シュールなのに胸をつく──「駐車場」リフレインの詩的世界観
「どこもかしこも駐車場」というフレーズは、この曲全体の8割近くを占めるほど繰り返されます。一見すると意味が希薄な言葉の羅列に思えますが、それがかえって独特の詩的な響きをもたらします。
この反復はナンセンス詩やシュールレアリズムを彷彿とさせ、聴く者の頭に残ると同時に、思考の余白を生み出します。森山直太朗の作品に共通する「余白を含めて作品とする」スタイルが強く表れている一曲であり、聴き手が自由に意味を想像する余地を与えているのです。
“駐車場”で埋める心の隙間──別れ直後の逃避としてのフレーズ
歌詞の前半では、恋人にフラれた直後の主人公の心情が描かれます。「ごめん、好きな人ができたの」という台詞から始まり、悲しみやショックに直面しているはずの主人公が、すぐに「どこもかしこも駐車場」という言葉を口にし始めます。
この急な切り替えは、あまりにも現実を直視できない状態──すなわち、感情の逃避の象徴だと考えられます。「駐車場」という具体的かつ平凡な風景に思考を集中させることで、心の痛みから逃げようとしているのです。頭の中を空っぽにして、繰り返し同じ言葉を唱えるという行為は、精神的なショックを受けたときに人が取る無意識の自己防衛とも言えます。
駅前の騒音、プードル、本屋──日常風景が映し出す心情
この楽曲では「駅前の喧騒」「子どもが走る」「赤いプードルが立ち止まる」「古本屋のシャッター」など、非常に具体的な日常の描写が続きます。
これらは一見何の関係もないようでいて、実は主人公の心の状態を間接的に表しています。感情を直接表現するのではなく、風景や音、動作といった外的な情報を通じて内面の空虚さや焦燥感を描写する手法は、文学的なアプローチにも通じるものがあります。
これらの描写の中でも「古本屋のシャッター」というモチーフは、過去の思い出や記憶が閉ざされていく様子を暗示しているかもしれません。
駐車場はなぜ“空虚”の象徴に?――喪失感とのつながり
曲のタイトルであり、中心モチーフでもある「駐車場」は、単に車を止める場所というよりも、“何もない空間”としての象徴的意味を持っています。便利で無機質、整然としていながら感情の起伏を吸収しない場所──そんな「駐車場」は、まさに主人公の今の心の中そのものではないでしょうか。
誰もいない、何も起こらない“空虚”の中に身を置くことで、逆説的に失ったものの大きさや喪失の重さを際立たせる構造になっているのです。「どこもかしこも駐車場」という繰り返しは、現実が無味乾燥に見えてしまう心理状態の反映であり、悲しみや虚無の感情が景色そのものに投影されているのです。
直太朗の位置づける“言葉の余白”──歌詞を敢えて解釈しない姿勢
森山直太朗自身はこの曲について、「詞ってそういうものですから」と語り、詳細な意味の説明を避けています。このスタンスは、リスナー一人ひとりが自分の感情や記憶に基づいて受け取ることを尊重している証です。
彼の音楽には、いつも“意味を断定しない美学”があり、「共感」よりも「思考の余白」を大切にしているように見えます。つまりこの曲の歌詞は、意味を追うよりも、“どう響いたか”を重視すべきものなのです。
「駐車場」という言葉の繰り返しが、聴き手の感情や記憶を刺激し、誰にでもある“空っぽの瞬間”を思い出させる──そこにこそ、この楽曲の真価があるのかもしれません。
🗝 まとめ
『どこもかしこも駐車場』は、森山直太朗らしい言葉遊びと詩的な構成を通じて、聴き手の心に“余白”を残す楽曲です。明確なストーリーがない代わりに、リスナーの体験や感情に応じてさまざまな解釈ができる自由な空間を提供してくれます。意味を求めるのではなく、響きを味わう──そんな姿勢で向き合いたい一曲です。