今回紹介する楽曲は、andymoriの「16」という曲です。
これは、バンドのセカンドアルバム『ファンファーレと熱狂』に含まれており、主にアコースティックギターの弾き語りスタイルで演奏されています。
この曲のシンプルな音楽構成が、歌詞に込められた深いメッセージを際立たせています。
この記事では、その歌詞の持つ意味について掘り下げていきます。
静謐な響きと深いメッセージ:andymori「16」の魅力を紐解く
2014年10月、多くのファンを悲しませながら解散したandymoriですが、彼らが遺した数々の曲の中から特に「16」をピックアップして紹介します。
この曲は彼らのセカンドアルバム『ファンファーレと熱狂』に含まれています。
「16」は、彼らの作品の中で比較的ゆったりとしたテンポを持つ一曲です。
アコースティックギターを中心にした演奏スタイルで、ベースとドラムは控えめにアレンジされています。
彼らの初期の作品は皮肉が効いた歌詞が特徴ですが、「16」では直接的な表現が用いられています。
この曲はandymoriの楽曲群の中でも穏やかな雰囲気を持っています。
小山田壮平がこの曲に託した思いやメッセージにはどのようなものがあるのでしょうか。
ここからは、「16」の歌詞を一つずつ解析していきます。
他者を通じて見る自己:『16』における思春期の描写と日常の空虚感
なんでもない日を繰り返し歌い続けてから幾年が過ぎ
約束ばかりが増えていく 空っぽの空のむこうに
「16」という曲の歌詞は、過ぎ去った日々を振り返るような言葉で幕を開けます。
この楽曲に「歌う」という行為が登場することで、制作者自身の体験に基づいた自伝的な要素があると解釈できます。
andymoriのリーダーであり、この曲の作詞・作曲者である小山田壮平の個人的な感情が細部にわたって反映されていることは明らかです。
日常を送りながらも、常に音楽に携わる生活。
それが彼にとって長年にわたる日常であり、その過程で出会った多くの人々との交流や、実現不明の約束が日常の虚無感を強調しています。
どこにもいけない彼女たち駅の改札を出たり入ったり
変れない明日を許しながら なんとなく嘘をつくのさ
このセクションでは、曲の焦点が自己から他者へと移ります。
特に、歌詞では「彼女」という人物が描かれており、その描写からは若さや幼さが感じられます。
女子中学生や高校生、またはそれに近い年代の女性のイメージが浮かび上がってきます。
家庭や学校の厳しい規制下で生活し、自由に過ごすことが難しい日々に退屈を感じているようです。
違う場所への憧れを持ちつつも、隣町を訪れても変わらない景色に直面します。
この状況に満足していないものの、何とか自分を納得させようとする心情が感じられます。
こうした思春期の女性が突然物語に現れ、主人公は彼女たちの姿に自分自身を投影しているようです。
共有される空虚感は、彼女たちにとっても、主人公にとっても共通のもの。
主人公がこのような日常をどう捉え、どう生き抜いているのかが問われます。
16ビート:歌詞に隠されたリズムとイメージの探求
16のリズムで空をいく 可愛くなれない性格で
全然違うことを考えながら 優しいんだねって嘘をつくのさ
このセクションの始まりで、曲の名前ともなっている「16」という言葉が重要な役割を果たします。
次に出てくる「空」という単語は、無限の自由を象徴するようなイメージを与えます。
その直後の部分では、主人公が自分の率直さを欠く性質を少し皮肉った調子で見ていることが明らかになります。
歌詞の2行目では、言葉と心が一致しない主人公の内面が表現されています。
これは、表面上の振る舞いと真の感情のギャップ、すなわち「建前」と「本音」で解釈可能です。
歌詞の中で主人公が建前を偽りと捉え、何らかの罪悪感を抱いている様子が伺えます。
特に注目すべきは、最初に挙げられた「16」という言葉で、これが何を象徴しているのかが興味深い点です。
この部分に対する私たちの考えを展開していきます。
「16」という言葉が「リズム」と結びつけられる瞬間、多くの人がまず思い浮かべるのはビートの概念です。
特にドラムを扱う人々にとっては、親しみ深い表現でしょう。
ドラム演奏におけるリズムの型には、16ビートと呼ばれるスタイルが存在します。
では、この16ビートとは具体的にどのような特徴を持つのでしょうか?
16ビート(シックスティーンビート、じゅうろくびーと)とは、ドラム・ビートの態様の1つで、4分の4拍子で16分音符を基本単位としたビート。2拍目と4拍目にアクセントをおくバックビートのスタイルを持つ。
この情報はWikipediaからの引用を参考にしています。
16ビートとは、あるリズムパターンを指す言葉であり、8ビートの2倍のリズムを持つことを基本として理解すると良いでしょう。
歌詞において16ビートを意識しているとすると、それは歌詞自体からも一定のリズム感、テンポを読み取ることができるかもしれません。
このイメージは、軽やかに空を歩く主人公の姿を思い描かせます。
解放への願望と現実の狭間:電話越しの約束と自己表現
空がこんなに青すぎるとなにもかも捨ててしまいたくなる
空がこんなに青すぎるとこのまま眠ってしまいたい
この部分では、2番の歌詞において主人公が空を眺めるシーンが描かれます。
楽曲全体で「空」という言葉が繰り返し使われることにより、主人公がこの無限の広がりに強い憧れを感じていることが示唆されます。
ここでの「空」というモチーフは、一貫した退屈さからの脱出を象徴していると解釈できます。
主人公が信じがたいほどの青さに満ちた空に目を向け、ぼんやりとしている姿が伝わってきます。
この圧倒的な青さに心を奪われ、日々の繰り返しの中でさえ、その美しさにすべてを忘れさせられるかのようです。
変わり映えのない毎日の中でも、果てしなく広がる青い空へと視線を投げる行為。
それはまるで、主人公がその青さに魅了され、心を失っているかのようです。
16のリズムで空をいく 昔の誰かに電話して
貰った花をまた枯らしながら今度呑もうねと嘘をつくのさ
前のセクションで描かれた、空に対する強い憧れに続き、ここで再び登場する「空」という言葉からは、ある種の自由や解放を感じさせる雰囲気が伝わってきます。
通常の生活の束縛から離れ、気楽に空を歩いてみたいという願望がこのフレーズから伝わってくるのです。
この部分で、主人公は古い友人に電話をかけるシーンが描かれています。
話し相手を求める心情から、突然の思いつきで連絡を取ったようです。
次の行では、彼が電話で相手を急に飲みに誘う様子が描かれていますが、その提案が実際に叶うことはないと内心では理解しているようです。
「花」という単語を通して、自己嘲笑のような感情が垣間見えます。
まるで、自分を無力だと表珀しようとしているかのようなニュアンスが感じられます。
歌を通じた解放と表現:小山田壮平の音楽への不変の情熱
祈りを込めて歌うように 神様に会いにいくように
16のリズムで空をいく 明日もずっと空をいくのさ
楽曲の終盤に至って、歌詞に「祈り」と「神」という単語が登場し、それらからは何か聖なるものを感じさせる雰囲気が漂います。
このような表現から、小山田壮平が心から情熱を傾ける唯一無二の行動、つまり「歌うこと」が彼にとって解放への鍵であることが伝わってきます。
「祈り」の心で歌うことによって、未来が少しでも明るくなることを願っています。
長い間、彼は日々の単調さを音楽で超越しようとしてきました。
変わり映えしない街並みの中で生きることの中で、いつの間にか自らの行為がその日々を特別なものに変え得ると気づいたのでしょう。
歌を通じて、限りなく遠くへと自分を連れて行くことができるのです。
彼にとって歌は、心の内側を表現し、空の広がりのように無限の自由へと導く手段なのです。
16のリズムで空をいく
彼にとって、日常の単調さを歌詞に変えてゆくことは、自由への飛躍を意味します。
このような「歌」を介して、彼は私たちに、世界が思ったよりも良い場所であることを示しています。
楽曲を通じて、小山田壮平の芸術への献身が感じられるのです。
andymoriが解散した後、2015年からはALという名前で新しく音楽活動を開始した小山田壮平。
彼はandymoriとは異なる形であっても、「歌う」という行為を続けています。
彼にとって、この行為は生きがいと等しい重要なものです。
『16』を通して見る小山田壮平の音楽旅路:創作の核心への洞察
この度は、andymoriのセカンドアルバム『ファンファーレと熱狂』から「16」という曲を取り上げました。
この楽曲には、小山田壮平の音楽人生の足跡が刻まれています。
これらは、彼の創造活動の根底にある核心を形作る要素かもしれません。