My Hair is Bad「超やばい猫でごめんね」は、別れを受け入れようとしながら、どうしても相手を手放せない男性の未練を描いた楽曲です。
2026年9月9日に発売された7thアルバム『cats』の1曲目に収録されています。
タイトルだけを見ると、少しコミカルな曲にも思えます。
しかし歌詞の中で描かれているのは、「幸せになってほしい」と願う気持ちと、「自分のことを忘れないでほしい」という身勝手な本音がぶつかり続ける、かなり切実な別れです。
そして重要なのが、タイトルにある「猫」。
なぜ「超やばい元カレ」ではなく、「超やばい猫でごめんね」なのでしょうか。
歌詞を追っていくと、この“猫”こそが主人公の本当の姿を象徴しているように見えてきます。
今回はMy Hair is Bad「超やばい猫でごめんね」の歌詞の意味を考察します。
「超やばい猫でごめんね」はどんな曲?
この曲の主人公は、恋人と別れたばかりの男性だと考えられます。
彼は相手に対して、表面上はきれいな別れを演じようとしています。
もう会えなくても幸せでいてほしい。
元気でいてほしい。
これ以上邪魔はしない。
そう言おうとするのです。
ところが、その直後には必ずと言っていいほど本音が顔を出します。
自分を簡単に忘れてほしくない。
二人で行った店に別の男性と行ってほしくない。
写真も思い出の品も残しておいてほしい。
つまり主人公は、「別れたのだから相手の人生に口を出す資格はない」と頭では理解している一方で、感情ではまったく納得できていません。
この矛盾こそが、本作の中心にあります。
「幸せでいてほしい」は半分だけ本当
失恋ソングでは、別れた相手の幸せを願う言葉がしばしば登場します。
しかし「超やばい猫でごめんね」の面白さは、その美しい言葉を主人公自身がすぐに壊してしまうところです。
もちろん、彼女に不幸になってほしいわけではないのでしょう。
幸せでいてほしいという気持ちは本物です。
ただし、
自分のことを忘れて幸せになるのは嫌だ。
そんな厄介な条件がついている。
ここに主人公の未練が凝縮されています。
別れた恋人に新しい人生を歩んでほしい。
でも、その人生の中に自分の痕跡だけは残しておいてほしい。
完全に手放すことも、取り戻すこともできない。
だから主人公は、格好いい別れの言葉とみっともない本音の間を行ったり来たりしています。
なぜ「元カレ」ではなく「猫」なのか
この曲最大のポイントは、やはり「猫」という比喩でしょう。
歌詞では主人公が、恋人と付き合っていた頃には本来の自分とは違う姿を演じていたことが示されています。
ここで対比されているのが「犬」と「猫」です。
一般的なイメージとして、犬には素直さ、忠実さ、人懐っこさがあります。
一方の猫には、気まぐれさ、自由さ、警戒心、そして少し扱いづらい性質があります。
主人公は恋人の前で、愛されやすい「犬」のような自分を演じていたのかもしれません。
しかし彼女は、その表面だけを愛したわけではなかった。
その奥に隠れていた、面倒で、不器用で、素直になれない「猫」の部分まで知ったうえで受け入れてくれた。
だからこそ別れが苦しいのです。
単純に「恋人を失った」のではありません。
自分の本当の姿を知り、それでも愛してくれた人を失った。
主人公にとって彼女は、代わりの見つけにくい存在だったのでしょう。
「鈴」が象徴する彼女の存在
猫のイメージとともに重要なのが「鈴」です。
飼い猫の首につけられる鈴を考えると、このモチーフには「誰かに愛され、居場所を与えられていた記憶」が重なります。
恋人と過ごしていた頃、主人公には帰る場所があった。
自分の扱いづらい部分まで受け止めてくれる人がいた。
しかし別れたことで、その居場所はなくなりました。
それでも首元には、まだ彼女の存在を感じている。
もちろん実際に鈴があるという意味ではないでしょう。
二人で過ごした時間、癖、記憶、価値観。
そうしたものが身体に染みついていて、恋人がいなくなったあとも消えてくれないのです。
人と別れても、その人と過ごした時間まで瞬間的に消えるわけではありません。
むしろ別れた直後ほど、何気ない日常の中で相手の痕跡に気づかされます。
この「鈴」は、そんな消せない記憶の象徴だと考えられます。
主人公は自分が「やばい」とわかっている
この曲の主人公は、無自覚に相手へ執着しているわけではありません。
むしろ、自分の言っていることが身勝手であることをかなり正確に理解しています。
もう恋人ではないのだから、相手が誰とどこへ行こうが自由です。
写真を消すのも、思い出の品を処分するのも自由。
新しい恋人を作るのも当然です。
主人公も、それはわかっています。
だからこそタイトルには「ごめんね」が入っているのでしょう。
自分でもおかしいとわかっている。
迷惑だともわかっている。
それでも感情を止められない。
この**「自覚のある未練」**が、「超やばい猫でごめんね」という少しふざけたタイトルを、非常に切ない言葉へ変えています。
彼女はすでに別れを決めている
一方で、相手の女性の態度は主人公とは対照的です。
主人公は何度も感情を揺らしていますが、彼女は最後まで別れを撤回しません。
特に象徴的なのが、主人公の部屋から出ていく場面です。
彼は、もしかすると最後の最後まで期待していたのかもしれません。
振り返ってくれるかもしれない。
何か言ってくれるかもしれない。
もう一度やり直せるかもしれない。
しかし彼女は前へ進んでいく。
そこで主人公も、ついに理解します。
この別れは本当に終わったのだ、と。
恋愛において最も苦しい瞬間の一つは、自分にはまだ気持ちがあるのに、相手の中ではすでに結論が出ていると知った瞬間です。
本作では、その残酷な温度差が非常にリアルに描かれています。
「男性的なファイル別」が示す忘れ方の違い
終盤には、恋愛の記憶の残し方について男女を対比するような表現も登場します。
一般によく語られる恋愛観として、女性は過去の恋愛を「上書き保存」し、男性は「名前を付けて保存する」という比喩があります。
もちろん実際の恋愛は性別だけで単純に分類できるものではありません。
この曲でも重要なのは男女論そのものではなく、主人公が彼女との記憶を消すつもりがまったくないことでしょう。
新しい恋をしても、別の人生を歩んでも、彼女との時間だけは独立した記憶として残しておきたい。
しかし、その発言さえ最後にはきれいな思い出話では終われません。
主人公は結局、納得したふりをしながら納得できていないのです。
最後まで続く「本音」と「建前」
「超やばい猫でごめんね」は、最初から最後まで建前と本音がぶつかり続ける曲です。
幸せでいてほしい。
でも忘れないでほしい。
もう邪魔しない。
でも本当は離れたくない。
ありがとう。
でも、これで終わりになんてしたくない。
人は別れの瞬間、必ずしも美しい言葉だけを抱えているわけではありません。
好きだからこそ相手の幸せを願い、好きだからこそ自分以外の人と幸せになってほしくない。
その矛盾をきれいに整理しないまま描いているからこそ、この曲にはMy Hair is Badらしい生々しさがあります。
「超やばい猫」は愛された自分自身
タイトルの「猫」は、単にかわいらしいモチーフではありません。
恋人の前で取り繕っていた主人公の奥にいる、本当の自分。
面倒で、寂しがりで、素直ではなく、手放されると相手を追いかけたくなってしまう自分。
それが「猫」なのではないでしょうか。
そして彼女は、その猫を知っていた。
表面上の格好いい自分ではなく、情けなくて扱いづらいところまで受け入れてくれた。
だから主人公は、普通の失恋以上に彼女を忘れられません。
「超やばい猫でごめんね」というタイトルは、
「こんな面倒な本当の自分まで愛してくれていたのに、最後まで面倒なままでごめん」
という別れの言葉にも聞こえます。
まとめ
My Hair is Bad「超やばい猫でごめんね」は、別れた恋人を忘れられない男性の感情を描いた失恋ソングです。
主人公は相手の幸せを願おうとしますが、そのたびに「忘れないでほしい」という本音が漏れてしまいます。
そしてタイトルにある「猫」は、主人公が隠していた本当の性格の象徴だと考えられます。
彼女は、その面倒で不器用な部分まで理解して愛してくれた。
だからこそ、主人公にとって彼女との別れは簡単に処理できるものではありません。
頭では終わったとわかっている。
相手が前へ進んでいることもわかっている。
それでも心だけが、その場所に取り残されている。
「超やばい猫でごめんね」は、そんな別れを理解しているのに受け入れられない人間の未練を、ユーモアと痛々しいほどの本音を交えながら描いた一曲なのではないでしょうか。


