Cocco「7th floor」歌詞の意味を考察|“7階の君の部屋”が示す記憶と別れ

cocco 7th floor 歌詞 意味」で検索している人が気になるのは、タイトルの“7階”が指す場所、反復される「君の部屋」「海」、そして突然差し込まれる海外の固有名詞が、いったい何を語っているのか…という点だと思います。
この記事では、歌詞を“物語”として追いながら、制作背景(沖縄の「ある建物の7階」体験がモチーフ)も踏まえて、私なりの解釈を整理します。※解釈は唯一の正解ではなく、受け取り方の一案です。


「7th floor」の基本情報(収録作品・リリース日・制作背景)

「7th floor」は、Coccoの13枚目のアルバム『ビアトリス』収録曲で、発売日は2024年2月14日。アルバムのトラックリストでは10曲目に配置されています。
背景として大きいのが、楽曲が沖縄に実在する“ある建物の7階”での青春時代の出来事をモチーフにしていること。さらに、2020年に予定されていたライブハウスツアーのため、リハーサルを重ねる中で制作された…という経緯も報じられています。
MVは2024年3月20日0時にプレミア公開され、デビュー前のオーディション映像など“当時の記録”が使われた点も象徴的です。


歌詞をざっくり要約: “7階の君の部屋” から始まる物語

歌詞は、繰り返し「7階の君の部屋」へ戻っていきます。そこは“海が見える場所”であり、主人公にとっての始まりの座標
けれど同時に、その部屋から「灯が消えた日」を境に、主人公は「難解な君の歌から自由になった」と言う。
中盤以降は、天候や花が散るイメージ、そして「会いたい人に会えたかな? ありがとうって言えたかな?」という自問が重なり、“過去に置いてきた誰か”と“今の自分”の距離が浮かび上がってくる構造です。


「灯が消えた日」「自由になった」──別れと解放は何を指す?

ここが「7th floor」の核心だと思います。
「灯が消えた日」は、直球に読めば別れ・喪失・終わり。恋人との終焉でも、友人関係の断絶でも、あるいは“青春の終わり”でも成立します。
一方で続く「難解な君の歌から自由になった」が強烈で、これは“君”が放つ言葉(価値観/世界の見方)に、主人公が長く囚われていたことを示唆します。読み解けないまま、でも惹かれてしまう――その引力が、終わりによって断ち切られた。
だからこの曲の「自由」は、爽快さだけじゃなく、痛みを含んだ解放なんですよね。「自由になった」と言い切るほど、そこに縛りがあったから。


「フロリダのグレープフルーツ」「シアトルのレインブーツ」など固有名詞の意味

この曲の固有名詞は、いわば**“記憶のスライド”**みたいに突然出てきます。

  • フロリダのグレープフルーツ:酸味・果汁・はじける感触。青春の眩しさや、勢いよく壊れてしまう時間を“味覚”で呼び戻す装置に見えます。
  • シアトルのレインブーツ/グランジ:雨の街シアトル、そしてグランジ文化の連想が重なり、明るさだけじゃない“90年代の陰影”が差し込む。そこに「スーサイド」という語が添えられることで、青春の危うさや、当時の痛みが一気に濃くなる。

つまり固有名詞は、地理の説明というより、感情の温度を一瞬で変えるスイッチとして機能しているように感じます。


「自分を責める理由にしないで」:痛みを抱えたまま前へ進むメッセージ

雨、冷たい風、ばらが散る――世界がしんどい方向へ傾く描写のあとに、「全てを 自分を責める 理由にしないで」と釘を刺す。
ここ、私は“君への言葉”でもあり、“自分への言葉”でもあると思います。

  • 世界が悪い日でも、状況が最悪でも、それを根拠にして自分まで否定しない
  • うまくいかなかった出来事を、全部“自分のせい”に回収しない

この一行があることで、「7th floor」は失恋(喪失)の歌で終わらず、再生の歌へ踏みとどまります。


“沖縄のある建物の7階”というモチーフ:海・青春・記憶の場所性

報道では、この曲が沖縄の“ある建物の7階”での体験をモチーフにしているとされています。
だから冒頭の「海を見てた」は単なる情景じゃなく、かなり具体的な“場所の記憶”なのかもしれません。

7階という高さも絶妙で、地上の生活圏から少し浮き、でも空へ突き抜けるほど高くはない。
その“中途半端な高さ”が、**青春の宙づり感(戻れないけど、まだ降りきれない)**と響き合っているように見えます。


MVの演出が補強する解釈(デビュー前映像/オーディション映像が重なる理由)

MVが効いているのは、「過去を歌っている曲」に「過去の実映像」を重ねている点。デビュー前のオーディション映像や未公開のオフショットが使われたことが明かされています。
つまり「君の部屋=過去の座標」だけでなく、“過去の自分”そのものが7th floorに立ち返っている
歌詞の「会いたい人に会えたかな?」「ありがとうって言えたかな?」という問いが、MVによって“当時の自分に問いかける声”にも聞こえてきます。


初披露〜音源化まで:ライブで育った「7th floor」の歩み

時系列を整理すると、だいたいこういう流れです。

  • 2020年:ライブハウスツアーで演奏するため、リハの中で制作
  • ツアーは中止 → 代替の配信ライブで初披露
  • 2021年:その初披露の模様が、アルバム『クチナシ』初回盤付属DVDに収録されたと報じられる
  • 2022年:ツアー映像(TOKYO DOME CITY HALL公演)でも「7th floor」が演奏曲として記載
  • 2024年2月14日:待望のスタジオ音源として『ビアトリス』に収録

“現場で生まれて、現場で鳴らされ、やっと定着した曲”という背景を知ると、歌詞の「同じ景色」「もう戻れなくて」が、より現実味を帯びてきます。


まとめ:この曲を読む(聴く)ときの3つの視点(私の解釈)

最後に、「cocco 7th floor 歌詞 意味」を考えるときに効く視点を3つにまとめます。

  1. “場所”としての7th floor:海が見える部屋=始まりの座標。戻れない過去を、座標だけは覚えている。
  2. “君の歌”=君の世界観:理解できないほど惹かれた相手(あるいは過去)から、痛みを含んで離れる物語。
  3. 固有名詞は“記憶の破片”:フロリダ/シアトル/グランジが、青春の眩しさと影を同時に運んでくる。

この曲は、喪失を美談にせず、でも絶望にも沈まず、**「自分を責める理由にしないで」**と、静かに現実へ戻してくれる歌だと思います。