【雨あがりの夜空に/RCサクセション】歌詞の意味を考察、解釈する。

RCサクセションの楽曲「雨あがりの夜空に」は、1980年にシングルとして発表されました。
その後1981年には編集盤アルバム「EPLP」にも収録され、ライブでは主に後半に演奏されることが多かったです。
この曲は後に彼らの代表曲となり、日本のロックシーンで重要な位置を占めました。
歌詞を詳しく見てみると、言葉遊びや二重の意味を含む表現が見られます。
しかし、この曲にはある側面があり、意外な非難を浴びることになったことがあります。
その隠された意味について考えてみましょう。

秀逸なダブルミーニング

「雨あがりの夜空に」という楽曲の歌詞には、一部で「隠された」意味があると言われていますが、清志郎さん自身は積極的にその意味を秘密にするつもりはなかったようです。
曲の背後には、昔の車が雨天や低温時に調子を崩すという事実がありました。
特に夜になると走り出したくなる瞬間に、愛車が不調になるという状況が描かれています。
これは実際の恋愛関係に重ねていて、その寂しさや切なさが歌われているのです。


この雨にやられて エンジン いかれちまった
俺らのポンコツ とうとう つぶれちまった

物語は、愛車の故障から始まります。
興味深いことに、清志郎さんが当時手にしていた愛車は、日産のサニークーペだったと言われています。
当時のサニーは、後に商用車や一般的な車種として知られるようになりましたが、その当時は競技用の基盤として非常に評価され、レースでも活躍していました。
言い換えれば、それは一種のスポーツカーでした。

どうしたんだ Hey Hey Baby
バッテリーはビンビンだぜ
いつものようにキメて ブッ飛ばそうぜ

状況に戸惑いを覚えます。
エンジンが始動しないのに、バッテリーは正常な状態です。
いつものように元気なエンジン音が鳴り響き、走り出したい気持ちが強く表れています。
エンジンキーを回す瞬間、バッテリーの電圧を示す計器の針が、まるで意気揚々と立ち上がるかのように上昇します。
この感覚は、何か他のものと似ていると感じるかもしれません。
具体的なイメージは、読者の想像にお任せいたします。
現代の車はエンジンキーを回さない代わりに、スタートボタンを軽く押すとエンジンがかからないように針が揺れる状態があります。
その状況と同じような感覚です。

そりゃひどい乗り方
したこともあった
だけどそんな時にも おまえはシッカリ
どうしたんだ Hey Hey Baby
機嫌なおしてくれよ

少し大胆な運転をしても、しっかりと応えてくれる素晴らしい車だったようです。
自動車の状態が万全でないことを「機嫌が悪い」と形容するのは、車愛好家の中ではよく見られる習慣です。
整備のために修理工場に車を預けることを「入院」と称することもあります。

Oh どうぞ勝手に
降ってくれ ポシャるまで
Woo いつまで続くのか
見せてもらうさ

もはやどうにでもしてくれと、あきらめの気持ちでいます。
雨が降るとぬれてしまうという現実もあります。
こんな関係がいつまで続くのかという疑問すら、楽しんでいる余裕があるようにも受け取れます。

こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

サビの2行だけを聞くと、自動車に関することとは思えないかもしれません。
実際、自動車で出発することを「はっしゃ」と表現する人は、あまり一般的ではないかもしれません。
むしろ、路線バスなどで使われる表現かもしれません。
最初にこの部分を聴いたとき、私も驚きました(さまざまな意味で)。
なぜなら、歌詞には「おまえに乗れないなんて」という言葉が使われているからです。

こんなこといつまでも 長くは続かない
いい加減明日の事 考えた方がイイ
どうしたんだ Hey Hey Baby
おまえまでそんな事いうの
いつものようにキメて ブッ飛ばそうぜ

「明日」という言葉の解釈によって、次の展開が異なってくるでしょう。
夜を通じて求め合う2人が、明日のことを考えずに進むことは危険なのか、それともこの関係が永遠に続くわけではないから、将来のことも少しは考慮した方がいいのか。
歌詞の「おまえまでそんな事いうの」から、後者の意味合いが強調されているように思われます。
少し不機嫌?
それでも彼は再び彼女にアプローチを試みます。
「いつものように2人で楽しもうぜ」と。

Oh 雨上がりの 夜空にかがやく
Woo 雲の切れ間に
散りばめた ダイヤモンド
こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

雨がやみ、雲の切れ間から覗く星々が、まるでダイヤモンドのように輝いています。
ロマンチックな雰囲気がただよっていますね。

Ah…おまえについてるラジオ
感度サイコー
すぐにいい音させて どこまでも飛んでく
どうしたんだ Hey Hey Baby
バッテリーはビンビンだぜ
いつものように キメてブッ飛ばそうぜ

ここが最も注目される部分かもしれません。
ラジオには、さまざまなコンポーネントが組み込まれていますよね。
調整ダイヤルなど、技術的な要素は置いておいても、その感度は素晴らしいです。
まるで感度が最高の彼女のように、彼女はすぐに素晴らしい音を奏で、どこまでも高まっていくのでしょう。
この部分で、再びバッテリーは元気いっぱいだったようです。

Oh 雨上がりの 夜空に流れる
Woo ジンライムのような お月さま
こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

月の美しさを、ジンライムになぞらえて表現しています。
夜空に広がるその姿勢も、ロマンチックな雰囲気を醸し出しています。
このライムが、輪切りなのか半月切りなのか、詳細はわかりませんが(歌詞の本質とは直接関係ないかもしれません)。
カクテルグラスに刺すなら半月切りが適しており、浮かべるなら輪切りが合うかもしれません。
月の満ち欠けが人々の体調に影響を及ぼすように、満月を見るとオオカミ男に変身するといったイメージもあります。
夜空やお酒はデートにおいても重要な要素であり、それに想像が膨らむのは自然なことです。
清志郎さんも満月を見るとワイルドになるタイプだったかもしれませんね。

車愛好家にとっての車の存在

ある女性が相談サイト上で「雨あがりの夜空に」の歌詞について激怒しています。
要約すると、「女性を自動車に例えるなんて女性差別だ」「しかも下品な歌詞は許せない」「軽率な歌詞を歌うなんて信じられない」といった感情が表れています。
さらに、歌詞中でポンコツと呼ばれていることにも怒りを感じているようです。
ただし、彼女は「この歌詞の良さを理解する余地があるのか?」と疑問を呈しており、音楽としての側面を考慮している可能性もあります。


確かに、清志郎さんの歌い方は軽薄に聞こえるかもしれませんが、実際には真摯な感情が込められていることもあります。
じっくり聴いてみると、真剣に訴えかけてくる要素も感じられます。
しかし、初めて聞いた瞬間に、しかも歌詞に不快感を抱いていたため、軽率に聞こえた可能性も考えられます。
自動車の故障を通じて女性を仄めかすセクシーな要素があると捉えることもできますが、女性の受け取り方によっては、下品に感じることもあり得ます。

ちなみに、余談ですが、発言や行動が意図的にコミュニケーションの一環として行われている場合でも、受け取る側の解釈によっては性的な意味で捉えられることがあります。
これは会社内でのセクシャルハラスメントや逆セクシャルハラスメントの問題でもよく見られるパターンです。
要するに、受け手が下品だと感じるなら、その言葉や行動は下品なものとして受け取られてしまうということです。

この女性の怒りは、ある回答者の見解によって和らぎました。


この女性は、一つの重要な事実を見過ごしていました。
それは、女性を自動車に例えることが必ずしも女性蔑視を意味するわけではないということです。
皆さんにとって、自動車はどのような存在でしょうか?

一般的な視点では、自動車は単なる移動手段、つまり便利な足と捉えるかもしれません。
ただの移動用具としての側面もありますね。
しかし、少し自動車に興味を持つと、それはファッションの一部として捉えることもできるでしょう。
実際、多くの人にとってそういった考え方が一般的です。

しかし、車愛好家にとってはどうでしょうか?
自動車が真に愛される人々にとっては、それは「かけがえのないパートナー」であることもありますし、「大切な友人」であることもあります。
自動車への情熱が深い人々にとっては、休日に一日中ガレージで過ごすこともあるほど。
愛車との時間が家族よりも長いと感じることもあるでしょう。
このような視点から見ると、自動車に女性を例えることは、特別な存在として認識していることの表れであり、蔑視とは無縁です。

この事実を理解した前述の女性は、「雨あがりの夜空に」を好意的に受け入れたようです。