1. 「薄明」(crepuscular)の語源とタイトルに込められた意味とは?
「薄明」という言葉は、夜明け前や日没後の、まだ完全に暗くはないが、太陽が地平線の下にあるために空がかすかに明るい時間帯を指します。英語では「トワイライト(twilight)」、そしてこの楽曲の英題は「crepuscular(クレパスキュラー)」とされています。
この単語には、物理的な「明るさと暗さの間」という意味以上に、「終わりと始まりが交錯する曖昧な時間」という象徴的な意味合いも含まれます。KIRINJIの堀込高樹は、この「薄明」の持つニュアンスを、「転換点の中にある私たちの心情」や「不確かさを受け入れる生き方」として捉え、楽曲のテーマに据えたと語っています。
タイトルには、「終焉」でも「夜明け」でもない“中間の光”の美しさと儚さ、そしてその中で見出す希望という、KIRINJIらしい詩的な視座が宿っているのです。
2. コロナ禍という“長いトンネル”からの光—歌詞に見る社会的背景
「薄明」が発表されたのは2021年、まさに新型コロナウイルスの猛威が日本社会を覆い尽くしていた時期です。外出の制限、人との距離、社会不安。そうした中で、私たちはまるで“長いトンネル”の中にいるような閉塞感を抱いていました。
KIRINJIのこの曲は、そのトンネルの先にかすかに見える光=「薄明」を描き出し、リスナーに静かな希望をもたらします。たとえば歌詞中にある《闇が遠のいていく》という一節には、「この閉塞状況にもいつか終わりが来る」という、普遍的な安心感が込められているように感じられます。
また、「この状況の先に新しい日常がある」と伝えるのではなく、「今この中間地点を生きている私たち」を肯定する視点は、安易な楽観ではなく、共感を重視したKIRINJIらしい社会的メッセージといえるでしょう。
3. “薄明 feat. Maika Loubté”の歌詞に描かれる都市の風景と内面
歌詞には、横浜の「みなとみらい」周辺を彷彿とさせる風景が巧みに織り込まれています。観覧車、美術館、チャイナタウンといった都市のランドマークが、現実的でありながらどこか幻想的な雰囲気を醸し出しています。
それに加えて《インスタ映え》や《セルフィ》、《スワイプ》といった現代的なキーワードが組み合わされることで、私たちが日常で抱える情報過多や、SNS社会における“虚無感”も描かれています。このような“軽薄な都市”を背景にしつつも、視点は常に内面に向かっており、自分の存在やつながりの意味を静かに問う構成になっています。
Maika Loubtéの透明感あるボーカルが、こうした内省的なテーマに寄り添い、情緒の奥行きを引き立てています。
4. フランス語パートの効果と、異文化がもたらす音象徴
この楽曲の特徴のひとつが、Maika Loubtéによるフランス語のパートです。その響きはまるで音の装飾のように柔らかく、視覚的なイメージを想起させます。歌詞においては、フランス語で「鏡」「星」「光」などの語が使われ、幻想的なモチーフを強調します。
また、Maikaのルーツでもあるフレンチ・エレクトロに寄せたサウンド構成は、都会的で洗練された音作りの中に、どこか“異国の夜”のような非日常感を与えています。これが“薄明”という曖昧で夢のような時間帯を、音響的に補完しているともいえるでしょう。
5. 初稿にあった“工場夜景”描写と、歌詞世界の舞台設定の変遷
この楽曲の制作初期段階では、工場地帯の夜景を歌詞に取り入れる予定だったことが、堀込高樹のインタビューで明かされています。しかし最終的には、より開かれたイメージである横浜・みなとみらいへと変更されたとのことです。
この変更には、現実の「工場夜景」が持つ重苦しさを回避し、リスナーが自分の経験と重ね合わせやすい景色へと落とし込む意図があったのではないでしょうか。
また、ミュージックビデオでも、夜から朝へと徐々に明るくなっていく映像が使用されており、歌詞で描かれる“薄明”の世界を視覚的にも見事に表現しています。映像の中の人物たちもまた、“移ろいゆく時間”の中で静かに自己を見つめる存在として描かれており、歌詞とのリンクが非常に深い作品です。
✨まとめ:「薄明」に浮かぶ私たちの現在地
KIRINJIの「薄明」は、曖昧で移ろいやすい時間帯をモチーフにしながら、混沌とした現代社会に生きる私たちの“現在地”を映し出す作品です。内省的でありながら、どこかあたたかく、そして希望に満ちたこの楽曲は、KIRINJIらしい詩世界の真骨頂といえるでしょう。