【Radiohead】名曲「Creep」が生んだ栄光と葛藤。

ガガッ!ガガッ!とノイジーに荒々しく鳴り響く「クリープ」のギター音にしびれたのはいつだっただろう。
生気のないヒョロッとした大学生のようなフロントマンがいる、いかにもUKといった風貌の兄ちゃんたち5人のバンドが鳴らした音はそのギャップもあってか音楽シーンにすぐに受け入れられました。
1993年頃デビューして間もない「レディオヘッド」が世界に知られるきっかけとなった曲です。

神経質そうな表情で繊細なサウンドを奏でたかと思ったらサビ前で一気に激しくギターを爆音で響かせる。
まさに緩急とも言えるその音に魅了されたロックファンは少なくありません。
線の細いUKネオアコ系かと思いきやグランジ寄りの退廃的な雰囲気と、どこか破壊的な空気を醸し出していたのに驚かされました。
これは後になって知ったことですが、先に触れたヒョロッとしたフロントマンことトム・ヨークがニルヴァーナからの影響を強く受けたと語っているのを耳にしました。
なるほど、それならば合点がいきます。

当時ニルヴァーナの登場は衝撃以外の何ものでもありませんでした。
知る人ぞ知る売れないインディバンドだったニルヴァーナがアルバム「ネバーマインド」をリリースしたのが1991年でした。
MTVが王道のロックやポップスをかけまくっている中で深夜枠のマイナーなコーナーでひっそりと公開された曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はあくまで異端でありマイナーなバンドのマイナーな曲でしかありませんでした。
最初に見たときはおどろおどろしいホラー映画のような狂気を軽く感じたのを覚えています。

当時は商業的な音とは言えなかったその曲は徐々に若者の支持を集めていくことになります。
リアルなガレージロック的サウンドは正当なロックファンはもちろんヘヴィメタルやパンクスたちの注目も集め、インディポップやカントリー、ブルースを好む大人たちの気をも引き、さらにはヒップホップやラップ好きからも熱い視線を向けられるようになっていきます。
音楽のジャンルを超越した人気を獲得し、気付けば大ブームを巻き起こし、MTVでヘビーローテーションされゴールデンタイムでも流れまくるようになっていました。
ヒットチャートをもの凄い勢いで駆け上がっていったのを覚えています。
今までの売れているロックを全否定するかのようなアティテュードすらも称賛され時代のヒーローとして持ち上げられていきます。

この当時を振り返ると彼らの存在は「ニルヴァーナ前」と「ニルヴァーナ後」とロック史を分けてしまえるほどの大きな分岐点となりました。
グランジやオルタナといった音楽ジャンルが幅をきかせ、雨後の筍のようにシアトルあたりからノイジーなバンドがわんさかと出てきました。
王道と言われるロックバンドたちも自らの根幹を見失い、グランジ寄りのシリアスでヘヴィな音作りに走ってしまいます。
有名バンドが個性を排除したやたらと重い音ばかりのアルバムを出すたびに「お前もか」と頭を抱えたものです。

そんな時代背景の中、まさに“ニルヴァーナ後”にデビューアルバム「パブロ・ハニー」を引っ提げて英国から登場したのがレディオヘッドでした。
この時代にこのタイミングで出てきたバンドにしてはニルヴァーナの二番煎じになる事もなく独自のサウンドを作り上げていました。
しかしデビューアルバムは本国イギリスではしばらくの間、鳴かず飛ばずでした。
いくつかシングルをリリースするもヒットに繋がらず陽の目を見ない中でシングル曲「クリープ」が発表されます。
当初は歌詞に多く含まれる「You’re so fuckin’ special」などの放送禁止用語がネックとなり新人バンドとしては欠かすことが出来ないラジオでの放送を殆どしてもらえませんでした。
ネットを駆使してストリーミングやダウンロードをするのが当たり前でお気に入りの曲をすぐに探せる現代とは違い、ラジオでもテレビでも流れない曲がヒットする事はほとんどありませんでした。
そんな時代なのに何故かイスラエルから人気に火が付き、じわじわと注目を集めアメリカなど多くの国に飛び火してヒットチャートを賑わせる曲になっていきます。
最終的には逆輸入のような形で本国イギリスでの人気にもつながり世界的なヒット曲として認識されるのです。

「クリープ」が大ヒットするとバンドの名も知られるようになり一気に売れ始めます。
軌道に乗せるべくシングルを続けて出すもヒットには繋がらず「クリープ」だけが一人歩きを始めます。
遂には“クリープのバンド”と認識されてしまい、一発屋のように揶揄するメディアもあったようです。
あまりに有名になってしまった曲は作者の手を離れ巨大化すると言います。
まさにこの曲がそれで、どこへ行ってもこの曲ばかりをリクエストして聴きたがる聴衆に当時はメンバーも、うんざりしていたと回想しています。
クリープ(Creep)をもじってクラップ(Crap)“ゴミ”と呼んでいたそうです。
そんなクリープが聴衆の前で披露される機会は少なくなっていきました。

ここで先に触れたニルヴァーナを思い出します。
彼らにもあまりにも売れすぎてしまった曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」があります。巨大化した大ヒット曲の呪縛によりカート・コバーンの寿命までをも縮めてしまったという見方もあります。
自らが産み出した我が子のような愛すべき存在の曲が、メディアや聴衆の手で変貌してしまい、その時代を現す代表曲にまで祭り上げられてしまいました。
その結果、自らの曲に自らが苦しめられ潰されてしまう。
これがニルヴァーナのカート・コバーンとレディオヘッドのトム・ヨークが感じた共通点かもしれません。

クリープの歌詞に「僕はウジ虫だ、気持ち悪い奴なんだ」「ここは僕の居場所じゃない」などと内面をえぐり取って見せてくるような悲痛な叫びともいえるトム・ヨークの心境の吐露は多くの人の心をもえぐります。
トムが大学生のときにアコースティックによって書いた曲がクリープだったそうです。
後にバンドメンバーとなるベーシストのコリン・グリーンウッドはその曲を初めてトムから聞かされたとき「あの瞬間、自分の人生が決まったように思った」と感激したそうです。
そんな大切な曲が作者自身ですら好きではない曲になってしまうのは悲しいことです。

カート・コバーンの後を追うように自滅してしまうかと思われた英国の優男たちのバンドはセカンドアルバム「ベンズ」で、一発屋などと揶揄したメディアやクリープだけを欲した聴衆を返り討ちにしました。
確実にひと回りもふた回りも大きく成長したレディオヘッドは自身の根っこであるポストパンクやオルタナを取り入れたギターロックにアコースティックやサイケデリックロックの要素をも取り込んで飛躍することに成功します。
「ハイ&ドライ」「フェイク・プラスチック・ツリー」「ジャスト」「ストリート・スピリット」など次々にシングルカットされヒットを連発させ不動の人気を獲得します。

トム・ヨークの躍進のきっかけはジェフ・バックリィだったと言います。
アルバム制作に煮詰まっていた時に観に行ったジェフのライブでの驚異的な歌声に大きな衝撃を受けたそうです。
セカンドの大ヒットに続くサードアルバム「OKコンピュータ」ではさらにジャズやクラシックの要素も取り込み電子音も響かせます。
全世界で驚異的に売れてモンスター級の大ヒットとなり、このバンドは誰もが知る世界のビッグバンドとして認知されます。
以降の活躍は周知の通りです。
毎度出すアルバムは賛否ありつつも大きな話題と注目を集めながら今に至っています。

「クリープ」という曲を産み出したために栄光と葛藤があり、目の前に立ちはだかる壁を幾重も乗り越えてきたバンド。
常に知的好奇心をくすぐる興味深いバンドの原点は大学生トムが書いた「クリープ」であることは間違いないでしょう。
最近はごくまれにライブでこの曲を演奏することも増えてきたそうです。
常に新しい魅力を発揮する事で、一人歩きしていたこの曲は時代を経て再びトム・ヨークの手の中に戻ってきたのかもしれません。