【キリンジ】名曲「エイリアンズ」の批評と解説。歌詞の意味を考察、解釈する。

再評価によって日の目を見た名曲

堀込高樹、堀込泰行の兄弟によって結成されたキリンジ。

デビュー時から一筋縄ではいかない歌詞世界と玄人好みの日本人離れしたサウンドが一部で評価され、大変失礼な言い方ではあるが「特にこれと言ったブレイクスルーもなく」堀込泰行や新規加入メンバーの脱退を経て、現在は堀込高樹のソロプロジェクトとして活動を続けている。

勿論、どことなく「渋谷系」を感じさせる「双子座グラフィティ」「牡牛座ラプソディ」のデビュー時から新人らしからぬ楽曲は静かな評価を得続けてはいたし、「アルカディア」の熱を持ちながらも荒涼としたサウンドは日本のポップ史において最高峰とも言える美しい世界観を持っていた。
しかし、やはり「これと言ったブレイクスルー」はなかったように思う。

そんなキリンジが大きく注目されるきっかけとなったのはおそらくだが、のん(能年玲奈)が出演した2017年のLINEモバイルのテレビCMテーマソングにキリンジの代表的な楽曲である「エイリアンズ」が使われたことではないだろうか。

彼女の透き通った美しさと現代における静かな愛情を歌った「エイリアンズ」がマッチしたこのCMで「エイリアンズ」は再評価され、一般層に浸透するきっかけとなったように思う。

そして、「雨は毛布のように」や「Drifter」、「グッデイ・グッバイ」「スウィートソウル」といった隠れた名曲も「エイリアンズ」からじわりと広がってゆくかのように日の目を浴び、改めてキリンジのポテンシャルが並ではなかったことを証明する結果となったのである。

「エイリアンズ」は2000年のリリースで、2017年のCM起用以前にも名だたるミュージシャン達が多くのカヴァーを行っていた事実も楽曲のポテンシャルの高さを証明する要素だが、何よりも残念なのは「エイリアンズ」を当時の形で体験する、ライヴで視聴するのは現在のところボーカルを取った泰行の脱退により不可能となっている事である。
泰行も自分のライヴで「エイリアンズ」を歌唱することはあるが、やはり「兄・高樹」いてこそのエイリアンズだなあ、という印象は拭えない。

「再評価された楽曲が現在そのアーティストの手を離れている」というケースはそう多くはないが珍しい事ではない。
ドラマ「高校教師」の主題歌「僕たちの失敗」を歌った森田童子はドラマ放映時には既に引退していたし、古くはクラシックの世界でもシューベルトのように死後に評価を受ける作曲家や、ゴッホのように存命中はからっきしだったが死後に高い評価を受けるといったケースはよくある話である。
キリンジはまだ兄弟のどちらも存命だが。

とにかく、発表当時から「エイリアンズ」の素晴らしさを胸に抱いていた私からすると再評価の流れは「どうだ、いい曲だろう」と別に自分が作ったわけでもないのに偉そうな気持ちになってしまうほど嬉しいのである。

今回はこの「エイリアンズ」を考察してみたい。

現代に疎外感を抱く二人のラブソング

「エイリアン」とは異星人のことである。
稀に「外国人」を指すこともあるが、「侵略者」のニュアンスが含まれる「Invader」同様、その意図がない限りあまり人に対して使う言葉ではない。

この地球に生まれ育ち、出会った二人。
共通するのは「疎外感」である。
周りの人と違う、そんな自覚を持った者同士の愛というのがこの「エイリアンズ」のテーマである。

サビでは「君が好きだよ エイリアン」と一風変わった恋人に向けてストレートな愛を伝えているが、「エイリアンズ」というタイトルの通り、伝えている方も「エイリアン」である。
自分は周りと何かが違う、みんなが好きなものを好きになれないし、みんなが興味のないものに心を惹かれる。
そういった「染み付いた疎外感」をイントロのガットギターが代弁する。

公団住宅で静かに暮らしている二人は疎外感を抱えながらもなんとか生きている。
「普通の人」が寝静まった夜、眠れなくてベランダに出てみる。
ふと空を見上げればボーイング旅客機の点滅する光。
遠くからは犬の遠吠えが聞こえる。
道路は時々スポーツカーがけたたましい音を立てる時以外は車もまばらで、空気はしんと澄んでいる。
そんな二人の生活が垣間見えるAメロで「エイリアンズ」は幕を開ける。

月は煌々と輝いている。
月明かりに導かれるようにして「僕」は「彼女」を散歩に誘う。

街には僕ら以外誰もいないかのようだ。
誰もいない夜の街では疎外感を感じることもない。
「エイリアンズ」が躍動するのは夜である。
朝が来て、日が昇ればこの街は「よその星」へと変貌する。
その前に楽しもう、歌はそう告げている。
つまらないジョークも、街灯の下でおどけるようなダンスも、二人の世界は夜の間だけだった。
気を良くした僕は彼女に告げる。

「君が好きだよ エイリアン」

彼女は何も言わない。
表情も変えない。
ただ、眉を少し上げるだけだ。

この歌に登場する彼女はきっとそんな感じではないだろうか。

「アルカディア」の次、「Drifter」の前?

私は「エイリアンズ」の男は「アルカディア」で荒涼とした世界を生きていた男と同一人物という見方をしている。
ボーカルも同じ泰行なので、泰行のような男を想像している。
声は低く、物静かで、どこか浮世離れした男。
「アルカディア」には女性は登場しない。
ただ男が混沌とした自分の内面を乱雑に表現しているだけだ。
その世界はあまりにも美しく、しかし乱れている。
男はまだ「彼女」と出会っていない。
疎外感と絶望を抱えた1人の「エイリアン」である。

そして、「エイリアンズ」で彼女と出会った男は一緒に暮らすようになり、徐々に世界に馴染んでゆく。
たとえ昔のことを思い出し、孤独だった頃を思い出し、「鬱が夜更けに目覚めて獣のように襲いかかって」きても、隣には彼女が眠っている。
それで男は心を落ち着ける。

「あなたがいる限り、僕は逃げない」

男はそう決意する。

冷蔵庫から水を取り出し、一口飲む。

「欲望が渦を巻く海原さえ ムーン・リヴァーを渡るようなステップで踏み越えていこう あなたと」

「アルカディア」の絶望、「エイリアンズ」の出会い、「Drifter」の決意。

私はこの三作品が一人の男の物語だと勝手に思っているのである。(作詞はDrifterだけ高樹で違うんだけど)

キリンジの作品を聴いて、そういう「自分勝手な解釈」をするのは中々楽しいものである。

そういう「勝手な解釈」をさせる世界観を持ったキリンジ、もしまだ未聴であればこの「エイリアンズ」から始めてみてはいかがだろうか。