【チャットモンチー】彼女らの歌詞に心動かされる。

懐かしい歌がききたくなるのは、どんなタイミングだろう。
たとえば、仕事帰り。
疲れた神経に、孤独を突きつける夜風。
新しいサウンドやリリックを受け入れる心の余白が残っていないとき、昔飽きるまできいた曲のフレーズがふと頭をよぎる。
iPhoneの中にしまい込んだ歌たちを引っ張り出す。

先日、久しぶりにチャットモンチーをきいた。
仕事帰りの車の中で。
年単位で耳にしていなかった曲でも、ひとたび流れ出せば一緒に口ずさめるくらい、私の中に染み込んでいた。
チャットモンチーの独特な世界観。
絶妙に間の抜けたような、でも核心をついてくる言葉たち。
その日そのとき空いていた心の隙間にぱちっと嵌まる感覚があって、うれしくてちょっと泣きながら家に帰った。

チャットモンチーは、私が小学生のころ友達の影響で知った。
初めてCDを買ってきき込んだバンドだ。
テレビをあまり観ない家庭だったので、バンドはチャットモンチーしか知らない、という時期さえあった。
今でも私の中でオンリーワンの存在として輝きつづける理由は、その「歌詞」にあると思う。
2018年7月の「完結」から、気づけば3年以上が経っている。
新しい曲はもうきけない。
でも、今までの曲が古くなる気配も全くない。
おすすめしたい曲がいくつもあるので、特に思い入れの深い楽曲について話してみたい。

背伸びして見るオトナの世界

前述したとおり、出会った当初の私は小学生だった。
チャットモンチーの曲にはお洒落な曲も多くて、年の離れたオトナのお姉さんの話を聞いているような感覚があった。

『ツマサキ』に描かれている、小柄な私と長身の彼のちょっと背伸びな恋。
それはちょうど、チャットモンチーと私の距離感に近い。

ヒール高い靴をはいて/あなたの隣 しゃなりしゃなり/ペディキュアの蝶々 見えるかしら

当時11歳か12歳の女の子で、同級生の男子に絶賛片想い中だった私には異世界をのぞくような歌詞だ。「ペディキュアって何?」と親にたずねた記憶がある。

『8cmのピンヒールで駆ける恋』も同様に、「私もいつかはこんな感じになるのかなぁ」と思いながらもピンと来てはいなかった。
わからないなりにも楽しくきけていたのは、ドラマティックなしたたかさのある言葉選びで情景が浮かんでくる気がしたから。

月を見て綺麗だねと言ったけど/あなたしか見えてなかった/あの光はね/私たちの闇を照らすため/真っ黒の画用紙に空けた穴

近いようでやっぱり少し遠かったのは『サラバ青春』という曲。
特に好きな曲で、繰り返しきいていた。
「卒業式の前の日」の高校生の目線で書かれた歌詞は、小学校の卒業式が近い12歳の私にもしっかりと重なった。

汗のにおいの染みついたグラウンドも/ロングトーンのラッパの音も「さようなら」って言えそうにないなあ

それでもやっぱりわからなかったのは「僕らの青春もサラバなのだね」という感慨。
高校の卒業は子どもからの卒業、大人になることを意味する。
小学校は卒業で今度は中学生だね、という卒業とは別物の感情が湧いてくることを、子どもの私はまだ知らない。
それでも同じ「卒業」というテーマが妙に生々しく感じられて大好きな1曲だった。
まだまだひよっこの私には、わからない内容もたまにはあった。
でも、わかるように共感できるように説明してくれればいいのに、とは思ったことはなかった。
知らない世界を想像で補って、背伸びして覗いて「いつか私もこんな気持ちになるのかな」なんて思う。
そんなきき方ができる、彼女たちの世界から語られる言葉が好きだった。

すぐ隣にいる、と思える親近感

それでも私にとってのチャットモンチーは、知らない世界にいるお姉さんなんかじゃなかった。
すとんと心に落ちて来る歌、すぐ隣にいるような近さを感じる歌詞があったから、ずっときいて来られたと思う。

『ミカヅキ』という曲は、カラオケで本当に良く歌った。
中学生のころ、歌うことが好きでお小遣いをもらってはよくカラオケに行ったが、そのたびに必ずこの曲を歌っていた。
一緒に行った友達はまたかという顔をしてきいていた。

ミカヅキになりたい/悲しみのかけらを持たない/幸せなあなたになりたい

きいていて楽しくなるような歌ではない。
ため息みたいな曲だ。
さびしさとか、悲しみの中に横たわっている自分。
夜空に大きくかがやく光をみて「ミカヅキになりたかった」とこぼす。
子どもにわかるのか、と疑問に感じるだろうか。
わかるのだ。
どこに共鳴するかは人それぞれとしても、子どもはその心にしっかりと薄暗い部分を抱えている。
だいたいの大人は子どもの心の穴をナメているけれど、そこを見落とさないでほしい。

落ちていく自分に 紺の絵の具を足して/ぐちゃぐちゃにした

この歌詞に心が震えるほど共感してしまうのが、子どもの私だった。

『湯気』は、今きいても懐かしく自分の子ども時代と重ねられる歌だ。
塾通いをしている女の子と、塾と、憧れている男の子と。

寒い冬の日はストーブつけて/チンプンカンプンの数学/先生はうたた寝

歌詞に描かれる情景が、自分が通っていた個人塾の教室の風景で再現されていく。
算数が苦手だった私は、前の席に座っていた男の子に分数の解き方を教えてもらった。
冬はやっぱりストーブを焚いて、教室の扉を開けると灯油のにおいがしていて――

あの人ポツリと来なくなった/渡しそびれた赤いお守り/かばんの底で待ち焦がれていたのに/もう春が来る

1曲が物語のような構成で、女の子の淡い恋模様が描き出されている。
短編小説を読むような気持ちで、知らない人は一度きいてみてほしい作品だ。

2人のまなざしが背中を押す

チャットモンチーの歌詞の一番の魅力は、まっすぐなパワーにあると思う。

『満月に吠えろ』のMVを観たときの安堵感はいまだに覚えている。
2人体制になって初めて発表されたこの曲は、私の待っていたチャットモンチーだった。
かっこよくて、あったかくて、楽しそうに音楽をやっていて。
加えて、さらなる強さと覚悟をもって戻ってきてくれたように感じた。

満月に吠えろ この歌をとめるな

これは2人の決意表明の歌だ。
ここからの2人は「完結」まで、全力で音楽を楽しみ、知恵を絞ってやりたいことを叶えていった。
それを見ていた私は、今でもこの歌をきくと2人に背中を押されている感覚になる。

『ドライブ』という曲も、チャットモンチーの決意に勇気づけられる歌だ。

ぼくらは車を買って作戦をたてた/「まっすぐに突き抜けよう/その先になにがあっても 目を閉じないでいよう」/約束をのせてドライブ

新しいことを始めるときは誰もが不安だ。
そんなとき、この歌は「約束」の言葉を私たちにもかけてくれている。

あの2人が「あっちだよ」と、道のむこうを指さしているみたいに、チャットモンチーのまっすぐな言葉が、私たちに前を向かせてくれる。
私にとっては、彼女たちほど「よく効く」応援歌をつくったアーティストは他にいない。

チャットモンチーは、永遠にオンリーワンのバンド

彼女たちに出会ったとき子どもだった私も、今は大人になった。
チャットモンチーは「完結」して、メンバーたちはそれぞれの新しい物語を始めている。
新しい世界を見せてくれた。
つらいとき隣にいてくれた。
未来に不安がよぎるとき、背中を押してくれた。
これまで歩いてきた道にずっといてくれたチャットモンチーの音楽を、私はこれからも手離さないだろう。
音楽の消費のしかたも大きく変化し、新旧のあらゆる作品がインターネット上に並ぶようになった。
日々生まれる「バズった」話題やコンテンツの数々はカラフルだけど、全部拾わなくてもいい。
それより、愛するものにまっすぐ大好きと言おう。
彼女たちの歌が、絶えずそれを伝えてくれているように。