボ楽曲「タンポポ」にて放たれたパンチライン。

全く違う道を歩んできた2人が対等な立場で共に歌うというリリックは大きな衝撃と感動をリスナーにもたらした。

KREVAのリリックにもそれを聴いた人を勇気づけたり奮い立たせたりするポジティブなメッセージが込められており、KREVAがBY PHAR THE DOPESTやKICK THE CAN CREWでのグループ活動を通して表現してきたスタイルは一貫して不変である。

スタイルは違えど、与えてきた影響は共通して大きい

パブリックイメージとしての「ラッパー」像を作り上げたZEEBRA。

1ミュージシャンとして「ヒップホップ」を作り、広め続けるKREVA。

スタイルは違えど、2人が日本のヒップホップシーンに与えてきた影響は計り知れない。

ZEEBRAやKREVAが成し遂げてきた事により日本のヒップホップシーンは定着を見せ、影響を受けたラッパーやミュージシャンが多く活躍している。

2人とも、日本のヒップホップを語る上で欠かすことのできない重要人物である。

もしあなたが「日本語ラップ?ダジャレでしょ?」とか、「親とか友達に感謝するのが日本語ラップ」といったようなつまらない固定概念を抱いているのであれば、一度ZEEBRAの「Street Dreams」やKREVAの「タンポポ」を歌詞を見ながら聴いてみてはいかがだろうか。

きっと、「日本語ラップ」に対する概念が少し変わるのではないかと期待して二人の比較の締めくくりとしたい。