好きな人には、自分の価値を信じていてほしい。けれど、その人にとって自分が特別でありたいとも思ってしまう。
原因は自分にある。の「ラブリーズン」は、そんな二つの願いが重なる場所に、愛の喜びと危うさを描く楽曲です。
相手を肯定する言葉は、どこから相手を独占する言葉へ変わるのでしょうか。そして、自分だけが相手を理解していると思うとき、本当に相手の声を聞けているのでしょうか。
本稿では、愛情と自我のせめぎ合い、MVの空間表現、そして最後の問いかけに注目して、「ラブリーズン」の歌詞を考察します。
※楽曲情報は2026年10月28日時点の公開資料に基づきます。以下の歌詞・MVの解釈は、公式に説明された制作背景を除き、筆者独自の考察です。
「ラブリーズン」の楽曲情報と制作背景
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| アーティスト | 原因は自分にある。 |
| 曲名 | ラブリーズン |
| 作詞・作曲 | syudou |
| 編曲 | 渡辺壮亮 |
| 先行配信日 | 2026年10月19日 |
| CD発売日 | 2026年11月11日予定 |
「ラブリーズン」は、原因は自分にある。の5thシングル表題曲です。公式サイトでは、syudouが楽曲を提供し、こじれた愛の狂気を描いたラブソングとして紹介されています。先行配信とCD発売は日付が異なります。genjibu.jp
制作の背景にも、愛にまつわる興味深いエピソードがあります。
syudouは公開コメントで、ライブ会場へ楽しそうに向かうファンの姿を見かけ、その人たちに喜んでもらえる曲を作ろうと思ったと説明しています。メンバーとファンの双方にとって、大切な曲になってほしいという願いも述べています。BARKS
この背景を踏まえると、本作には恋愛の物語とともに、誰かを応援する熱量を重ねて聴く余地があります。ただし、特定のファン像を描いた歌だと決めつけず、歌詞が開いている複数の関係を考えていきましょう。
「愛」と「I」は、なぜ同じ音で争うのか?
この曲を読み解く鍵になるのが、愛と、英語で自分を指すIの対立です。同じ音の言葉を並べることで、誰かを想う気持ちと、自分自身の欲求がぶつかる様子を表していると読めます。歌ネット
たとえば、大切な人に自信を持ってほしいという願いと、その人から一番に選ばれたいという願いは、同じ心の中に生まれます。相手の幸せを願っていても、その幸せに自分が含まれないと知れば、寂しくなることもあるでしょう。
こうした感情は、簡単に二つへ分けられません。誰かを支えることで、自分も生きる手応えを得る。その喜び自体は、関係を育てる力にもなります。
本作の言葉遊びは、その結びつきに潜む緊張を浮かび上がらせます。相手を想っているつもりでも、自分の安心を優先していないか。愛する側にも、問いが向けられているようです。
相手への肯定が、支配に近づいてしまう瞬間
歌詞では、相手の魅力を強く肯定する言葉と、相手が漏らす不満を遮ろうとする態度が隣り合っています。うたてん
ここから見えてくるのは、語り手にとって都合のよい相手像と、実際の相手とのずれではないでしょうか。
自信を失った人を励ますとき、その人のよさを伝えることは大切です。一方で、励ます側が答えを用意しすぎると、相手が不安を語る場所を狭めてしまうこともあります。
語り手には、自分が相手を救えるという強い確信があるように感じられます。その確信が深まるほど、相手自身が何を望んでいるのかを確かめる手順が省かれていく。そこに、この歌の怖さがあると考えます。
自分だけが理解しているという思いは、親密さの証しにも、他人を遠ざける理由にもなります。
「ラブリーズン」は、その二つがよく似た言葉で表されることを描いているのでしょう。愛情の大きさを語るほど、相手の自由が小さくなっていく可能性が見えてきます。
MVの透明な箱が映す、見えているのに届かない距離
「ラブリーズン」のMVはSpikey Johnが監督を務めています。透明な箱の中で歌う姿や、本棚や布の隙間から覗き込む場面が登場します。
長野凌大は公開コメントで、自分の中にある怖さや狂気を帯びた愛を、ポップに描くグループの表現をMVにも落とし込んだと説明しています。Billboard JAPAN
ここから先は、映像と歌詞を重ねた解釈です。
透明な箱は、内側の人がよく見える場所です。しかし、姿が見えていることと、自由に触れ合えることは別です。その隔たりは、相手をよく知っているつもりでも、心の内側までは分からないという歌詞の問題と重なります。
また、隙間から覗く視線には、もっと知りたいという好奇心と、見えない部分を残したくないという欲求の両方を読み取れます。
好きな相手のすべてを知りたくなる気持ちは、理解したいという願いから生まれます。それでも、相手に秘密や自分だけの時間があることまで許せなくなれば、その視線は相手を追い詰めるものへ変わり得ます。
MVの閉じた空間は、愛情が深まるにつれて二人の世界が狭くなっていく感覚を、視覚的に表しているように思えます。
ファンと表現者の関係としても聴ける理由
syudouの制作コメントを踏まえると、歌詞の熱量を、ファンと表現者の関係へ重ねる読み方もできます。
好きな人の作品や活動によって、日常に楽しみが増える。その人の存在が、自分の生活を支えてくれる。応援する側から見れば、ステージ上の人は、気持ちを届ける相手であると同時に、自分へ力を与えてくれる存在でもあります。
そこには、一方通行という言葉だけでは片づけられない充実があります。
一方で、支えられている実感が大きいほど、その人の選択を自分の期待へ近づけたくなる場合もあるでしょう。応援する気持ちに、こうあってほしいという願望が混ざっていくのです。
この曲をそのように聴くと、愛情と自我の衝突は、恋人同士だけの問題ではなくなります。
もちろん、歌詞の語り手を実在のファンやメンバーと同一視することはできません。制作時の温かな願いを踏まえながら、誰かを大切に想う喜びと、その気持ちが持つ複雑さを描いた作品として受け取りたいところです。
最後の問いかけは、相手を理解する始まりなのか?
歌詞の冒頭では、自分の内面を相手へ伝える姿勢が示されます。それに対して最後には、相手の内面を尋ねる言葉が置かれています。うたてん
この語りの向きの変化は、本作を考えるうえで大きな手掛かりです。
相手のことを理解しているという確信を重ねてきた語りに、最後の問いが差し込まれる。その瞬間、聴き手は、語り手が相手の何を知り、何を知らなかったのかを考え直すことになります。
ここを、ようやく相手の言葉に耳を傾けようとする場面と読むこともできます。ただ、問いかけることが、必ずしも相手を尊重することにつながるとは限りません。自分の望む答えを引き出そうとしている可能性も残ります。
そのため、この結末だけをもって、二人の関係が修復したとは言い切れないでしょう。
相手の心が分からないと気づいたのか。それとも、分からない部分まで自分のものにしたくなったのか。同じ問いかけが、理解への入口にも、執着の続きにも聞こえるところに、余韻があります。
「ラブリーズン」は、誰かを愛する喜びのそばに、自分の願いが置かれていることを感じさせる曲です。
相手を知りたいという気持ちの中には、知らないままでは不安だという自分もいる。その不安を抱えながら、相手の答えを待てるのか。最後に残るのは、愛される側だけでなく、愛する側の姿勢を問う響きなのではないでしょうか。


