人間の負の感情から、怪物が生まれるとしたら。
憎しみ。
嫉妬。
後悔。
恐怖。
誰にも言えない悪意。
それらは、自分の外側にいる敵なのでしょうか。
それとも、誰の心にも存在するものなのでしょうか。
Eveの「廻廻奇譚」は、呪いを倒す英雄の歌として始まるように聞こえます。
夜の街に現れる異形の存在。
繰り返される戦い。
傷を負いながら走る主人公。
闇を打ち払うため、迷う暇もなく前へ進んでいく。
テレビアニメ『呪術廻戦』のオープニングテーマとして、作品の戦闘やスピード感へ見事に重なる楽曲です。
しかし、歌詞を読み進めると、この歌の敵が単純な怪物ではないことに気づきます。
主人公自身も、社会にうまくなじめていません。
他人から寄せられる期待に苦しみ、自分の才能を信じられず、人間としての中身さえ疑っています。
周囲を見れば、誰もが何かを演じている。
強いふり。
正しいふり。
何も悩んでいないふり。
その姿は、主人公の目には人間よりも怪物らしく映っているのかもしれません。
そして、主人公もまた例外ではありません。
呪いと戦う者でありながら、自分の身体と未来にはすでに呪いが入り込んでいる。
敵を倒せば、すべてが解決するわけではないのです。
「廻廻奇譚」が描くのは、清らかな正義と邪悪な敵の戦いではありません。
呪う人。
呪われる人。
呪いを祓う人。
その境界が曖昧になった世界で、自分が何者なのかを問い続ける物語です。
では、タイトルの「廻廻」とは何が繰り返されることを意味するのでしょうか。
主人公は、なぜ自分に居場所がないと感じているのでしょう。
闇を祓うという行為は、敵を消すことなのでしょうか。
それとも、自分自身の内側にある闇を認めることなのでしょうか。
本記事では、Eve「廻廻奇譚」の歌詞に込められた意味を、タイトル、主人公の自己否定、呪いの循環、『呪術廻戦』との関係から詳しく考察します。
- Eve「廻廻奇譚」とは
- 【結論】「廻廻奇譚」は、自分の呪いを抱えて未来を作る歌
- タイトル「廻廻奇譚」の意味
- なぜ「回」ではなく「廻」なのか
- 二つの「廻」が表すもの
- 冒頭に四字熟語が連なる理由
- 難解な言葉の中に“空っぽ”がある
- 人間と怪物の違いはどこにあるのか
- 主人公に居場所がない理由
- 居場所を与えられることと、自分で選ぶこと
- 才能がないという自己評価
- 周囲からの期待が主人公を苦しめる
- 不平等な人生への怒り
- “平等”という言葉の皮肉
- “夜”が戦いの合図になる理由
- 闇を祓うとは、感情を消すことではない
- 呪う側と呪われる側は分けられるのか
- 循環を止めるには何が必要か
- 戦いが円環のように描かれる理由
- 主人公の戦いは誰のためなのか
- 虎杖悠仁と“呪われた主人公”
- 自分の中の怪物に責任を持てるのか
- 伏黒恵と“救う人を選ぶ”正義
- 正しさよりも選択が重視される世界
- 走ることと転ぶことが並ぶ意味
- 消えない痛みを抱えるとは
- 痛みは勲章ではない
- 世界が待っている“一瞬”とは何か
- 未来を“予測”せず“創造”する
- “呪われた未来”は宿命なのか
- 自己肯定ではなく自己引受けの歌
- 他人から与えられた名前を超える
- “正体”は最初から決まっていない
- 「廻廻奇譚」は社会から孤立した人の歌でもある
- 居場所は人から必要とされる場所なのか
- 呪いを生む社会への批判
- 主人公は世界を救えるのか
- オープニング映像と楽曲の疾走感
- 速い歌の中で感情が置き去りになる
- Eveが原作を読み返して作った意味
- コロナ禍で作られたこととの重なり
- なぜ海外でも支持されたのか
- 難解な歌詞が繰り返し聴かれる理由
- 「廻廻奇譚」に関するよくある疑問
- まとめ|「廻廻奇譚」は、呪いを消す歌ではなく、呪いに未来を奪わせない歌
Eve「廻廻奇譚」とは
「廻廻奇譚」は、Eveが2020年10月3日に配信リリースしたデジタルシングルです。テレビアニメ『呪術廻戦』第1期第1クールのオープニングテーマに起用され、同年12月23日発売のEP『廻廻奇譚/蒼のワルツ』にも収録されました。作詞・作曲・歌唱はEve、編曲はNumaが担当しています。
Eveはもともと『呪術廻戦』の原作を好んで読んでおり、主題歌制作にあたって作品を改めて読み返したと語っています。制作時期は、新型コロナウイルスの影響で予定されていたライブやリハーサルが止まり、自宅で楽曲制作を続けていた2020年春ごろでした。
楽曲は国内外で大きな支持を集め、2022年4月にはBillboard JAPAN集計のストリーミング累計再生数が3億回を突破しました。2021年の年間JAPAN HOT 100では10位に入り、Spotify発表の「海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲」でも同年1位となっています。
【結論】「廻廻奇譚」は、自分の呪いを抱えて未来を作る歌
「廻廻奇譚」の意味をひと言で表すなら、他人と同じように生きられず、自分の中にも醜さや矛盾があると知った主人公が、その“呪い”を消すのではなく抱えたまま、未来を自分で作ろうとする歌です。
主人公は、最初から強い英雄ではありません。
自分には才能がない。
周囲の期待へ応えられない。
普通の人間として生きる場所も見つからない。
そう感じています。
それでも、夜が訪れれば戦わなければならない。
迷いが消えてから行動するのではありません。
自分が何者か分からない状態で、目の前の闇へ向かっていきます。
この歌が描く強さは、恐怖を感じないことではありません。
恐怖も自己嫌悪も消えていないのに、それでも止まらないことです。
タイトル「廻廻奇譚」の意味
「奇譚」とは、普通では考えにくい不思議な物語、怪異や異形が登場する話を意味します。
『呪術廻戦』は、まさに呪いと怪異をめぐる奇譚です。
一方、「廻廻」は一般的な熟語ではありません。
同じ文字を重ねることで、何かが何度も巡り、終わらずに続いている印象を与えます。
呪いが生まれる。
誰かが傷つく。
傷ついた人が、別の誰かを憎む。
新しい呪いが生まれる。
術師がそれを祓っても、人間の負の感情がある限り、別の呪いが現れる。
タイトルは、怪異と戦う一つの物語ではなく、人間が何度も同じ苦しみを生み出す循環の物語を表しているのでしょう。
なぜ「回」ではなく「廻」なのか
「回」は、日常的に使われる簡潔な文字です。
回数。
回転。
何度目かを示す数字的な印象があります。
それに対して「廻」には、遠回りしながら巡るような、古く複雑な響きがあります。
主人公の物語も、一直線には進みません。
敵を倒して成長する。
努力して報われる。
正義が悪に勝利する。
そのような単純な道ではないのです。
戦った結果、さらに大きな傷を負う。
守ろうとした人を守れない。
正しい選択をしたつもりでも、誰かを苦しめる。
同じ問題の周囲を何度も巡りながら、少しずつ前へ進む。
「廻」という文字は、その終わりの見えない歩みを表しています。
二つの「廻」が表すもの
タイトルで同じ文字が二度重なることにも意味を見いだせます。
一つ目の「廻」は、外の世界で繰り返される呪いです。
人の恐怖や憎悪から呪霊が生まれ、術師との戦いが続く。
二つ目の「廻」は、主人公の心の中で繰り返される葛藤です。
自分を否定する。
それでも戦う。
傷ついて、再び自分を疑う。
そしてまた立ち上がる。
外側の戦いと内側の戦い。
二つの循環が重なることで、一つの奇譚になります。
冒頭に四字熟語が連なる理由
「廻廻奇譚」の冒頭では、硬質な漢字表現が目まぐるしく並びます。
言葉を一つずつ落ち着いて理解する前に、次の言葉が押し寄せてくる。
この構成は、主人公が見ている世界の混乱を表しているのでしょう。
人間。
怪物。
本音。
虚勢。
善意。
悪意。
さまざまな概念が、きれいに分類されず混ざっています。
また、難しい言葉を連ねる歌い方からは、主人公が世界を理解しようと必死になっている姿も見えてきます。
言葉によって分類すれば、自分が何者なのか分かるかもしれない。
人間と怪物の境界を定義できるかもしれない。
しかし、どれほど言葉を重ねても答えは出ません。
難解な言葉の中に“空っぽ”がある
冒頭は知的で情報量が多い一方、描かれる人間には中身がありません。
外側には立派な言葉がある。
社会的な肩書がある。
正しい態度を演じている。
しかし、内側に確かな自分が見つからない。
これは、主人公だけの問題ではありません。
現代社会では、人は多くの役割を持ちます。
学生。
会社員。
親。
友人。
SNS上の人格。
それぞれの場所で求められる顔を演じているうちに、本当の自分が分からなくなることがあります。
難しい言葉で世界を説明しながら、自分自身は空洞になっている。
その矛盾が、楽曲冒頭のスピード感に込められています。
人間と怪物の違いはどこにあるのか
主人公の目には、人間社会そのものが異形の存在のように映っています。
嘘をつく。
弱い人を排除する。
相手によって態度を変える。
期待を押し付ける。
その一方で、自分は善良な人間だと思っている。
見た目が人間であれば、人間なのでしょうか。
反対に、醜い姿を持つ存在は、必ず邪悪なのでしょうか。
『呪術廻戦』では、人間の負の感情から呪いが生まれます。
つまり、怪物は人間と無関係な外敵ではありません。
人間の心が形を持ったものです。
「廻廻奇譚」は、怪物を倒す歌でありながら、人間のほうが怪物らしく見える瞬間を描いています。
主人公に居場所がない理由
主人公は、世界のどこにも自分の居場所がないと感じています。
周囲の人間と同じように振る舞えない。
期待された役割を果たせない。
特別な才能があるわけでもない。
平凡な人間として生きることさえ難しい。
この孤独は、『呪術廻戦』の主人公・虎杖悠仁へ重なります。
虎杖は呪いの王・両面宿儺を体内に宿す特殊な存在であり、人間を守る側でありながら、呪いを内包する危険な存在でもあります。公式の人物紹介でも、宿儺の猛毒に耐えられる稀有な器であり、間違った死を阻止するため呪いをめぐる戦いへ身を投じる人物として説明されています。
普通の人間の世界へは戻れない。
しかし、完全な呪いでもない。
虎杖は二つの世界の間に立っています。
居場所を与えられることと、自分で選ぶこと
虎杖は、自分から呪術師になることだけを夢見ていた人物ではありません。
ある出来事をきっかけに、呪いの世界へ入ることになります。
それでも、状況に流されるだけではありません。
自分がどのような死を選ぶのか。
誰を助けたいのか。
与えられた運命の中で、自分なりの意味を探します。
「廻廻奇譚」の主人公も同じです。
最初から居場所が用意されているわけではありません。
社会が「あなたはここにいてよい」と保証してくれるのを待つのではなく、戦いながら自分の立つ場所を作ろうとしています。
才能がないという自己評価
主人公は、自分に特別な力があるとは考えていません。
周囲から見れば、戦える能力や可能性を持っているかもしれない。
それでも本人には、自分が不足している部分ばかり見えます。
才能がある人。
期待へ応えられる人。
迷わず決断できる人。
そのような人物と比べ、自分は空っぽだと感じる。
しかし、才能の有無と、行動できるかどうかは同じではありません。
才能があるから戦うのではない。
目の前に救いたい人がいるから動く。
この順番が、「廻廻奇譚」の主人公を英雄ではなく、一人の人間として見せています。
周囲からの期待が主人公を苦しめる
期待は、応援として受け取れることがあります。
あなたならできる。
成功してほしい。
信じている。
しかし、自分に自信がない人にとって、期待は重荷にもなります。
失敗できない。
相手を失望させてはいけない。
期待へ応えられない自分には価値がない。
主人公は、他人から求められる人物になろうとするほど、自分自身から離れていきます。
「廻廻奇譚」で戦うべき相手は、目の前の呪いだけではありません。
期待へ応えられなければ存在してはいけない、という思い込みでもあります。
不平等な人生への怒り
この曲には、誰もが同じ条件で生きているわけではないという感覚があります。
生まれた環境。
持っている能力。
身体。
家族。
出会う人。
同じ努力をしても、同じ結果にはなりません。
それでも社会では、成功できなかった理由を本人の努力不足として説明することがあります。
主人公は、その不平等へ怒っています。
ただし、怒るだけで世界から降りるわけではありません。
不平等だと知ったうえで、自分に残された手段を使おうとします。
“平等”という言葉の皮肉
人間も呪いも、敵も味方も、最終的には同じように命を失います。
苦しみや死の前では、立場の違いが消えることがあります。
しかし、生きている間の扱いは平等ではありません。
守られる人。
見捨てられる人。
才能を認められる人。
存在さえ見てもらえない人。
主人公は、平等という美しい言葉と、現実の不平等の間に立っています。
その矛盾が、歌詞全体へ不穏な緊張を与えています。
“夜”が戦いの合図になる理由
夜は、隠されていたものが現れる時間です。
昼間、人々は社会的な顔を見せています。
仕事をする。
学校へ通う。
明るく振る舞う。
しかし、夜になると抑えていた感情が大きくなります。
孤独。
不安。
憎しみ。
後悔。
呪いが人間の負の感情から生まれるなら、夜はそれが形を持ちやすい時間なのでしょう。
主人公にとって夜の訪れは、休息ではありません。
世界と自分の闇へ向き合う合図です。
闇を祓うとは、感情を消すことではない
闇を祓うと聞くと、悪いものを完全に消すイメージがあります。
しかし、人間から負の感情をすべてなくすことはできません。
悲しみ。
嫉妬。
怒り。
恐怖。
それらも人間の一部です。
無理に消そうとすれば、かえって別の形で噴き出すことがあります。
本当の意味で闇を祓うとは、感情そのものを否定することではないでしょう。
なぜ自分が怒っているのか。
何を恐れているのか。
その感情によって誰かを傷つけようとしていないか。
闇の存在を認め、行動を選び直すことです。
呪う側と呪われる側は分けられるのか
人から傷つけられた人物が、別の人を傷つけることがあります。
否定された人が、より弱い立場の人を否定する。
愛されなかった人が、他人の愛を壊そうとする。
このとき、その人物は被害者でしょうか。
それとも加害者でしょうか。
答えは一つではありません。
人は、呪われる側から呪う側へ変わることがあります。
「廻廻奇譚」の循環とは、まさにこの変化です。
自分は傷つけられたのだから、何をしても許される。
そう考えた瞬間、呪いは次の人へ渡っていきます。
循環を止めるには何が必要か
呪いの循環を止める方法は、最初に傷つけた人物を倒すことだけではありません。
自分が受けた痛みを、別の誰かへ渡さないことです。
怒りを持つことは悪くない。
許せないと思うことも自然です。
しかし、その感情を理由に無関係な人を傷つければ、同じ物語が繰り返されます。
主人公が未来を作るという決意には、過去をなかったことにする意味はありません。
受けた傷を認めながら、その傷に次の行動を決めさせないという意味があります。
戦いが円環のように描かれる理由
この曲の戦いには、明確な終着点がありません。
一つの敵を倒しても、次の敵が現れる。
昨日の正義が、今日は別の人を傷つけるかもしれない。
主人公自身も、いつか守る側から壊す側へ変わる可能性がある。
だから戦いは円環になります。
しかし、同じ場所を回り続けているように見えても、人はまったく同じ状態ではありません。
傷を負う。
誰かと出会う。
新しい選択をする。
円を描きながらも、少しずつ違う場所へ進むことはできます。
主人公の戦いは誰のためなのか
主人公は、世界全体を救えるほど万能ではありません。
すべての呪いを消すこともできない。
それでも目の前の戦いへ向かいます。
それは、大きな正義のためだけではないでしょう。
自分が助けられなかった人を、これ以上増やしたくない。
自分と同じ孤独を持つ人を見捨てたくない。
行動の出発点には、個人的な痛みがあります。
正義とは、常に清らかな理想から生まれるものではありません。
後悔や怒りから始まったとしても、誰かを守る方向へ使うことはできます。
虎杖悠仁と“呪われた主人公”
虎杖は、呪いを祓う側にいながら、身体には呪いの王・両面宿儺が存在しています。
宿儺は千年以上前に生き、死後も現世を脅かす「呪いの王」であり、虎杖の身体へ受肉した存在として描かれています。
虎杖は、敵と自分を完全には分けられません。
宿儺が起こしたことも、自分の身体を通じて現実になります。
自分には悪意がなかったとしても、被害を見れば無関係ではいられない。
「廻廻奇譚」の主人公が呪いと呪われた未来の両方を背負う姿は、この虎杖の矛盾へ強く重なります。
自分の中の怪物に責任を持てるのか
誰の心にも、自分では認めたくない部分があります。
人の失敗を喜ぶ。
大切な人を支配したい。
傷つけられた相手へ報復したい。
その感情を持っただけで、悪人になるわけではありません。
重要なのは、その感情を自分には存在しないことにするのではなく、行動へ移すかどうかを選ぶことです。
虎杖は宿儺の存在そのものを消せません。
主人公も、自分の闇を完全には消せない。
それでも、操縦を怪物へ渡さないことはできます。
伏黒恵と“救う人を選ぶ”正義
伏黒恵は、誰もを平等に救おうとする人物ではありません。
自分が大切だと思う人を守るという信念を持っています。公式サイトでも、過去の経験から大切な者を守ろうとする人物として紹介されています。
この姿勢は、一見すると不公平です。
しかし、人間がすべての人を救うことはできません。
限られた力と時間の中で、誰を助けるのか選ばなければならない場合があります。
「廻廻奇譚」にある不平等への意識は、伏黒の正義にも重なります。
世界が平等ではないからこそ、自分が救う人を自分で選ぶ。
その選択には、責任と後悔が伴います。
正しさよりも選択が重視される世界
『呪術廻戦』では、誰の判断が完全に正しかったのか分からない場面が多くあります。
誰かを救うことで、別の人が危険になる。
大勢を守るため、一人を犠牲にする。
敵にも、人間らしい感情や論理がある。
この世界では、絶対的な正解を待っていても行動できません。
「廻廻奇譚」の主人公も、正しい顔が分かってから戦うのではありません。
迷いながら選ぶ。
選んだ結果を引き受ける。
その繰り返しによって、自分が何者なのかを作っていきます。
走ることと転ぶことが並ぶ意味
主人公は、完璧な走りを見せる人物ではありません。
前へ進みながら失敗する。
傷を負う。
地面へ倒れる。
それでも、そこで物語は終わりません。
転んだことは、走る資格を失った証明ではないからです。
大切なのは、一度も転ばないことではありません。
転んだ後、自分の痛みを抱えたまま、どちらへ進むかを選ぶことです。
消えない痛みを抱えるとは
傷は、時間がたてばすべて消えるわけではありません。
身体に残るもの。
人を信じられなくなる経験。
助けられなかった後悔。
自分の判断によって誰かが傷ついた記憶。
それらは、主人公の未来にも残ります。
一般的な物語では、過去の傷を克服し、強くなった主人公が描かれます。
しかし「廻廻奇譚」は、痛みが消えることを条件にしません。
痛みを持つ自分のまま進もうとします。
痛みは勲章ではない
傷を負ったことを、美しい成長物語へ変えすぎるべきではありません。
苦しめば強くなれる。
傷ついた人ほど優しくなれる。
必ずしもそうではないからです。
痛みによって、人を信じられなくなる場合もあります。
同じ傷を他人へ与えてしまうこともある。
主人公が強いのは、痛みを持っているからではありません。
痛みによって、次の誰かを傷つける人間にはなりたくないと選び続けるからです。
世界が待っている“一瞬”とは何か
主人公は、長い未来を完全には見通せません。
自分が最後に勝てるかどうかも分からない。
だからこそ、一瞬へ力を注ぎます。
目の前の人を助ける。
今ここで立ち上がる。
今日の自分が選べることをする。
世界を一度に変えられなくても、一瞬の選択によって誰かの未来が変わることがあります。
「廻廻奇譚」が持つ速度は、急いで成功しろという圧力ではありません。
今しか選べないものを見逃すな、という切迫感です。
未来を“予測”せず“創造”する
主人公は、自分の未来が呪われていると知っています。
危険な運命。
避けられない戦い。
社会から拒絶される可能性。
その未来を予測するだけなら、絶望的な結論になるでしょう。
しかし主人公は、未来を決定済みのものとして受け取りません。
未来は当てるものではなく、作るものだと考えます。
呪われているから不幸になる。
怪物を抱えているから、人を傷つける。
その因果関係を当然とは認めません。
与えられた条件は変えられなくても、その条件から何を生み出すかは選べます。
“呪われた未来”は宿命なのか
人には、自分で選べない条件があります。
生まれた家。
身体。
過去の出来事。
周囲から貼られた名前。
それらは、その人の未来へ強い影響を与えます。
しかし、影響を受けることと、完全に決定されることは違います。
主人公は、呪いを抱える自分を否定しません。
同時に、呪いだけに自分を説明させることも拒みます。
自分は呪われた人間である。
それでも、自分が何をする人間なのかは、これから作れる。
この二つを同時に認めています。
自己肯定ではなく自己引受けの歌
「自分を好きになろう」という言葉は、多くの人を励まします。
しかし、自分をどうしても好きになれない日もあります。
欠点。
過去の失敗。
醜い感情。
それらを知っているから、自分を肯定できない。
「廻廻奇譚」は、無理に自分を好きになる歌ではありません。
好きになれない自分も、自分のものとして引き受ける歌です。
これが自分だと認める。
そして、その自分を使って何をするかを決める。
自己愛よりも、自己責任に近い覚悟が描かれています。
他人から与えられた名前を超える
人は、周囲からさまざまな名前を付けられます。
才能がない人。
危険な人。
役に立たない人。
期待の新人。
優等生。
一度名前を付けられると、その役割に合わせて生きるよう求められます。
虎杖も、宿儺の器や処刑対象という役割によって見られます。
しかし、人間は一つの名前だけでは説明できません。
主人公は、社会から与えられた正体ではなく、行動によって自分の正体を作ろうとします。
“正体”は最初から決まっていない
自分探しという言葉があります。
どこかに完成された本当の自分があり、それを見つければ迷わなくなる。
しかし、人の正体は発見するだけのものではないでしょう。
選んだ行動。
守った約束。
逃げた経験。
傷つけた後の対応。
その積み重ねによって、自分は作られます。
主人公は、自分の正体が分からないまま走り始めます。
走ることで、正体が後から形になるのです。
「廻廻奇譚」は社会から孤立した人の歌でもある
作品世界を離れて読むと、この曲は現代社会の孤独を描いた歌にも聞こえます。
周囲へ合わせられない。
自分には何もないと感じる。
期待だけは寄せられる。
それでも、本音を見せられる場所がない。
この状態では、人は社会の中にいても居場所を持てません。
主人公が戦う闇は、呪霊だけではありません。
自分は誰からも必要とされないという思い込みです。
居場所は人から必要とされる場所なのか
人から必要とされることで、居場所を感じることがあります。
仕事を任される。
相談される。
家族から頼られる。
しかし、必要とされることだけを居場所の条件にすると、役に立てなくなった瞬間に自分の価値を失います。
主人公も、戦えるから存在を許されているだけでは、本当の居場所を得たことになりません。
何もできないときにも、そこにいてよい。
弱さを見せても追い出されない。
そのような関係を作ることが、呪いの循環を止める方法の一つなのでしょう。
呪いを生む社会への批判
人間の負の感情から呪いが生まれるなら、呪霊だけを倒しても根本的な解決にはなりません。
差別。
孤立。
過剰な競争。
不平等。
人を追い詰める仕組みが残れば、負の感情は生まれ続けます。
「廻廻奇譚」は個人の勇気を歌う一方、個人だけへ責任を押し付ける社会への違和感も含んでいます。
苦しんでいる人へ、心の持ち方を変えればよいと言うだけでは足りません。
その人を苦しめる環境も変えなければ、呪いは廻り続けます。
主人公は世界を救えるのか
主人公一人で、世界から呪いをなくすことはできません。
人間が感情を持つ限り、苦しみは生まれる。
すべての人を救うことも不可能です。
しかし、何もできないわけではありません。
目の前の一人を助ける。
自分が受けた痛みを、次の人へ渡さない。
呪いによって決められた役割へ抵抗する。
その小さな選択によって、循環の一部を変えることはできます。
オープニング映像と楽曲の疾走感
『呪術廻戦』第1期では、「廻廻奇譚」が第1クールのオープニングを飾り、後にはアニメーション映像を用いたコラボMVも公開されました。
楽曲は言葉が高速で押し寄せ、演奏も目まぐるしく展開します。
この速度は戦闘の激しさだけを表しているのではありません。
考える時間を与えず進んでいく世界そのものです。
主人公は、自分の正体をゆっくり考えたい。
しかし、次の事件が起こる。
誰かが傷つく。
決断を迫られる。
立ち止まれない人生の速度が、サウンドによって表現されています。
速い歌の中で感情が置き去りになる
人生に余裕がないと、自分の感情を理解する前に次の行動へ移ります。
悲しむ暇がない。
傷ついたことを認められない。
恐怖を感じる前に戦わなければならない。
感情を処理できないまま進むと、その痛みは消えずに残ります。
「廻廻奇譚」の目まぐるしい歌唱は、強さの表現であると同時に、心が現実へ追いついていない状態にも聞こえます。
Eveが原作を読み返して作った意味
Eveは主題歌制作に際し、以前から好きだった原作を改めて読み返し、作品世界を踏まえて楽曲を作ったと語っています。
そのため「廻廻奇譚」には、作品で使われる呪いや術師のイメージが自然に組み込まれています。
一方、歌詞はアニメの筋書きをそのまま説明してはいません。
登場人物の固有名詞も使わず、現代を生きる人の孤独や自己否定へ広げられています。
タイアップ曲でありながら、一人の人間の内面を歌う作品として成立しているのです。
コロナ禍で作られたこととの重なり
制作が進められた2020年春は、多くの予定が中止や延期となり、人々が先の見えない生活を送っていた時期でした。Eve自身も予定されていたライブが延期され、自宅で制作を続けていたと振り返っています。
この背景を踏まえると、楽曲にある閉塞感や、未来を自分で作ろうとする決意には、現実の時代状況も重なって聞こえます。
日常が突然変わる。
自分の力ではどうにもならない。
それでも、止まったままではいられない。
呪いと戦う物語は、先の見えない現実を生きる人の歌にもなりました。
なぜ海外でも支持されたのか
「廻廻奇譚」は海外でも広く聴かれ、2021年にはSpotifyが発表した海外再生の日本楽曲ランキングで1位となりました。
その背景には、『呪術廻戦』の国際的な人気に加え、言葉の意味を完全に理解しなくても伝わるエネルギーがあります。
速いリズム。
強い子音。
急激な展開。
苦しみを振り切るような声。
楽曲そのものが、言語を越えて戦いや葛藤を感じさせます。
難解な歌詞が繰り返し聴かれる理由
一度聴いただけでは、すべての言葉を理解することは難しいでしょう。
しかし、分かりにくさは欠点だけではありません。
何度も聴く。
言葉を調べる。
アニメの登場人物へ重ねる。
自分の経験へ重ねる。
そのたびに、別の意味が見えてきます。
タイトルどおり、聴き手も楽曲の周囲を何度も廻ります。
理解のために繰り返し聴くという体験そのものが、曲の構造と重なっているのです。
「廻廻奇譚」に関するよくある疑問
Eve「廻廻奇譚」はどのような歌ですか?
自分に居場所や才能がないと感じる主人公が、呪いや矛盾を抱えながら、それでも未来を自分で作ろうとする歌です。
『呪術廻戦』の戦いを描くだけでなく、現代社会で自分の正体を見失った人の内面にも重なります。
タイトルの「廻廻奇譚」とはどういう意味ですか?
呪い、憎しみ、戦い、自己否定などが何度も循環する不思議な物語を表していると考えられます。
外の世界で続く戦いと、主人公の内面で繰り返される葛藤という二つの循環が重なっています。
なぜ「回」ではなく「廻」なのですか?
単純な反復ではなく、遠回りしながら同じ問題の周囲を巡る印象を与えるためだと考えられます。
主人公の成長が一直線ではないことにも重なります。
冒頭に難しい四字熟語が多いのはなぜですか?
人間と怪物、本音と虚勢、正義と悪意が入り乱れる世界を、情報が押し寄せるような言葉で表現しているためでしょう。
言葉で世界を分類しようとしても、明確な答えへたどり着けない主人公の混乱も感じられます。
主人公に居場所がないのはなぜですか?
周囲の期待へ応えられず、普通の人間としても特別な人間としても自分を認められないからです。
『呪術廻戦』で、人間でありながら宿儺を宿す虎杖悠仁の立場にも重なります。
歌詞の呪いとは何ですか?
作品世界では、人間の負の感情から生まれる怪異です。
より広く読むと、他人から向けられた否定、過去の傷、自己嫌悪、自分の人生を決めつける思い込みなども呪いと考えられます。
闇を祓うとは、悪い感情をなくすことですか?
感情を完全に消すことではないでしょう。
自分の怒りや恐怖を認め、その感情によって他人を傷つけるのか、別の行動を選ぶのかを決めることだと解釈できます。
呪う側と呪われる側は同じなのですか?
同じ人物が両方になることがあります。
傷つけられた人が、その痛みを別の人へ向ければ、呪いの循環が続きます。
虎杖悠仁との関係は?
虎杖は人を守るために戦う一方、身体には呪いの王・両面宿儺を宿しています。
敵と自分を完全には分けられず、呪われた条件の中で自分の未来を選ぼうとする点が、楽曲の主人公と重なります。
伏黒恵との関係は?
伏黒は、自分が大切だと思う人を守るという信念を持つ人物です。
誰もを完全に平等には救えない世界で、自分なりの正義を選ぶ姿が、楽曲の不平等や選択のテーマとつながります。
「廻廻奇譚」はいつリリースされましたか?
2020年10月3日にデジタルシングルとして配信されました。
どの作品の主題歌ですか?
テレビアニメ『呪術廻戦』第1期第1クールのオープニングテーマです。
どれほどヒットした曲ですか?
2022年4月にBillboard JAPAN集計のストリーミング累計3億回を突破しました。Eveの楽曲としては初の3億回突破作品です。
まとめ|「廻廻奇譚」は、呪いを消す歌ではなく、呪いに未来を奪わせない歌
Eveの「廻廻奇譚」は、呪いを倒し、闇を消し去る英雄の歌のように聞こえます。
しかし、主人公自身も清らかな存在ではありません。
自分には才能がないと思っている。
周囲の期待へ応えられない。
社会の中に居場所を見つけられない。
人間らしく生きたいのに、人間社会そのものが怪物の集まりにも見えてしまう。
その主人公が、完全な正義を手に入れて戦うわけではありません。
自分の中にある怒り、恐怖、醜さを抱えたまま動きます。
ここに、この歌の重要な意味があります。
人は、悪い感情を持たなくなってから誰かを守るのではありません。
嫉妬する。
憎む。
逃げたいと思う。
自分のことばかり考える。
そのような感情がありながら、それでもどの行動を選ぶかによって、人間の姿が決まります。
呪いとは、外側にいる怪物だけではありません。
過去に言われた言葉。
失敗した記憶。
自分には価値がないという思い。
生まれた環境によって、未来まで決まっているという諦め。
それらも、人の可能性を縛る呪いです。
主人公は、その呪いを完全には消せません。
忘れることもできない。
傷がなかった自分へ戻ることもできない。
だから、呪われた状態のまま未来を作ろうとします。
未来を予測すれば、絶望的な結論になるかもしれません。
自分は失敗する。
また誰かを守れない。
怪物に負ける。
しかし、未来は予測したとおりになるだけのものではありません。
現在の選択によって、少しずつ形を変えられます。
目の前の一人へ手を伸ばす。
受けた痛みを、別の人へ渡さない。
自分を怪物だと決めつける声に従わない。
その小さな行動が、呪いの循環を変えます。
タイトルの「廻廻」は、終わりのない苦しみを表しています。
人がいる限り、負の感情はなくならない。
呪いを一つ倒しても、別の呪いが生まれる。
主人公も一度立ち上がれば、もう迷わなくなるわけではありません。
戦う。
転ぶ。
痛みを抱える。
自分を疑う。
そして再び走る。
同じ場所を回っているように見える。
それでも、前の自分とまったく同じではありません。
一度目にはできなかった選択を、二度目にはできるかもしれない。
以前は痛みを他人へ向けた人が、次には誰かを守れるかもしれない。
循環は、必ずしも完全な繰り返しではありません。
人の選択によって、少しだけ軌道を変えることができます。
虎杖悠仁は、人間を守る側でありながら、身体に宿儺という巨大な呪いを抱えています。
敵を外へ追い出せば、自分だけは清らかになれるわけではない。
自分の身体を通して起きた惨事から、簡単に逃げることもできない。
その矛盾は、私たちの現実にも重なります。
人は、自分が受け継いだ環境や過去を選べません。
家族から受けた傷。
社会の価値観。
知らないうちに持っていた偏見。
それらが自分の中にあると知ったとき、すべてを他人の責任にすることも、自分だけを責め続けることも十分ではありません。
自分の中に何があるのかを認め、その力をどちらへ使うかを選ぶ必要があります。
「廻廻奇譚」は、自分を愛せるようになった主人公の歌ではありません。
主人公は最後まで、自分を完全には肯定できていないでしょう。
それでも、自分を見捨てません。
好きではない自分。
弱い自分。
怪物を抱えた自分。
その自分を連れて、次の一瞬へ向かいます。
この姿勢は、自己肯定というより自己引受けです。
自分には闇がある。
しかし、闇だけが自分のすべてではない。
自分の正体は、これまで付けられた名前ではなく、これから選ぶ行動によって作られる。
だから主人公は走ります。
転ばないためではありません。
転んでも、そこで未来を終わらせないためです。
消えない痛みは残る。
けれど、その痛みへ人生の操縦を任せる必要はない。
世界が待っている一瞬とは、大きな成功の瞬間だけではありません。
今、傷ついている誰かを見過ごすか。
声をかけるか。
自分の怒りを別の人へぶつけるか。
そこで止めるか。
その小さな選択の瞬間です。
世界全体を救えなくても、一つの呪いを次へ渡さないことはできる。
その選択が積み重なることで、奇譚の結末は少しずつ変わります。
Eveの「廻廻奇譚」は、呪いのない人間になるための歌ではなく、居場所のなさ、自己嫌悪、過去の傷という呪いを抱えながら、それでも自分の正体を他人や運命に決めさせず、一瞬ごとの選択によって未来を創造しようとする歌なのではないでしょうか。


