【道化師のソネット/さだまさし】歌詞の意味を考察、解釈する。

お笑い芸人の松本人志さんは、『道化師のソネット』を非常に称賛しています。
さだまさしの楽曲が彼の好みだとは予想外ですね。
一般的に考えると、さだまさしの歌と松本さんのイメージがうまくマッチしないかもしれません。
それでも、松本さんがこれまでに一番聞いてきたかもしれない曲が『道化師のソネット』です。
なぜ松本さんがこの曲にそこまで魅力を感じるのか、興味深いですね。


松本さんは『道化師のソネット』に何十回も共感し、何百回も励まされてきたのだろうと思います。
落ち込んだ時には、自分の立ち位置を見つめ直すきっかけとなり、背中を押してくれた曲ではないでしょうか。
この歌は、彼の行っている「お笑いの核心」を理解してくれていると感じさせるものなのかもしれません。


お笑いというのは非常に難しい芸当です。
もちろん、人を泣かすような悲劇の演技も容易なものではありませんが、「笑わせる」という芸は、本当に優れた知恵がなければ成し遂げられないものなんです。
瞬時に変わる周囲の状況に対応し、常に「最も効果的なジョーク」を頭の中で探し続けること、そしてその場にぴったりの「驚きとタイミングの絶妙な言葉」を提示することには、迅速な反射神経と長年の経験、そして賢さが絶対に必要です。
松本さんはお笑いが非常に難しいことを理解しているからこそ、お笑いを行うことの誇りと同時に、そのプロセスにおけるプレッシャーや不安もいつも感じているのではないかと思います。


芸人というのは皮肉なことに、時に悲しい職業なんです。
笑いを提供し、人々をハッピーにする役割を果たしている一方で、もしも自分の両親、兄弟、家族、友人が亡くなったとしても、舞台に立って、テレビに出演して笑いを届けなければなりません。
どんなに辛くても、涙をこらえ、その悲しみを客の前で示すことは許されません。
同情されることで笑いを引き摺ることはできませんから。
もし自分の大切な子供が不慮の事故で亡くなった場合でも、「子供が亡くなってかわいそう…」と思われたら、笑いを取ることは難しいです。
これほど残酷な側面もあるのが、この職業の現実なのです。


君のその小さな手には

持ちきれない程の悲しみを

せめて 笑顔が救うのなら

僕は 道化師になろう

笑ってよ 君のために

笑ってよ 僕のために

松本さんは、この曲の一節を自分と重ね合わせたのかもしれません。
ピエロは、自身が絶望の淵にいようとも、観客を笑わせるために真の気持ちを隠し、滑稽な動きで笑いを提供しなければなりません。
自分の心が悲しみに満ちていても、その感情を隠し、本当の気持ちを犠牲にし、笑いを取りに行かなければなりません。
人生には悲しいことがたくさんありますが、ただ悲しんでいるだけでは何も変わりません。
人生には笑いによる幸せもあるのです。
悲しみは消えることはないかもしれませんが、少なくともあなたには笑顔で救われてほしいから、私はあなたを笑わせるよう努めるのです。
あなたが笑ってくれれば、その笑顔で私も救われます。
あなたが幸せになれば、私も幸せになれるんです。
ピエロと芸人は異なる表現をしていますが、行っていることは同じです。
松本さんがこの部分に共感したのかもしれません。