【歌詞の意味】sumika「本音」に込められた“本当の気持ち”とは?青春と葛藤の応援歌を徹底考察

「“本音”を言いたくても言えなかった」、あるいは「いつか言おうと思っていたけど、結局言えずに時が過ぎてしまった」――そんな気持ちを胸の奥に抱えている人は、少なくないはずです。4人組バンド sumika が、2021年1月6日にリリースした両A面シングル『本音/Late Show』。その表題のひとつ「本音」は、スポーツの応援歌として、青春の一瞬として、そして「本当の自分/本当の気持ち」へと向き合う歌として、多くの人の心に響きました。
この曲がどんな思いで生まれ、歌詞にはどんな意味が込められているのか。そして、サウンドやミュージック・ビデオ(MV)の表現はどのように「本音」を映し出しているのか。この記事では、「本音」というキーワードを軸に、歌詞の意味を深掘りしていきたいと思います。


1. sumika「本音」とは?――高校サッカー応援歌の背景とリリース情報の整理

「本音」は、まず大きな背景として、 第99回全国高校サッカー選手権大会 の応援歌として書き下ろされた楽曲です。バンド側もこの大役に対して、「本当に僕たちで大丈夫ですか?と思うくらいびっくりしました」という驚きを込めて話しています。
リリース形態としては、2021年1月6日発売の両A面シングル『本音/Late Show』。先行デジタル配信は2020年12月9日から行われました。
また、MVはスタジアムでの撮影が行われ、スポーツ感/青春感を強く演出しています。撮影場所は、群馬の「正田醤油スタジアム群馬」。雨の中、メンバーが互いの腕を掴んで歌うシーンなど、映像的にも“応援歌”の力強さを感じさせるものとなっています。
このように、「本音」は特定の大会と結びついた曲でありながら、「高校生」「仲間」「本気」というテーマを含んで、幅広く共感される楽曲となっています。例えば、雑誌インタビューでは「スポーツを題材としながら、人生のすべての局面に当てはまる普遍的なテーマが美しいメロディにのせ歌われている」との指摘もあります。
この背景を理解することで、次の歌詞解釈へとスムーズにつなげられます。


2. 歌詞の意味:〈君と後悔より先へ〉が示す“本音”と青春の葛藤

歌い出しの歌詞は「ああ 辞めちまおうかな 一人こぶしを握って爪が刺さった/ああ 辞めたくないよな 本音はいつも君と肩を組んだ後」など、迷いや葛藤がそのまま言葉になっています。
この「辞めちまおうかな」「辞めたくないよな」という二つの感情の対比には、挫折と向き合ってきた“リアルな本音”が映し出されていると考えられます。インタビューでも、Vo/Gtの片岡健太氏は「高校時代に一生分の後悔をして・・・それを回収したいと思える、自分の中の黒歴史のようなものを肯定していくことを、長い時間かけてやっている感覚」と語っています。
また「君と後悔より先へ」「走れ走れ走れ 涙より早く」というフレーズには、「ただ悔しさを抱えて立ち止まるのではなく、悔しさよりも速く/悔しさよりも先に動いていこう」というポジティブな意思が込められているようです。歌詞サイトにも同様に「走れ走れ君と夢見たその未来へ」という表現があります。
このように、青春の“挫折”や“迷い”――例えば、「本当はやめたい」「でもやめたくない」「だからこそ本音を言いたい」という揺れ動く感情。それを「君(仲間)と一緒に」「後悔より先に」という視点で歌うことで、「本音」は単なる個の叫びではなく、共有された青春の瞬間を描く歌となっています。


3. 注目フレーズ徹底解説:〈ああ辞めちまおうかな/辞めたくないよな〉に込めたメッセージ

このセクションでは、特に印象的なフレーズをピックアップして、その意味合いや背景を深掘りします。
まず、「ああ 辞めちまおうかな 一人こぶしを握って爪が刺さった」。ここには、思い通りにいかない日々、自分自身に対する苛立ち、あるいは限界を感じてきた自分の姿が浮かびます。歌詞サイトによればこの歌い出しがそのまま掲載されています。
次に、「ああ 辞めたくないよな 本音はいつも君と肩を組んだ後」。ここで「本音」が初めて明示されています。つまり、自分の中の“やめたい”という弱さを越えて、仲間と肩を組んだ“後”にこそ――“辞めたくないよな”という本音が出てくる、という構造です。仲間との関係や共有体験が、“本音”を引き出す契機になっているのです。
さらに「ありふれた言葉でも『大丈夫 大丈夫』共に行こう/ありふれた言葉だけど『ありがとう ありがとう』本音だから」。この“ありふれた言葉”にこそ、言いづらかった“本当”があるという逆説的な構造が面白いところ。たとえば「ありがとう」は照れくさくて言えないけれど、歌なら言える——というバンド側のコメントもあります。
これらのフレーズを通して読み取れることは、「本音=照れくさいけど言いたい言葉」「本音=弱いからこそ強くなれる契機」「本音=仲間と共有するからこそ意味がある」という3点ではないでしょうか。特に青春期の“やめたい”“でもやめたくない”という揺れ動きと、その上で出る「大丈夫」「ありがとう」という言葉が、本音として暴かれる瞬間にこそ、この曲のエモーションが最大化されているのです。


4. サウンドとMVの表現分析:疾走感・コーラスワークが支える“応援歌”としての機能

「本音」の音楽的・映像的な表現も、この歌詞のメッセージを強めています。まずサウンド面では、バンド特有のバンドアレンジに加えて、コーラスワークや「走れ走れ」という反復フレーズが、ライブや応援場面における“一緒に走る”感覚を増幅させます。レビューでも「青春真っ只中を生きる人々のかけがえのない時間を捉え、美しく壮麗なバラードへと落とし込んでいる」と評価されています。
映像面では、MVがスタジアムで撮影されており、雨中の撮影やメンバー同士の腕を掴む描写など、まさに“スポーツ”“仲間”“本気”というテーマを視覚的に表しています。撮影を振り返った片岡氏は「初めてスタジアムのピッチで歌い、初めて雨の中で歌い楽しかったです。・・・スポーツ感もありました」と語っています。
これらを踏まると、「本音」は単に歌詞とメロディの組み合わせではなく、映像・ライブ・応援という場面とも結びついたパッケージとして機能していると言えます。“走る”“叫ぶ”“届ける”というアクションが、聴き手/観る人を巻き込みながら「本音を出そう」というムードをつくっているのです。特に、応援歌としての性格が強いため、個人の感情を超えて“仲間とともに”というスケールで響くように設計されていることが重要なポイントです。


5. 同時収録曲『Late Show』との対比から読む――“本音”のもう一つの側面

最後に、両A面シングルのもう一方の表題曲である「Late Show」との対比を通して、「本音」が持つ意味をさらに深めていきます。レビューによれば、「本音」が壮麗なバラード/応援歌なら、「Late Show」は豪快なロックチューンとして“打って変わった”アプローチを取っているそうです。
この対比構造によって、「本音」が表すのは“静かに・確かに・じっとした本気”の表現であることが浮かび上がります。つまり、叫ぶこと・動くこと・声を出すことだけが“本音”ではない。静かな覚悟、仲間との寄り添い、そして感謝を含んだ“本音”もまた真実であると示しているのです。例えば、歌詞の中の「ありがとう 本音だから」というフレーズがその象徴でしょう。
また、インタビューでも「2020年、多くの人が人に会えない時間を過ごした。その中で人の本音が見えづらくなっていた」という背景が語られています。つまり、“本音”とは言えなかった言葉、言えないまま終わってしまった瞬間、それでも“共有”できた何か、そういうものをこの曲は掬い上げているわけです。
ですから、「本音」を単に青春ソング/スポーツ応援歌として聴くだけでなく、「表に出せなかった自分の声」「仲間に言えなかった本当の気持ち」「感謝や覚悟」を改めて思い返すきっかけとして捉えることもできます。そういう意味で、Late Showとのコントラストは、「本音」が持つ静かな強さを深めてくれる相棒的存在と言えそうです。