【夏の終わり/森山直太朗】歌詞の意味を考察、解釈する。

夏の季節には、多くの素晴らしい夏ソングが存在しますが、今回は特に夏の定番曲として親しまれている森山直太朗の楽曲『夏の終わり』に焦点を当てた記事をお届けします。

心に残る傷や痛ましい戦争の記憶

森山直太朗の代表的な楽曲の一つである「夏の終わり」。
この曲は、夏の季節にぴったりの楽曲として、サザンオールスターズの「真夏の果実」やZONEの「secret base ~君がくれたもの~」、井上陽水の「少年時代」と並ぶ名曲の一つと言えます。
歌詞の冒頭で始まる「水芭蕉揺れる畦道 肩並べ夢を紡いだ」は、夏の終わりの情景を美しく描写しており、聴く者に夏の魔法を思い出させてくれます。


夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから

「夏の終わり」の歌詞は、夏の季節が終わりに近づいているときに、遠くにいる人を想いながら綴られています。
この曲は、ゆったりとした雰囲気と美しいメロディが、確かに夏の終わりを感じさせます。

初めて聴く人にとっては、この楽曲は夏の終わりのロマンチックなラブソングのように思えるかもしれません。
しかし、実際には、この曲は森山直太朗自身によれば「反戦歌」なのです。


流れゆく時に 笹舟を浮かべ
焼け落ちた夏の恋唄 忘れじの人は泡沫
空は夕暮れ

「反戦」という言葉を聞くと、確かに歌詞の中の「焼け落ちた」というフレーズは、空襲で焼け落ちた家屋を思い起こさせます。
また、「泡沫」は、水面に浮かぶ泡を指し、転じてはかなく消えてしまうものを指します。
このコンテクストでは、直前に言及された「笹舟」にも関連しています。
大切な人は、忘れたくないのに、泡沫のようにはかなく消えてしまったという表現が使われています。
そして、「笹舟」は笹で作られた舟を指し、はかないものの象徴としても捉えられます。
さらに、「舟」は航海を表すため、一緒にいた人が遠くに行ってしまったか、亡くなってしまったことを表現しています。

追憶は人の心の 傷口に深く染み入り
霞立つ野辺に 夏草は茂り
あれから どれだけの時が 徒に過ぎただろうか
せせらぎのように

この歌詞は、心に残る傷や痛ましい戦争の記憶に染み入る過去を描写しています。
しかし、これらの大切な思い出も、野辺に霞がかかるような霧のように徐々に薄れ、新しい記憶が夏草のように茂るように上書きされていく様子を表現しています。
「あれから」という言葉は、戦争時代からの時間を指し示しており、せせらぎのように少しずつ記憶が淡くなっていく様子が歌詞に表れています。

「夏の終わり」は、戦争の終わり

夏の祈り 夏の祈りは 妙なる蛍火の調べ
風が揺らした 風鈴の響き

「夏の祈り」は、終戦記念に関連した反戦の祈りを表現しています。
この祈りこそが、美しい旋律であると歌われています。
一方、「蛍火」はホタルの光を指しますが、「火垂るの墓」という映画を通じて戦死者の魂の象徴ともなっています。

歌詞に登場する「風が揺らした」や「風鈴の響き」は、戦死者の魂が風となり、風鈴の音を通じて伝えてくるかのような意味を表現しています。

「夏の終わり」というフレーズは、戦争の終わりを指すと同時に、この曲が反戦の思いを込めていることからも切なさを感じる要因となっています。

森山直太朗「夏の終わり」 歌詞全文

歌詞全文

水芭蕉揺れる畦道 肩並べ夢を紡いだ
流れゆく時に 笹舟を浮かべ
焼け落ちた夏の恋唄 忘れじの人は泡沫
空は夕暮れ

途方に暮れたまま 降り止まぬ雨の中
貴方を待っていた 人影のない駅で

※夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから※

追憶は人の心の 傷口に深く染み入り
霞立つ野辺に 夏草は茂り
あれからどれだけの時が 徒に過ぎただろうか
せせらぎのように

誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても
誰もが忘れゆく 夏の日は帰らない

夏の祈り 夏の祈りは 妙なる蛍火の調べ
風が揺らした 風鈴の響き

(※くり返し×2)