【名前は片想い/indigo la End】歌詞の意味を考察、解釈する。

今回は、2023年にリリースされたシングル曲「名前は片想い」についてです。
作詞作曲は川谷絵音氏が手がけました。
もしまだお聴きになったことがない場合や、フルバージョンをお聴きになったことがない場合は、YouTubeや各種音楽配信サービスでお楽しみいただけますので、ぜひ聴いてみてください。

最近では、TikTok上でこの曲の音源が頻繁に使用されている印象を受けます。
また、公式のアカウントでも手遊びダンスが行われているサビ部分の動画が投稿されています。
どの形であれ、少しでも多くの人々にこの素晴らしい楽曲の魅力が伝わることを願っています。


初めてこの曲に出会ったのは、2022年11月に行われたindigo la End(インディゴ・ラ・エンド)の武道館ライブでした。
当時は歌詞の意味もわからずに聴いていたため、「indigo la End」にしては曲調が思ったよりも明るくない?と正直な感想を抱きました。
その後、おそらく同様の感想を持った人が多かったようで、

今日演奏したindigoの新曲が明るいと噂になっていますが、歌詞めちゃくちゃ暗いですよ…

と川谷絵音さん自身がツイートで言及しています。
「歌詞は非常に陰鬱な内容」ということを心に留めながら、歌詞の考察に入りましょう。


一目惚れだったよ
だから怖かったな
始まりに恋して途中を飛ばしたの

まず、この曲ではストレートに一目惚れしている「私」の心情が描かれています。

「途中を飛ばした」という表現は、内面や性格を知る前に好きになってしまった、いわゆる王道的な展開を飛び越えてしまったことを意味しているようです。

内面や性格を知る前に一目惚れしてしまったため、「怖かった」と感じているのでしょう。

なぜ好きになることが怖いのか、その理由については詳しくは明かされていませんが、おそらく感情の奔流や未知の要素による不安や心配が関係しているのかもしれません。

あなたと私混ざれないのかな
偶然色が同じなだけ
たったそれだけでバツが悪いの
知っちゃった

この歌詞では、「色が同じ」ことが「混ざれない」という意味を持っています。

例えば絵の具の色で言えば、青と黄色を混ぜると緑色になりますが、青と青を混ぜても青のままで変わらないですよね。

この場合、同性同士の関係性や既婚者同士の関係性など、何かしらの理由や障壁があることが分かります。

ミュージックビデオでは、女の子同士の恋愛が描かれているようです。

そのため、好きになることが「怖かった」のです。

「バツが悪い」とは、居づらい、場違い、気まずいという意味です。

同じ属性を持っているだけで恋に落ちてしまう自分が、場違いであることや気まずさを感じてしまうのでしょう。

最近はLGBTQに対する社会的な理解も広がってきているとは思いますが、それでも法的な問題やマイノリティであることによる困難さや生きづらさが存在します。

そのため、「私」は「バツが悪い」と感じているのです。

そして、ここからサビへと続きます。

曖昧な関係の名前は片想い
賢くなった私って誰
そうやって縛った
いつも通りのこと
私らしく生きるより
あなたらしく生きて欲しいから
バイバイ

この曲は、音だけ聴くと明るめな印象を受けますが、実際の歌詞は非常に切なく感じられます。

「賢くなった私」とは、自分の真実の感情(恋愛対象としての好意)を抑えて冷静な振る舞いをする「私」のことを指しているのかもしれません。

あるいは、恋愛対象に自分の気持ちがバレないように振る舞っている「私」のことかもしれません。

感情を抑え込んでいる「私」は「誰?」と自問しています。
自分自身が見失われていて、他人同然の存在になってしまっているのです。

それにもかかわらず、「いつも通り」「そうやって縛った」と歌われています。

これは、「あなたらしく生きてほしいから」という願いが込められています。

「私」は、「私らしく生きる」ということではなく、好きになった「あなた」が幸せになるための道を選び続けてほしいのです。

そのために、「バイバイ」と別れを告げることで、「あなた」の幸せを最優先に考えているのです。

この切なさや辛さが伝わってきますね。
絵音さんは本当に天才です。

ここから2番へと続いていきます。

いつも悲しいけど
明るく歌ったよ
わかって欲しいけど
わかって欲しくもない

この曲自体も同じような要素を持っています。
悲しい歌詞が明るい曲調に乗せられて歌われています。

一方で、「わかって欲しい」という願望や共感を望む気持ちもある一方で、他人に理解されたような振りをされて心無い同情をされるくらいなら、「わかって欲しくもない」と思ってしまう矛盾した感情が描かれています。

これは非常に人間らしい矛盾と言えるでしょう。

どんな溜め息も見逃さないと
社会の空気が言い出した
正しさの矛
たまに痛いよ

この曲は、最近のSNSの影響が歌詞に反映されているように感じられます。

最近のSNSでは、たとえ少しの不満や愚痴をつぶやいただけでも、「見逃されない」というように、「正しさの矛」という形で正論コメントが飛んでくることがあります。

しかし、その正論の方が心の傷にずっしりと刺さることから、「痛い」と感じるのです。

正しいことが必ずしも正義であるのでしょうか?

自分が持つ「正しさ」を他人に押し付けることが、本当に正しい行為なのでしょうか?

このような疑問が投げかけられています。

問題ない関係で悩んだりしないから
賢くなったつもりにならないで
そうやって縛ってしまって片想い
生きていくためのリアル
あなたはあなたらしく生きたの?今日も

「問題ない関係で悩むことはない」ということは、実際には問題のある関係なのかもしれません。

おそらく、一般的には世間で認められにくい関係にある2人なのでしょう。

「賢くなったつもり」とは、感情を抑えて冷静な態度を装っている「私」のことです。

結局のところ、その感情は隠し切れないのです。

波風を立てずに「リアルな生き方」をするための術として、「賢くなる」ことがあります。
つまり、自分の感情を抑えて生きることです。

最後の一文には、疑問と羨望が混ざっています。

「あなたはあなたらしく生きているのか?」という疑問です。

「私」に見せられている「あなた」は、本当に「あなたらしく」生きているのでしょうか。

実は、「私」と同じように本音を隠して生きているのかもしれません。

この疑問が浮かんできます。

または、「あなた」が「あなたらしく」生きている様子に羨望を感じます。

「私」は「私らしく」生きることができていないからです。

こうした対比から生まれる羨望です。

この一文は、さまざまな解釈ができる素敵な歌詞ですね。

絵音さんはやはり天才ですね。

そして、物語はラストに向かって進んでいきます。

曖昧な関係の名前は片想い
賢くなった私って誰
そうやって縛った
いつも通りのこと
私らしく生きるより
あなたらしく生きて欲しいとか
強がってしまったの
本当は崩れ落ちそうで
飛んでった理性を取り戻したいのに
身体はやけに正直
私らしく片想いに乗せて歌った

前半は1番サビと同様の内容ですが、特筆すべきはその後半部分です。

ここで「私」はついに本音を打ち明けます。

「あなたらしく生きてほしいとか、強がってしまったの。本当は崩れ落ちそうで」と歌われています。

これまで「私らしく生きるよりもあなたらしく生きてほしいから、バイバイ」と歌ってきましたが、実はそれは強がりでした。

本当は別れたくない。嫌だ!
これが本当の「私」の気持ちです。

「飛んでった理性を取り戻したいのに」という部分は、「賢くなった私」を指しています。

理性がある状態=賢い「私」=本音を抑えることができる状態です。

しかし、今はそれが崩れてしまって、「身体はやけに正直」になっています。

おそらく、無意識的に「あなた」を求めてしまっているのでしょう。

しかし、関係は曖昧なままであり、「私」は片想いに乗せて歌っているのです。

結局、この曲の中では曖昧な関係から抜け出すことはできていないのです。

何とも切ない歌詞ですね。
音楽と相まって、美しさの中に辛さが感じられます。

一般的なラブソングだったら、落ちサビで「私」が行動に移したりすることもありそうですが、これが川谷絵音さんらしいスタイルなのでしょう。

MVの終わり方からも、今後の2人の関係に含みがあり、どうなるのかという期待が感じられます。

個人的な意見としては、おそらくこのまま2人は「混ざる」ことはないのだろうと感じます。
切ないですが。


この曲は、曲調が明るいのに対して歌詞が暗いです。

「私」のように、明るく振る舞いながらも内面では暗い感情を抱えていることを表現しています。

川谷絵音さんの曲には、二面性や矛盾性が含まれていると感じられる部分がありますね。