『モンタージュ』槇原敬之|歌詞に込められた恋の断片と感情のモンタージュを読み解く

槇原敬之さんの楽曲『モンタージュ』は、繊細で比喩に富んだ歌詞と柔らかいメロディが魅力の一曲です。タイトルの「モンタージュ」という言葉からも連想されるように、この曲は明確なストーリーラインではなく、断片的な記憶や感情の“切り貼り”で構成されているのが特徴です。

今回の記事では、歌詞の細部を丁寧に読み解きながら、恋愛の曖昧さや言葉にならない感情をどのように描いているのかを考察します。聴き込むほどに味わい深くなる『モンタージュ』の魅力を、歌詞の意味を通して感じ取っていただけたら幸いです。


「モンタージュ」というタイトルの意味と象徴性

「モンタージュ」とは本来、映画編集の技法や、写真の切り貼りによる合成画像のことを指します。ここでは、恋の記憶や感情を一枚の“写真”のように集めて再構築していく、という象徴として使われています。

このタイトルが象徴するのは、「明確な形にならないままの感情」や「思い出の断片」が集まって一つのイメージになる、という恋の不確かさ・曖昧さです。あえて全体像を描かず、ぼかしの効いた感情の切り取りが“モンタージュ”という言葉に見事に重なっています。


歌詞の前半:出会いととまどいの描写を読む

冒頭の「ワードローブじゃないけれど 似た服が増えていく」から始まる一節では、登場人物の無意識な変化や影響を表しています。誰かの存在が少しずつ日常に入り込み、行動や趣味にさりげなく現れてくる――そんな「まだ気づかない恋」の状態を繊細に描いています。

「もしかして恋をしているのかもしれない」という戸惑いは、理屈では整理しきれない感情の芽生え。はっきりとした自覚ではなく、曖昧な違和感から始まる恋の始まりを、槇原敬之は見事に言語化しています。


「使い方のわからないカメラ」「ピンぼけ写真」が意味するもの

中盤に登場する「使い方のわからないカメラ」「ピンぼけのままの写真」といった表現は、恋という感情をうまく扱えずにいる不器用さを象徴しています。

ここでは、「上手に思いを伝えることができない」もどかしさや、「自分の気持ちすら明確に把握できていない」未成熟な感情の状態が描かれています。ピントの合わない写真は、曖昧な恋心そのもの。そして、それを「とても好きだったから」と語ることで、主人公の心情がようやく明らかになっていきます。


“方程式のないもの”──理屈と感情の狭間

「理屈を並べて答えを探してきたけど」「方程式のないものだったんだ」という一節は、感情が必ずしも論理で整理できるものではないことへの気づきを示しています。

主人公は、頭で理解しようとしても、恋という感情は定義できず、コントロールもできないことを知ります。まさに、数式では解けない「想い」の世界。そのもどかしさと美しさを、冷静に、しかし確かに歌い上げているのです。


全体を通じてのメッセージと聴き手への余白

『モンタージュ』という楽曲は、一貫したストーリーを描くのではなく、断片的なイメージや感情をコラージュして「恋の記憶」を再構築しています。そこには、聴く人それぞれの記憶や感情が重なる余白が多く残されており、聴き手によって意味が変わる柔軟性があります。

「正解のない感情」や「未完成のままの想い」が、むしろリアルに響く時代にあって、この楽曲は聴く人の心に静かに染み込んでいきます。


結語:記憶の中の「恋」を描いた詩的作品

『モンタージュ』は、感情の断片を繋ぎ合わせることでしか描けない、恋の本質を表現した楽曲です。明確な答えや結末を与えず、聴く人それぞれが「自分自身のモンタージュ」を見つけることができる。その余白の美しさこそが、槇原敬之らしい詩世界の魅力です。