ビートルズのリーダーであり、ソロアーティストとしても数多くの名曲を残したジョンレノン。
彼の活動は単なるミュージシャンの域にとどまらず、自らの政治的意見や信念を積極的に表現したことでも知られる。
なかでも、ベトナム戦争への反対や世界平和を訴える活動が人々に与えた影響は非常に大きく、アメリカ政府から国外退去を言い渡されるほどだった。
様々なことに関心を持ち、自分が感じたことを持ち前の言葉選びのセンスと皮肉に満ちた言い回しで表現してきたジョン。
今回は、思想家としての一面も持つ彼が残した含蓄に富んだ名言の数々を紹介したい。
「根本的な才能とは、自分に何かができると信じることである」
もし、「才能のある人間」と「才能のない人間」がいるのだとすれば、数々の名曲を世に残しただけでなく、生き方そのものが今なお世界中で多くの人々に影響を与え続けるジョン・レノンという人は、実に類まれな才能の持ち主であることに異論はないはずだ。
しかし、そんなジョンもギターを手にした途端にスポットライトを浴びたわけではない。
三人の仲間たちとともに来る日も来る日もリヴァプールやハンブルクの酔っ払い相手に何百時間もの演奏を続けた結果、やっとスターダムへとのし上がることができたのだ。
夢が叶うまで夢は叶うと信じ続けられるかどうかが、成功するために最も必要な才能なのかもしれない。
「無駄にすることを楽しんだ時間は、無駄じゃない」
「人生に無駄な時間などない」という趣旨の格言は多く見かけるが、無駄な時間があることを認めたうえで、それを肯定しているところに深みが感じられる言葉。
一説では、ジョンより以前にイギリスの哲学者バートランド・ラッセルが言ったとされるが、公式な記録は確認されていない。
いずれにしても、他人が何と言おうとも自分が信じることを追求し、表現し続けたジョンの姿勢と相通じる名言と言えるだろう。
「もし、すべての人がもう一台テレビを欲しがる代わりに平和を求めれば、平和は実現するだろう」
「Imagine」や「Give Peace a Chance」、「Happy Christmas(War Is Over)」など戦争のない平和な世界を望む楽曲を多く残したジョン・レノン。
「みんなが平和を求めれば、平和は実現する」というメッセージは、彼の考えを最もシンプルに示した言葉であり、それだけに奥が深いと言える。
誰もが欲しがる物としてあえてテレビを例に出しているが、ジョン自身が一般の人々にとっては「テレビの中の人」であることを考えると、彼らしい自虐と皮肉に満ちたメッセージにも聞こえる。
「ひとりで見る夢はただの夢だが、ともに見る夢は現実になる」
この言葉は厳密にはオノ・ヨーコの言葉と言われているが、ジョンが晩年のインタビューで引用したことで、今ではジョンの名言として広く知られるようになった。
「dream」はジョンの曲のなかで頻繁に使用される単語の一つであり、たとえば、ジョンの代表曲「Imagine」では世界平和について歌う自分を「夢想家」と表現している。
ここでの「夢」や「ともに」という言葉の解釈は、人によって異なるように感じる。
前述の「テレビの代わりに平和を求めれば」という言葉のように、「みんなが平和を夢見れば現実になる」という普遍的でスケールの大きな意味にも取ることができる一方で、もっと個人的なもの、たとえばジョンとヨーコ二人の関係を指していると捉えることもできるだろう。
「ビートルズや60年代に何かメッセージがあるとすれば、『泳ぎ方を学べ』ということ。そして泳げるようになったら、泳ぎなさい」
1960年代は激動の時代だった。
米ソの対立が続くなか、キューバ危機よって世界は現実的な核の脅威に晒される。
ドイツではベルリンの壁が建造され、プラハの春はソ連の軍事介入を招く。
アメリカ国内では公民権運動が高まりを見せる一方で、ケネディ大統領やマルコム・X、キング牧師など要人が暗殺される事件が相次いだ。
自由が軍事力によって制限される状況に反発する民衆のエネルギーは、同じく1960年代半ばに勃発したベトナム戦争に対する反戦運動や世界各国で行われる核開発に対する反核運動と結びつき、カウンターカルチャーやヒッピー文化として花開くことになる。
そんな当時の文化の最前線にいたのが、ビートルズだった。
「泳ぎ方を学べ。学んだら泳げ」という言葉は、「時代や周囲に惑わされず、自分ができることをしろ」という人生の在り方についてのジョンのメッセージなのかもしれない。
ジョン自身が音楽を学び、音楽で世界に影響を与えたように。
ちなみに、激化する米ソの対立は宇宙開発戦争にまで発展し、1960年代最後の年についに人類は月に降り立つこととなる。
キューバ危機、ベルリンの壁の建造、プラハの春、ベトナム戦争、ケネディ大統領とキング牧師の暗殺、そしてアポロ11号の月面着陸。
たった10年の間にこれだけの歴史的な出来事が起こったのだ。
ビートルズが活躍した60年代、世界がいかにめまぐるしく変化していたかがわかる。
「現実は、多くのことを想像にゆだねている」
「想像」という言葉は、ジョン・レノンを語るうえで最も重要なキーワードだろう。
ジョンは少しの現実を人並外れた想像力で膨らませ、多くの楽曲を生み出してきた。
誰もが平和に暮らすユートピアを想像し、私たちにも「想像してごらん」と語りかけてきた。
彼の生涯における活動のすべては、想像の力によって達成されてきたと言ってもいいかもしれない。
しかし、ジョンは現実逃避のために想像力を働かせてきたわけではない。
むしろ、想像することでつらく悲しい現実を少しでも良くしようと努力してきたのである。
バンドが爆発的人気を博し、ふと取り残されたような孤独を感じていた時、ジョンは「Help!」と声高に叫ぶことで本当の自分を解放しようとした。
過酷な労働環境に苦しむ人々を見れば「人民に力を」と革命を呼びかけ、ベトナムで戦争が勃発すれば「愛こそはすべて」「平和を我らに」と愛と平和の尊さを訴えた。
たとえ目の前の現実は暗く悲しくても、目に見えるものがすべてではない。
今ここにないからといって、実現できないわけではない。
常に今よりも良い世界を求め続けたジョンは、現実に縛られている人々の心を想像の力によって解放しようとしていたに違いない。
「ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、そこに何もないことを知った」
音楽に限らず何かの世界でプロを目指す人たちには、少なからず「認められたい」「有名になりたい」「お金を稼ぎたい」という欲求があるだろう。
ビートルズの4人も例外ではなかったはずだ。
世界一のロックスターを目指して、来る日も来る日も曲を作り、演奏していたに違いない。
しかし、目標を達成し、すべての欲求が満たされた時、ジョンはその先に目指すべき道がわからなくなってしまったのかもしれない。
ジョンの楽曲と言えば、「Imagine」や「Power to the People」、「Happy Xmas (War Is Over)」のような反戦や政治的メッセージのイメージが強いかもしれないが、その一方で「Love」「Mother」「Woman」「(Just Like) Starting Over」のような家族や女性に対する愛情について歌った内省的な曲を多く残している。
ジョン自身も息子ショーンの誕生をきっかけに、約5年間にわたり音楽活動を休止し、「ハウス・ハズバンド」として家族のために時間を費やした。
誰もが羨む富と名声を手にしながら満たされなかったジョンの心を満たしたのは、家族の存在だったのだ。
いかがだっただろうか。
ミュージシャン、思想家、活動家と多くの顔を持ち、あらゆる面において多くの人々に影響を与えたジョン・レノン。
ジョンがわずか40年でその生涯を終えてから、さらに40年が経過した。
しかし、どれだけ年月が過ぎようと彼が残した楽曲といくつもの名言は今後も色褪せることなく、私たちの心の中に生き続けるだろう。