sumika「ソーダ」に込められた“優しさの履き違え”とは?
sumikaの楽曲「ソーダ」は、一見軽快なリズムと明るいメロディが特徴ですが、その歌詞には非常に繊細で複雑な感情が込められています。テーマは「優しさの履き違え」。相手を気遣うあまり、本音を押し殺してしまったり、言葉にすべきだった感情を飲み込んでしまった経験は、多くの人にとって共感できるものではないでしょうか。
この曲では、過去に築かれた関係性の中で「こう言えばよかった」「ちゃんと向き合えばよかった」といった後悔や自責の念がにじみ出ています。特に、対立や衝突を避けることが「優しさ」と勘違いされ、その結果関係が静かに冷めていく様子が描かれており、その“静かな別れ”の痛みがリアルに表現されています。
このように、「ソーダ」は、優しさとは何か、人を大切にするとはどういうことかを改めて考えさせてくれる一曲です。
ソーダの“炭酸”が象徴する関係性の変化
タイトルにもなっている「ソーダ」は、歌詞の中で重要な比喩として機能しています。特に“炭酸”という要素は、時間の経過と共に抜けていくもの、つまり、かつては刺激的だった関係が、今では味気ないものになってしまったことを象徴しています。
「炭酸の抜けたソーダのような日々」という表現は、恋愛関係や人間関係が次第に平坦になっていくプロセスを、誰もがイメージしやすい形で表しています。初めは弾けるように楽しく、感情の起伏もあった関係が、いつの間にか何も感じない状態になってしまう。そんな感覚を「ソーダ」という言葉に凝縮しているのです。
また、歌詞中に登場する“けむくじゃら”は、二人とともにいたペットの存在と解釈されることが多く、そうした小さな共同生活の記憶が、より一層の切なさを引き立てます。
「岩井俊二作品くらいの彩り」の意味を考察する
歌詞中に登場する「岩井俊二作品くらいの彩りはなく」という一節は、感情の豊かさを失った日常を暗示しています。岩井俊二監督の映画作品は、細やかな感情描写やノスタルジックな映像美で知られており、その“彩り”を引き合いに出すことで、歌詞の主人公が感じている無色透明な日常との対比が際立ちます。
このフレーズの面白さは、単なる映像作品の名前を引用するにとどまらず、情緒的な世界観や内面的な彩りをも含んだ比喩になっている点です。つまり、かつては映画のワンシーンのように鮮やかだった二人の関係が、今では感情の起伏すらない無味乾燥なものへと変わってしまった、という現実を象徴しています。
この表現からも、sumikaの歌詞がいかに緻密に構築されているかが伺えます。
ダジャレと比喩が織りなす歌詞の魅力
sumikaの歌詞の魅力の一つは、ユーモラスかつ詩的な言葉選びにあります。「ソーダ 泣いちゃいそうだ」「ガスが口から出るアレに似ているよソーダ」などのフレーズは、一見軽く聞こえるかもしれませんが、その背後には感情を誤魔化そうとする切なさや恥じらいが滲んでいます。
こうしたダジャレ的表現は、感情をストレートに表現するのが苦手な人の“逃げ道”であると同時に、逆説的にその感情の重みを強調しているのです。泣きたくなるような思いを、ソーダに例えて茶化すことで、かえってその悲しみが深く伝わってくる構造になっています。
このように、遊び心と真摯な感情が絶妙に混ざり合った歌詞は、sumikaならではの個性であり、リスナーの心に長く残ります。
sumikaの他楽曲との共通テーマ
「ソーダ」に描かれているテーマは、sumikaの他の楽曲にも共通しています。たとえば「溶けた体温、蕩けた魔法」では、「寄り添って傷をつけあって、それでも共にいたい」といった関係性の深まりと痛みが描かれており、「ソーダ」で語られる“優しさの限界”と地続きのテーマです。
sumikaの楽曲には一貫して「他者との関わりの中で自分がどう在るべきか」「感情を表現することの難しさ」が描かれており、聴く人にとってそれは自己投影の対象となります。日常の中で誰しもが感じる些細な行き違いや、すれ違いの切なさが、彼らの音楽には濃密に詰め込まれています。
このように「ソーダ」は、sumikaの楽曲群の中でも特に内省的で、自己と向き合うためのきっかけとなる一曲です。