TOMOOの「泳げない」は、“恋”や“愛”をめぐる感情が、きれいごとでは片付かないところまで沈んでいく――そんな瞬間を、水や海の比喩で鮮やかに描いた楽曲です。
特にサビで描かれる「海へ落ちる」イメージや、「愛の輪郭」という言葉の強さが印象的で、聴くたびに解釈が変わるタイプの名曲でもあります。
この記事では「tomoo 泳げ ない 歌詞 意味」という検索ニーズに合わせて、**“誰の目線で何が起きている歌なのか”**を整理しつつ、象徴的なフレーズ(電話・海・輪郭・水面)から意味を深掘りしていきます。
- TOMOO「泳げない」とは?(収録作品・制作背景・いつ頃の曲?)
- 歌詞の全体像:どんな物語が描かれているか(場面・関係性の整理)
- タイトル「泳げない」の意味:なぜ“泳げない”のか、なぜ“まだ”なのか
- 「電話の向こう」が示すもの:語り手の立ち位置と心の距離
- 海へ落ちる/飲み込まれる比喩を読む:感情に溺れる描写のリアルさ
- 「愛の輪郭に触れた」=何に気づいた?“輪郭”という言葉の強さ
- 痛みと赦しのライン:「偽物の恋」「自分を責めないで」に込めた視線
- ラスサビが示す結論:沈み続ける僕を“水面へ”戻すものは何か
- サウンド面からの考察:ピアノ・ストリングス・転調が感情をどう動かす?
- ライブ/映像表現と合わせて深まる解釈(海中イメージ・水のモチーフ)
- まとめ:『泳げない』が伝えるメッセージ(“今はまだ”の希望)
- よくある疑問Q&A(失恋曲?誰目線?三角関係?救いはある?)
TOMOO「泳げない」とは?(収録作品・制作背景・いつ頃の曲?)
「泳げない」は、TOMOOの1st mini AL『Wanna V』収録曲として発表された楽曲です。YouTubeの公式動画説明でも『Wanna V』収録であること、さらに**“高校最後の夏に書いた”**ことが明記されています。
『Wanna V』はCDとしては2016年にリリース情報が掲載されており、収録曲の中に「泳げない」が含まれます。
なお配信では収録曲数が異なる表示もあり(例:5曲表記)、媒体差がある点は押さえておくと混乱しません。
ポイント
- “若い時期”に書かれたからこそ、愛を「結論」ではなく「輪郭」として触れる感覚がリアル
- その未完成さ(=まだ泳げない)が、逆に普遍性になっている
歌詞の全体像:どんな物語が描かれているか(場面・関係性の整理)
物語の中心は大きく2つの場面です。
- 電話越しに、相手(=“君”)の揺れを受け止める場面
語り手は、目の前で抱きしめるのではなく、声の揺れに相槌を打つしかない。だからこそ距離があり、無力感がにじみます。 - “海へ落ちる”比喩で、語り手の内面が沈んでいく場面
相手を救いたいのに救えない。愛しているのに届かない。その矛盾が、溺れるような描写へ接続されます。
全体としては、**「君を愛している(あるいは手放せない)語り手」と、「まだ別の誰かを引きずっている君」**の関係が透けます(歌詞に“その人”が出てくる)。
タイトル「泳げない」の意味:なぜ“泳げない”のか、なぜ“まだ”なのか
「泳げない」は、単に能力の話ではなく、心の状態のメタファーです。
- 愛の中にいるのに、前へ進めない
- 助けたいのに、助け方がわからない
- 本音を言えば自分も傷ついているのに、強がってしまう
そして決定的なのが“まだ”という一語。
ここには、いつか泳げる未来を否定していないニュアンスがあります。今は沈むしかないけれど、沈み切った先で初めて見えるものがある――そんな成長痛がタイトルに封じられていると読めます。
「電話の向こう」が示すもの:語り手の立ち位置と心の距離
歌詞の中の「電話」は、関係性の温度を測る装置です。
- 会えていない/会えない(距離)
- 表情が見えない(理解の限界)
- 声だけが届く(優しさと残酷さ)
電話は近いようで遠い。
だから語り手は「正しい言葉」を選び続ける一方で、胸の奥では“何も変えられない”感覚に沈んでいきます。ここが「泳げない」感覚を強める核です。
海へ落ちる/飲み込まれる比喩を読む:感情に溺れる描写のリアルさ
サビの“海”は、だいたい次の3つを同時に表しています。
- 感情の総量(大きすぎて制御できない)
- 孤独(広いのに、ひとり)
- 不可逆性(一度落ちたら簡単には戻れない)
とくに“飲み込まれる”描写が繰り返されることで、
「頑張って浮こうとする」よりも、「沈むことでしか理解できない領域」に入っていく感じが強調されます。
「愛の輪郭に触れた」=何に気づいた?“輪郭”という言葉の強さ
「輪郭」という語が巧いのは、“愛そのものを掴んだ”とは言っていない点です。
- 触れたのは中心ではなく“外側”
- 手に入れたのは答えではなく“形の気配”
- わかったのは完成形ではなく“存在の確かさ”
つまりこの曲の愛は、「定義」や「決着」じゃなく、痛みの中でかろうじて触れられる輪郭として描かれています。
だからこそ、恋愛経験の数に関係なく刺さる――そう語るリスナー解釈が上位に多いのも納得です。
痛みと赦しのライン:「偽物の恋」「自分を責めないで」に込めた視線
中盤以降、歌詞は“断罪”ではなく“赦し”へ寄っていきます。
相手の恋がうまくいかなかったこと、関係が歪んでしまったことを、単純に「嘘だった」と片付けない。
むしろ語り手は、相手が自分を責める方向へ落ちていくのを止めようとする。
ここで曲は、恋愛の勝ち負けから離れて、**“人が傷ついたとき、どう寄り添えるか”**の歌になっていきます。
ラスサビが示す結論:沈み続ける僕を“水面へ”戻すものは何か
終盤で提示されるのは、はっきりした結論というより、祈りに近い仮説です。
- 自分を水面へ戻すのは、結局“愛”なのかもしれない
- でも僕らは、まだ愛を知らない
この二段構えが残酷で美しい。
「愛が救う」と言い切らない一方で、「救いがあるとしたら愛だ」と手を伸ばす。その揺れが、“まだ泳げない”というタイトルときれいに噛み合います。
サウンド面からの考察:ピアノ・ストリングス・転調が感情をどう動かす?
「泳げない」は歌詞だけでなく、アレンジで“沈む/浮く”が表現されています。
- 静かな導入:息を潜める、夜明け前の冷えた空気
- サビで広がる:波が大きくなるように音像が拡張
- 終盤の高揚:水面の光を思わせる“上昇感”
リスナー感想でも、メロディやベースの置き方など“音のおいしさ”が語られています。
歌詞の“海”が、サウンドでも立体化されているタイプの曲です。
ライブ/映像表現と合わせて深まる解釈(海中イメージ・水のモチーフ)
YouTubeのスタジオ映像(公式)を観ると、言葉の繊細さと同時に、曲全体の“呼吸”が伝わります。
映像で聴くと、歌詞を追うだけのときよりも、
- どこで言葉を飲み込んでいるか
- どこで息が上がるか
- どこで声が“浮く”か
がはっきり見えて、「泳げない」が“精神状態の歌”であることがさらに腑に落ちます。
まとめ:『泳げない』が伝えるメッセージ(“今はまだ”の希望)
TOMOO「泳げない」の歌詞は、恋の痛みを美談にせず、**沈みながらしか触れられない“愛の輪郭”**を描きます。
その上で、最後に「まだ」という言葉を残すことで、断絶ではなく“途中”として物語を閉じる。
だからこの曲は、失恋の歌であると同時に、
人を好きになった結果、どうしようもなくなる自分を赦す歌でもあります。
よくある疑問Q&A(失恋曲?誰目線?三角関係?救いはある?)
Q1. これは失恋の歌?
失恋“だけ”ではなく、相手が別の誰かを引きずっている気配があるので、片想い/報われない関係の要素も濃いです(歌詞に“その人”が出る)。
Q2. 誰目線の歌?
基本は“僕”目線。電話越しに“君”を受け止める語り手が中心で、君の過去恋愛(その人)に触れてしまう構図です。
Q3. 三角関係なの?
明言はありませんが、歌詞上は「君がまだ想う相手(その人)」の存在が示唆されるので、**少なくとも“感情の三角形”**は成立していると読めます。
Q4. 救いはある?
「今はまだ泳げない」と言いながら、終盤で“水面へ戻る可能性”を残します。救いは“確定”ではなく、希望として差し込むタイプです。

