indigo la Endが2020年にリリースした楽曲「邦画」。一見すると、恋愛を描いたごく普通のラブソングに見えるこの楽曲は、実は「邦画」という象徴的なタイトルのもとに、失われていく恋の記憶や、それを記録しようとする“映像”のような視点が巧みに織り込まれた詩世界を持っています。
本記事では、この曲の歌詞に込められたメッセージや構造、表現手法を考察していきます。
曲タイトル「邦画」が示す意味と/なぜ“邦画”という語を選んだのか
「邦画」というタイトルは、一見ジャンルを示す単語に過ぎませんが、この曲においては非常に象徴的な役割を果たしています。歌詞の冒頭で「邦画はやめとこうか/とりあえずキスをして」と歌われているように、「邦画」はそのまま“恋愛映画”の象徴であり、過去の記録や記憶としての“映像”を連想させます。
恋愛を「映画」として見立てることで、客観視する視点や、繰り返し再生される記憶の断片といった構造が自然と浮かび上がります。タイトルをあえて「恋」や「記憶」ではなく「邦画」としたことで、日本的な情緒や私的な思い出の映像感が色濃く反映されているのです。
歌詞全体のストーリー構造:〈終わる恋〉と〈残る映像〉のあいだ
「邦画」は、恋が終わる瞬間の痛みや寂しさを描いていますが、それをただの感情としてではなく、まるで映画のワンシーンのように淡々と、しかし美しく描写しています。
「動画で残したって/いつかは切なさと一緒に消えるんだから」という一節に象徴されるように、記録することの儚さや限界がテーマとなっており、どれほど鮮明に残した記録も、やがて意味を失っていくことが示唆されています。
この構造は、まさに「邦画」=一つの恋愛映画の終幕のような感覚を生み出しています。
キーフレーズの分析:〈泣いたり笑ったり〉〈今だけが華やぐ〉〈思い出と私は違う〉
本楽曲には、特に印象的なキーフレーズがいくつか登場します。その一つが「泣いたり笑ったり」という表現。これは日常の揺らぎや感情の波を表すと同時に、恋愛という感情の多面性を端的に示しています。
さらに「今だけが華やぐ」というフレーズは、恋愛の一瞬の輝きが永遠ではないこと、そしてその一瞬にこそ意味があることを強調しています。
そして特に象徴的なのが「思い出と私は違う」という一節。これは、すでに過去となってしまった「思い出(=恋)」と、それを生きている今の“私”とが乖離してしまっているという切ない感情の表れです。
映画的メタファーと音楽/形式としての“反復”の演出
「邦画」は、歌詞の内容のみならず、その構造や音楽的展開においても「映画的な構造」を感じさせます。イントロからアウトロに至るまでの流れは、一つの物語(=恋愛)をなぞるような展開を持ち、繰り返されるフレーズが“回想”や“再生”といった印象を与えます。
「大失敗で幕開け」という歌詞に始まり、何度も同じような日常を繰り返す中で恋が終わっていく様子は、まるで“恋愛映画”のワンシーンの繰り返しのよう。視覚的なイメージと音楽的反復を巧みにリンクさせた手法は、indigo la Endならではの叙情性を際立たせています。
聴き手へのメッセージ:記録すること、残すこと、そして“今”を生きるという選択
「邦画」は、「映像として記録される恋」という比喩を通して、現代における恋愛の在り方や、記憶・記録への執着を静かに問いかけてきます。
スマホで何でも記録できる今だからこそ、記録には残らない“今”をどう生きるかという選択が浮き彫りになります。たとえ写真や動画を残しても、それが本質的に“恋そのもの”を保存できるわけではないという現実。
この曲は、そうした虚しさや儚さを認めながらも、「今だけが華やぐ」と歌い上げることで、“今を生きる美しさ”を私たちに優しく教えてくれます。
まとめ|Key Takeaway
indigo la Endの「邦画」は、単なるラブソングではなく、「恋愛=映画」という構図のもとで、記憶・映像・反復・そして“今”というテーマを緻密に重ね合わせた名曲です。
歌詞の奥深さに触れることで、恋愛に対する新たな視点や、自分自身の記憶との向き合い方を見つめ直すきっかけとなるでしょう。