【Radiohead】アルバム「OK Computer」の批評と解説。

レディオヘッドを世界一のバンドへと押し上げたアルバム

オアシス・ブラーを中心としたブリット・ポップの狂騒も一段落した1997年、イギリスの音楽シーンは混迷の時代へと突入していた。

ブラーは5thアルバム「blur」で内省へと向かい、オアシスは名盤「モーニング・グローリー」に続く3rdアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」を発表。
ザ・ヴァーヴは「アーバン・ヒムズ」で初のUKチャート一位を獲得。
ケミカル・ブラザーズとプロディジーはそれぞれ「ディグ・ユア・オウン・ホール」「ザ・ファット・オブ・ザ・ランド」という転機となるアルバムを発表しUKダンスシーンは世界へと羽ばたく。
ポーティスヘッドはカテゴライズの難しい新時代の名作「ポーティスヘッド」をリリースしトリップ・ホップシーンを躍進させた。
パンク~ポストパンク・ニューウェーブ~セカンド・サマー・オブ・ラブ~ブリット・ポップと続いてきたUKギターロックの系譜と、ニューウェーブから派生したエレクトロミュージックの融合がそこかしこで発生し、空位となっている「新時代UKシーンの王座」に誰が座ることになるのか世界中のリスナーが注目していた。

押し出されるようにして王座に座ったのは「OKコンピューター」で新たなギターロックを描いてみせたレディオヘッドだった。
1stアルバム「パブロ・ハニー」こそニルヴァーナやピクシーズといったUSオルタナティブロックを模倣した形から脱却できていなかったものの、前作の2ndアルバム「ザ・ベンズ」で確固たるオリジナリティを確立。
そしてこの「OKコンピューター」では電子音のサンプリングや「Paranoid Android」の暴力性、「No Surprises」に見られる多幸感といった要素でコールドプレイやミューズといった次代UKロックの旗手にも影響を与えた。
またレディオヘッドはこの「OKコンピューター」路線を発展的に突き詰め、無二の名盤「キッドA」を生み出すこととなる。

今回はギターロック最高峰の一枚、「OKコンピューター」を考察してみたい。

花開いた「特異点」

レディオヘッドのサウンドの特徴とは何だろうか。
繊細な歌声、複雑な楽曲構成、ジャズや現代音楽、様々なジャンルの要素を吸収した雑食性、勿論時期や楽曲によって強く出る特色は作品ごとに変わってくるが、他のギターロックバンドと確実に異なる特異点の一つに「思い切った音色」がある。

代表曲の一つ「Creep」でサビ前に炸裂するジョニー・グリーンウッドのギターノイズが顕著な例だろう。
その他にも、ギターという楽器の範疇から逸脱しようとするジョニー・グリーンウッドのギターサウンドというのはレディオヘッドというバンドの特徴の一つである。

この「OKコンピューター」でもその要素は遺憾なく発揮されており、電子的なエフェクトを掛けたトレモロプレイが光るM1「Airbag」、ディストーションギターが暴力的に空間を切り裂くM2「Paranoid Android」、M3「Subterranean Homesick Alien」ではローズピアノをバックにキーボードともギターともつかない浮遊感のある音が漂い、楽曲を彩る。
主犯は大体の場合、鬼才ジョニー・グリーンウッドである。
ジャズや現代音楽からの影響を強く受けているジョニーはデビュー以来レディオヘッドのサウンドの要としてギターに限らずグロッケン、オンド・マルトノ、パーカッションなどでも「ギターロックバンド、レディオヘッドの特異点」として印象的なプレイを行っている。
このジョニーの作り出すサウンドがレディオヘッドと他のロックバンドの比較において最も大きい特異点の一つではないだろうか。

アルバムを象徴する「Fitter, Happier」

M1「Airbag」から最終トラックであるM12「The Tourist」までアルバムを覆うのはこれ以上無いほどの皮肉と毒である。
現代を生きる私達へ向けて放たれるトム・ヨークの叫びである。
「No Surprises」は一見美しいバラードに見えてもその実は絶望と毒にまみれている。
M8「Electioneering(選挙活動)」では清き一票で世の中は変わるんだという何の力も持たない言葉を痛烈に皮肉っている。
とにかく全てが皮肉である。

“This is what you get (これがお前の得たものだ)”というM6「Karma Police」が終わると無機質なコンピューター音声と電子音、ノイズによるM7「Fitter, Happier」が始まる。

アルバム収録曲のどこを切り取っても名曲が揃っているこのアルバムにおいて、この「Fitter, Happier」は特に異質である。
歌ではなく、コンピューター音声の朗読。
それに合わせて耳鳴りのようなノイズや物悲しいピアノ、右耳で呟き続ける別の男の声が波のように寄せては返す。

朗読の内容は「現代を生きる我々の理想的な生活」について語られているものだ。

しかし、その生活はどこか味気なく、ラベルを貼られただけの作り物でしかない。

音声は無感情に続ける。
週三回はジムでトレーニングを、妄想はするな、穏やかに、健康に、幸せであれ。

そしてコンピューター音声は最後に告げる。

“a pig, in a cage, on antibiotics”

(檻の中で抗生物質漬けにされた豚)

小品のようなこの楽曲は「Paranoid Android」よりも凶悪な暴力性、「No Surprises」よりも強い偽物の多幸感、「Karma Police」よりも強い毒、そして「Lucky」よりも陰鬱な絶望に侵されている。

より良い適応、より良い幸福、酒は程々に、日曜にはスーパーで買い物と車の洗車…と語るコンピューター音声に向けて私は言い放つ。

“OK, Computer”(わかったよ、クソ野郎)

予測ではあるが、「OKコンピューター」というタイトルはこの「Fitter, Happier」への回答なのではないだろうか。

コンピューター音声に言われた通りの生活を送る男の最後の断末魔が、「No Surprises」のラストで歌われている「素晴らしい家、素晴らしい庭、不安も驚きもない生活」という幸せの裏で叫ばれるコーラスパート、

”Let me out here”

(ここから出してくれ)

なのではないだろうか。

私は、この「Fitter, Happier」こそがこのアルバムの真髄であると思っている。
そして、レディオヘッドが提示したこの病はアルバムの発売から25年近く経ったこの2022年においても良くなるどころか悪化の一途を辿っている。
海は汚され、空は汚され、貧しい国の子供たちは飢えて死んでゆく。
子供たちだけじゃない。
搾取される大人も死にはじめた。

搾取する側はどんどん巨大化し、世界を我が物顔で牛耳っている。

それでもコンピューター音声は続けるだろう。
よりよい生活と幸せについて啓蒙し続ける。
それがコンピューターによってはじき出された「正解」なのだから。

現代ギターロックの頂点へ

レディオヘッドはこのアルバムで現代ギターロックの頂点へと躍り出た。

イギリスは元より、アメリカ、日本、その他の地域でもレディオヘッドは現代ロックバンドの最高峰という評価を受け、「OKコンピューター」は彼らの代表作となった。

明るくポジティブな作品ではなく、陰鬱で皮肉な絶望に侵された作品が高い評価を受けるということ自体が現代を生きる我々の不健全さを象徴しているのだと思う。

そして、その皮肉は決してこの「OKコンピューター」で初めて姿を表したわけではない。

以前に考察したピンク・フロイドの「狂気」。
絶望的な状況を皮肉った作品はここから始まったのではないかと私は思う。

レディオヘッドはピンク・フロイドを始めとするプログレッシヴ・ロックからの直接的な影響を口にしたことはないが、「狂気」に収録されている楽曲―「Time」や「Money」「Us and Them」といった楽曲の世界観はこの「OKコンピューター」とも共通する部分があると私は感じている。
そしてピンク・フロイドが「狂気」の後に発表した「ザ・ウォール」とも。

時代に適合した名盤は多く存在する。
サウンド、歌詞の内容と「あるタイミング」が一致し、その作品は歴史的な名盤と評される。

1997年はレディオヘッドというバンドがこれ以上無いほど充実したエネルギーを放つタイミングだった。

そうして完成したこの「OKコンピューター」、

ロック史を語る上で決して無視することの出来ない名盤である。