歌詞が映し出す“やるせなさ”と日常の描写
RCサクセションの「いい事ばかりはありゃしない」は、働いても報われず、ただ日々に流されていくような感覚を鋭く、しかし淡々と描いた名曲です。特に冒頭の「金が欲しくて働いて 眠るだけ」という一節は、現代に生きる多くの人々にも通じるリアルな実感を伴います。これは単なる愚痴や嘆きではなく、「そんなもんだよね」と諦観に満ちた共感を呼ぶ描写です。
この曲が描いているのは“絶望”ではなく、“淡い諦め”です。怒りや悲しみといった感情を前面に出すことなく、淡々とした語り口で日常の閉塞感を伝えるこのスタイルこそが、リスナーに深く刺さる理由ではないでしょうか。
街や人間関係に対する不信感、社会の構造的な理不尽さ、それでも生きていかなければならない矛盾…。これらすべてを、清志郎のやわらかな声と朴訥としたメロディが包み込んでいます。
タイトルに込められた“小さな希望”の響き
「いい事ばかりはありゃしない」というタイトルは、一見するとネガティブに響きますが、その裏側には“いい事がなくても生きていく”という覚悟や、“悪いことばかりじゃない”という反転の意味が込められているようにも感じられます。
清志郎らしい逆説的ユーモアがにじむこのフレーズは、単なる絶望では終わらないしぶとさや、生きることへの意地を象徴しているようにも見えます。つまり、これは“慰めの言葉”としても機能しているのです。
「いいことばかり起きてほしい」という願いは誰にでもある。しかし現実はそうじゃない。そんな中で、あえて“ありゃしない”と断言することで、「それでも生きていく価値はある」と静かに教えてくれるようです。
“月光仮面”の隠喩的意味と男女の心理描写
この楽曲の中でも特に注目を集めるフレーズが「月光仮面が来ない」です。月光仮面は本来、“正義の味方”として知られるヒーローですが、ここで使われているのはまったく異なる意味合いです。
一部の解釈では、これは「生理が来ない=妊娠した可能性がある」という女性の不安を暗示しているのではないかとされています。つまり、“月のもの”が来ないという意味を「月光仮面が来ない」という隠喩に重ねているという説です。
もちろん、聴き手によってさまざまな解釈が可能ですが、RCサクセションの歌詞には、こうした二重の意味を持つフレーズが多く、それが解釈の幅を広げ、リスナー自身の経験や想像力に委ねられる魅力となっています。
ライブ演出で輝く歌詞の“共感性”
RCサクセションのライブでは、「いい事ばかりはありゃしない」が特にリスナーとの距離を縮める楽曲として親しまれていました。特に清志郎が歌詞の中で「この町」という言葉を、ライブの開催地の地名に置き換える演出は、ファンにとって強い共感を生む瞬間でした。
たとえば、中央線沿線でライブを行う際には「中野」や「吉祥寺」など、観客にとって身近な地名が歌詞の一部として響くことで、その楽曲は“自分たちの歌”として聴こえてくるのです。
また、バンドのアレンジやテンポの取り方も、スタジオ録音とは異なる独自のアプローチで、より感情に訴えるものになっています。清志郎のその場限りの言葉や演出が、リアルタイムでリスナーの心を打つのです。
RCサクセションらしさ:リアルを貫く歌詞の強さ
RCサクセションの魅力のひとつは、常に“現実”と向き合い続けた歌詞にあります。「いい事ばかりはありゃしない」は、その代表例と言えるでしょう。
この楽曲では、虚飾を排したストレートな言葉選びが特徴です。媚びない、飾らない、しかしどこか温かみがある。そうした言葉の積み重ねが、RCサクセションというバンドの姿勢そのものであり、清志郎の生き様にも通じます。
売れることよりも、伝えること。耳ざわりのいい言葉よりも、心に残る言葉。この一貫した姿勢が、ファンを惹きつけ続けている理由のひとつです。
また、時代や社会情勢に対する批評性もRCの特徴ですが、それを“歌”として昇華させるセンスがずば抜けていたことも忘れてはなりません。時代が変わってもなお、人々の心に残り続けるのは、その“嘘のなさ”ゆえでしょう。
総括:生きることに寄り添う名曲
「いい事ばかりはありゃしない」は、単なるブルースでも、ただの哀歌でもありません。これは、現実の中でしぶとく生きていくための“歌”です。華やかでもドラマチックでもない日常にこそ、RCサクセションの真の価値が光ります。
清志郎の声で聴くこの曲は、リスナーの疲れた心にじんわりと染み入り、「それでも生きていくか」と思わせてくれます。そんな“歌の力”が、この楽曲の最大の魅力なのではないでしょうか。